駆け足ハバナ市内観光 キューバ旅行記2

 キューバ二日目。

 この日の午前はハバナ半日ツアーというのに申し込んだ。ガイドさんはキューバ在住の日本人の方。

 まずは革命広場に。かつてフィデルが現役の時にはここに国民を集めて、演説を行った場所だ。ラウルは演説をしないらしいので、今この革命広場に最大の動員があるのはメーデーのときだそうだ。前述のようにキューバ人は基本的に国家公務員なので、メーデーの動員は半強制、当日は革命広場行きのバスが出て、動員されるらしい。

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 右がカミロ・シエンフエゴス、左がエルネスト・チェ・ゲバラフィデルが「生きている政治家の銅像を立てたりするのはよくない」と自身の偶像化を避けてきたので、比較的早く亡くなったこの二人の革命家たちの偶像化が進んだのだと思う。いつも思うけど、実物のカミロはこの肖像よりもっとかっこいいぞ。

 真ん中に立つメモリアル・ホセ・マルティ(旧共産党本部)。青年の島産の総大理石で作ってるらしいぞ! ぜいたく!!

メモリアル・ホセ・マルティ
メモリアル・ホセ・マルティ posted by (C)つばな

 そして、移動して「キューバの顔」ともいえるHotel Nacionalへ。コロニアル調の美しいホテルは国賓や海外スターがキューバに来たとき泊まるホテルで、ロビーにはケイト・モスやナオミキャンベル、習近平フィデルの会食風景などの写真が飾られていた。

ホテル・ナショナルの車寄せ
ホテル・ナショナルの車寄せ posted by (C)つばな

ホテル・ナショナルの庭
ホテル・ナショナルの庭 posted by (C)つばな

海側からみたホテル・ナショナル
海側からみたホテル・ナショナル posted by (C)つばな

 このホテルに泊まるのが私の夢なのだが、来年いっぱいアメリカ様が借り上げたらしい。

 国交正常化した途端これだよ…。ホント アメリカ様は…。アメリカ来るのうれしいのは分かるけど、Hotel Nacionalもちょっとはほかの客枠も開けとこうよ。

オテル・ナショナルにも孔雀さんがいた。

ホテル・ナショナルの孔雀
ホテル・ナショナルの孔雀 posted by (C)つばな

 この後、キューバ全景がみれるモロ要塞、カバーニャ要塞へ行く。うまく写真も取れてないし割愛。ゲバラ博物館は閉鎖中。十年前にいったときの日記によれば、ゲバラ作の「フィデルに捧げる詩」が展示されていて、それがよく言うと無骨、ありていに言うと、あんまりうまい詩とは言えなかった、、、と書いてあった。気になる。みたかった。

 博物館の一部展示物だけ置いてあって、ゲバラの執務室の復元がされています。

 第1ゲバラ邸宅にも行く。こうやって見ると、ツアーは結構ゲバラ重視で作られているな。やはりゲバラファンは多いのかな。ゲバラの寝室や革命時使用していた医療セットなどが見学できる。ここでかっているお犬さまがかわいいです。

 その後は旧市街を散策してツアーは解散。現地のナマの情報を教えてもらえたので楽しかったです。

 そのあと、お昼ご飯は、最近増えている個人経営のパラダールの一つ、「La Guarida」へ。ここは、キューバの名作映画「苺とチョコレート」の舞台になったアパートを改装して使われているレストランなんですね!

 私たちが食事した部屋は、ディエゴの部屋で、インテリアも映画のままで興奮しました!

パラダール La Guarida
パラダール La Guarida posted by (C)つばな

パラダール La Guaridaの一階
パラダール La Guaridaの一階 posted by (C)つばな

La Guaridaの下の階はアパートとして使われていて、普通に人が住んでる。老朽化が進み、絶賛工事中。

パラダール La Guaridaの下層
パラダール La Guaridaの下層 posted by (C)つばな

 ここのごはんはなかなかおいしかったです。テンダーロインのステーキを食べましたが、柔らかくて、ソースも凝った味でした!

 食事を済ませて、旧市街まで歩く。La Guaridaはセントロハバナ地区にあって、ここは観光資源はあまりない、ハバナの市民が普通に住む地域です。そのせいかまだ整備が追いついてなくて、建物はなかなか年季の入った、、、老朽化が進んでおります。

 十年前は絶賛工事中だった旧市街の整備が今回ほぼ終了していたので、このへんの地区も十年後にはきれいになっているかもしれませんね。

セントロハバナ地区
セントロハバナ地区 posted by (C)つばな

セントロハバナ地区2
セントロハバナ地区2 posted by (C)つばな

10年ぶりのキューバ キューバ旅行記1

 学生時代の2003年、ハバナに二週間滞在しました。それ以来この国、この街に魅せられて、もう一度訪れたいと思い続けていたのですが、ついにキューバたんがアメリカ様と国交正常化! 今のうちに! マクドナルドが来ないうちにいかなければと思い立って行ってまいりました。

憧れのクバーナ航空。10年前はソ連製の飛行機使ってるともっぱらの噂で使わなかった。

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 カンクンで乗り継いで、ハバナのホセ・マルティ国際空港に着。建国の父の名前ですな。10年前の日記によると、空港からハバナ市内までの道には馬や牛が走っていたと書いてあるのだが今回は一切見かけなかった。都市化が進んだのだろうか。

 タクシーでla Habana Vieja(ハバナ旧市街)にある La Minaというレストランへ。昔からある割と有名な国営レストランです。

 キューバは基本全てが国営企業で、全員国家公務員。最近一部個人事業が認められるようになったばかりです。なので、全てのものが基本モノブランド。

DSC_1561 (576x1024)キューバのソフトドリンクを一手に握るciego monteroのコーラ。コーラはこの一種しかない

ただ、革命以前から有名な銘柄がたくさんあるラム酒や葉巻などはそのままたくさんの銘柄の工場が続いているし、ビールやコーヒーは10年前に比べると少し銘柄が増えたように思った。

 ともかく、古くからあるものは基本的に国営。このレストランも例外ではない。キューバはもともとそんなに料理のおいしいお土地柄ではないのですが、そんな中でLa Minaはそう悪くない店だと思う。アルマス広場に近く、立地もいい。テラス席に座っていたら流しの楽団が演奏にやってくるだろう。雰囲気がいい。

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 料理は「インターナショナル」をうたっているが、私に言わせれば典型的キューバ料理だ。あまり調味料を使わない、よく言えば素材を大切にした、ありていに言えば少し味気ない料理。しかし、この店はそれなりにはおいしい。絶品とはとてもいえないけど。

 私たちは店内のカウンター近くの席に座った。店のテレビではメジャーリーグワールドシリーズを流していて、キューバ人客が酒を片手に必死でみている。衛星放送が入るお家はまだ少ないはず。10年前は(建前上)禁止だったが、今はどうなったのだっけ。La Minaは決して安い店ではないんだが、もしかしたらこの店もキューバでよくある、旅行者とキューバ国民との二重料金設定なのかもしれない。

 キューバ人は今も昔も野球が大好きだ。でもどうやら最近はサッカーもスキみたいで、しかもどいつもこいつもFCバルセロナファンだった。なぜバルサなのかはよく分からない。対してスキな野球チームはたくさんある。「日本のトーナメントの優勝チームは最高だ!(ソフトバンクのことか?)」と言っていたし、オランダ人には「今度オランダとキューバが対戦するね! オランダもいいチームだ!」と言っていた(オランダ人はそんな試合があることすら知らなかった)。彼らは異常に野球に詳しい。「タナカ! タナカ!」てめっちゃ言われた。多分、アメリカ人たちよりまーくんのことをよく知っているんじゃないかと思う。

 ワールドシリーズの試合運びに一喜一憂する客たちをすり抜けて猫が私たちに寄ってくる。ほかのキューバ人たちは酒を飲むばかりで、食い物をくれそうな客は私たちだけだからだ。

 背中にハートマークをつけたかわい子ちゃん。私たちがご飯をくれないと分かると店の空いてる席で悠々と寝そべっていた。ほかにも3匹くらい猫が自由にレストラン内を自由に行き来し、キューバ人は誰も全然気にしない。キューバはなんか猫だらけの町だった。誰かが飼ってるのか、町猫なのかは判然としないが、みんな栄養状態がよく、毛皮もきれいでお風呂に入ってるみたいな清潔さだ。10年前は、そんなに猫がいた記憶がないんだけど。

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 あと、キューバではなぜかよく孔雀を放し飼いにしている。La Minaにもいた。多分レストランで飼ってる、と思う。普通に客席の間を歩いてくる。この自由さは日本人的にはかなり驚きだ。

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 ただ、猫も孔雀もテーブルの上に手をつけてはならないというルールをよく理解していて、衛生面では問題ない。多分。

 店を出て、夜のオビスポ通りへ。古い町並みが残る、ハバナの顔とも言うべきスポット。ほかの店が全部閉まっても飲食店だけは深夜まで営業しているのはラテン系の常。人通りは結構多いです。

ホテル アンボスムンドス
ホテル アンボスムンドス posted by (C)つばなホテル アンボスムンドス内
ホテル アンボスムンドス内 posted by (C)つばな

 ヘミングウェイの定宿として有名なホテル・アンボス・ムンドス。エントランスにはヘミングウェイの写真や絵がいっぱい。

ハバナ旧市街
ハバナ旧市街 posted by (C)つばな

ハバナ旧市街
ハバナ旧市街 posted by (C)つばな

 夜のオビスポ通りはまじ絵になる。そんなこんなで一日目終了です。

源義経の周辺人物ゆかりの土地一覧

A……史実のもの

B……AにいれるかCにいれるか悩んだもの

C……伝承色の強いもの

D……史実との整合性が無いもの、もしくは伝承の内容がはっきりしないもの(今後追加予定)

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米沢市の情報をいただき、項目追加いたしました! ありがとうございました!!

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<弁慶ゆかりの地>

和歌山県

田辺市弁慶生誕地説1

熊野本宮(C) 弁慶は熊野別当の子との説がさまざまに伝承されている。

闘鶏神社(C) 弁慶の父との説もある湛増が源氏につくかどうか占った場所で、弁慶生誕地説有。境内寺大福院に弁慶生誕地の碑。神社社務所に伝義経奉納の笛、伝弁慶産湯の釜あり。10月弁慶まつり

弁慶の腰掛け石(八坂神社)(C) 弁慶が少年時代腰掛けていたという石

弁慶産湯の井戸(C) ママ。田辺第一小学校にあったものを田辺市役所に復元したもの。

弁慶観音(D) 壇ノ浦のとき、湛増が軍船に安置したとの説。詳細分かりませんでした。情報求む!

島根県

出雲市

鰐淵寺(C) 弁慶が修行した寺との伝承。この場合の弁慶生誕伝承地は松江市。鐘かつぎの伝承もあり

滋賀県

大津市

比叡山延暦寺(B) 弁慶は比叡山西塔の出身とする伝承がメジャー。「弁慶のにない堂」、「弁慶水」

三井寺(C) 比叡山との山門争いの際、弁慶が比叡山にひきずっていったとされる鐘がある。

京都府

京都市

大原三千院(C) 「義経記」などで、比叡山を出奔して大原別院へ来たとの記述。往生極楽院が大原別院の名残とも言われている。

弁慶石(D) 中京区弁慶石町。弁慶が投げた、立ち往生した弁慶が変じたなど伝承は様々のよう。平泉まで行ったのを、京を恋しがってこの地に戻ってきたという伝承は同じ。

兵庫県

姫路市

圓教寺(C) 他の僧と揉めて大火を起こしたとの伝承。

香川県屋島周辺

牟礼町

長刀泉(C) 海辺で水が出なくて困っていたところ、弁慶が長刀で泉を掘り出したとの伝承。

弁慶の投げ石(C) 長刀泉を掘るときに弁慶が投げた石。3km飛んだらしい

菜切地蔵(C)  地蔵様の背中を俎板代わりにして弁慶が野菜をきったという伝承。

佐藤継信・忠信兄弟ゆかりの地>

山形県

米沢市

佐氏泉公園(C) 佐藤氏の別邸跡。継信・忠信兄弟が産湯をつかったとの伝承。

常信庵(C) 佐藤氏の寺。佐藤兄弟の母・梅唇尼の即身仏。佐藤兄弟を祀っている。

香川県屋島周辺

牟礼町

射落畠(B) 継信が義経の身代わりに射たれた場所

洲崎寺、継信・太夫黒の墓(B) 継信を弔った寺。義経が継信を弔うために愛馬太夫黒を洲崎寺へ賜った。

奈良県吉野周辺

花矢倉(C)忠信がこのあたりで敵を防いだとの伝説。

覚範首塚(C)忠信が討った覚範の首塚と伝わる。(参考文献現状なし)

那須与一ゆかりの地>

香川県屋島周辺

牟礼町

祈り岩(C) 的射を命じられた那須与一が成功を祈った場所

駒立岩(C) 扇を射る時に馬を立たせた場所

静御前ゆかりの地>

奈良県吉野周辺

勝手神社(C)追手に捕まった静が舞った場所。

源義経・源頼政ゆかりの地一覧 ページとばし用リンクここから一覧へ飛べます。

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参考文献等

「京から奥州へ 義経伝説をゆく」 京都新聞出版センター編 2004

義経記岩波文庫

和歌山県:現地説明文(H27.9.5現在)

「田辺探訪~文化の香りの城下町~」田辺観光協会http://www.tanabe-kanko.jp/tanabeshi/jinbutsu/benkei/siseki/(2015.11.24)

「しまね観光ナビ」島根県観光連盟http://www.kankou-shimane.com/ja/spot/detail/1513(2016.1.7)

京都市内:現地説明文(H27.8月2日現在)、義太夫「鬼一法眼三略巻」

「ふるさと昔語り」京都新聞http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/070306.html)(H27.8.9現在)

平清盛の京を歩く」京都市産業観光局観光MICE推進室(http://kanko.city.kyoto.lg.jp/kiyomori/index.html)(H27.8.9)

大津市:「奥比叡ドライブウェイhttp://www.hieizan.co.jp/kenbunroku/hakkei.htmlH27.8.12奥比叡参詣自動車道株式会社

香川県:「香川県公式旅サイト うどん県旅ネット(平清盛特集)」香川県観光協会http://www.my-kagawa.jp/kiyomori/(H27.11.21)

「石と源平の町「牟礼」」むれ源平まちづくり協議会http://www.genpei.org/shiseki/shiseki.html(H27.11.21)

米沢市http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1126.htm米沢市(2015.9.14)

奈良県:「吉野町吉野町http://www.town.yoshino.nara.jp/kanko-event/(H28.11.26)

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源頼政ゆかりの土地一覧

獅子王の「じっちゃん」、鵺退治の伝説で知られる源頼政ゆかりの地一覧です。

鵺関係も入れてます。

ほかにゆかりの地の情報があれば、ぜひお教えください。

[追記]--------------------------------------------------

静岡県の情報、ご紹介いただきました! ありがとうございました!

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A……史実のもの

B……AにいれるかCにいれるか悩んだもの

C……伝承色の強いもの

D……史実との整合性が無いもの、もしくは伝承の内容がはっきりしないもの

京都府

宇治市自死地)以仁王の挙兵 最終決戦地

平等院(A) 自死した場所と伝わる「扇の芝」、頼政や部下の墓あり

宇治橋(A) 以仁王の挙兵の激戦地

京都市

神明神社(B) 頼政が鵺退治の成功祈願したという神社。近衛天皇の妃の屋敷内にあった神社で、こちらの屋敷が鵺退治の現場との説も(天皇がしばしば通っていたそう)。頼政が奉納したとされる鏃がのこっており、9月の祭礼時に公開される。

平安京跡地(B) 天皇が鵺に悩まされた場所。ここが鵺退治をした場所という説のほうがメジャーか。

二条公園(B) 撃たれた鵺が落ちた場所との伝承。鵺を祭った「鵺大明神」の祠、鵺を射た鏃を洗った鵺池(復元)がある。

大将軍神社(B) 鵺の住処「東三条の森(別名:鵺の森)」があった場所。住所:東山区三条大橋東三丁目下る長光町640。方位神である大将軍神社は京都市内に複数あるので注意。

鵺塚陵墓参考地出土遺物埋納所(B) なくなってしまった京都の鵺塚(岡崎公園内)の埋蔵物を埋めてるらしい。詳細不明。東福寺の南側、仲恭天皇九條陵の西側

亀岡市 頼政が鵺退治の褒美に賜った所領

頼政塚(B) 頼政首塚と伝えられる。

滋賀県

大津市

三井寺(A) 挙兵発覚後、以仁王頼政が都を抜け出し、落ち合った場所。三井寺の僧たちは最後まで以仁王を供奉した。

兵庫県

西脇市頼政の領地の一つ

長明寺(B) 頼政の墓がある。4/29に頼政祭り

神戸市

頼政薬師寺(B) 須磨区頼政が再興した寺とのこと。

須磨は頼政ゆかりの地で、この他にも須磨寺をはじめ、頼政が再興した寺社が多数ある。

芦屋市

鵺塚(C) 芦屋公園内。鵺の死骸が流れ着いた場所との伝承その1

大阪市

鵺塚(都島区)(C) 鵺の死骸が流れ着いた場所との伝承その2 鵺退治は二回あるので二つ伝承地があってもおかしくないか。

大阪港(C) 大阪港の紋章に鵺。

静岡県

浜松市

鵺代(D) 鵺の死骸が落ちてきた場所との伝承と、源頼政鵺退治の褒賞として与えられた所領であるとの伝承があるよう。

伊豆の国市

ぬえ左衛門(ゆるキャラ) 頼政の妻・菖蒲御前の出身地ということから生まれたゆるキャラ

沼津市

禅長寺(B) 頼政の妻・菖蒲御前が出家した寺との伝承。頼政堂、菖蒲御前の墓あり。頼政の墓もあるとの伝承あり。

以仁王ゆかりの地>

京都府

木津川市

高倉神社、以仁王墓、筒井浄妙塚(B) 頼政が命を賭けて南都へお落とししようとした以仁王が矢傷が原因で亡くなった場所。高倉神社は以仁王を祀る。筒井浄妙は三井寺の僧侶で、以仁王を守って討ち死にした。

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参考文献等

「日本妖怪散歩」村上健司、角川書店、2008

神戸市:須磨観光協会http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/(H27.8.29)

静岡県:「Shizuoka城と戦国浪漫」静岡県http://www.sengoku-shizuoka.com/castle/1106077/(H27.9.1確認)

「ぬえ左衛門」伊豆の国市商工会青年部http://nuezaemon.net/(H27.9.1確認)

沼津市沼津市役所http://www.city.numazu.shizuoka.jp/takara/kobetu/rekishi/089_zencyouji.htm(H27.9.1確認)

木津川市観光ガイドhttp://0774.or.jp/temple/takakura.html木津川市観光協会(H27.8.9現在)

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源義経ゆかりの土地一覧(東日本編)

東日本編です。(中部地方を東日本に入れました)

A……史実のもの

B……AにいれるかCにいれるか悩んだもの

C……伝承色の強いもの

D……史実との整合性が無いもの、もしくは伝承の内容がはっきりしないもの

愛知県

名古屋市

熱田神宮(C) 義経元服の地の伝承2 義仲討伐前にここに留まったという記述が平家物語にあり。頼朝の母方の実家が熱田神宮の大宮司である。

岩手県宮城県

平泉町周辺義経第二の故郷にして終焉の地。

世界遺産の寺々は藤原氏との関係から考えても義経もおそらく訪れていたと考えて間違いないですが、具体的な伝承などがないため割愛します。情報お持ちの方お知らせください。

衣川古戦場跡(A) 泰衡との決戦地。弁慶が立ち往生した場所との伝承

弁慶の墓(B) 中尊寺の入り口月見坂周辺。弁慶を葬った場所とされる。周辺には亀井六郎らの討ち死にした場所も点在。

高館義経堂(B) 義経終焉の地と伝わるその1。

接待舘遺跡(B) 義経終焉の地と伝わるその2。 岩手県奥州市衣川区六日市場56

金田八幡神社(C) 宮城県金成町義経を奥州へ連れて行った金売吉次の屋敷跡といわれる。

遮那山 長谷寺(C) 義経がここを訪れた際手植えしたという遮那桜がある。

登米神社(C) 義経が戦勝祈願に訪れたとされる八幡宮

入谷八幡神社(C) 義経が勧請したとされる八幡宮

中尊寺 弁慶堂(D) 弁慶と義経の像を祀る。弁慶作の自像と伝わる像などがある。

静岡県

駿東郡

八幡神社(B) 頼朝と義経が対面したとされる「対面石」。富士川の戦いの時に頼朝が陣を敷いた場所。

神奈川県

藤沢・鎌倉周辺

白旗神社(B) 川を逆流して義経の首がこの地にたどり着いたとの伝承。祭神:源義経公 6月源義経公鎮霊祭

源義経公首洗井戸(B) 白旗神社近く。村人がお首を洗った井戸跡との伝承。

満福寺(B) 義経が頼朝に許しを請う「腰越状」を書いたという伝承地。

九郎明神社(C)神奈川県川崎市麻生区古沢497 祭神:九郎判官義経。奥州から鎌倉へ渡る途中立ち寄った。

二枚橋(C)通りがかった際、馬が通れないので弁慶が丸太を重ねた。

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参考文献等

「京から奥州へ 義経伝説をゆく」 京都新聞出版センター編 2004

義経記岩波文庫

岩手県:現地説明文(H27.9.27)

「南いわて・北みやぎ観光サイト案内所」http://www2.pref.iwate.jp/~hp2516/property/fujiwara/index.html岩手・宮城県際広域観光推進研究会(H27.10.2)

愛知県:現地説明文(H27.8月)

静岡県:清水町観光協会http://www.kakitagawa-kanko.jp/index.html(H27.8.19)

藤沢・鎌倉:「相州藤沢・白旗神社」(http://shirahata-jinja.jp/)(H27.8月3日現在)、現地説明文(H27.7.18現在)

朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20160530150150001.html朝日新聞(H28.12.4)

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源義経ゆかりの土地一覧(西日本編)

 義経巡礼のために作りました。

A……史実のもの

B……AにいれるかCにいれるか悩んだもの

C……伝承色の強いもの

D……史実との整合性が無いもの、もしくは伝承の内容がはっきりしないもの

京都府

京都市幼少期を過ごし、平家滅亡後は鎌倉の頼朝と物理的に距離を置き、上皇の後ろ盾を得てこの地で政治に関わるつもりだったよう。ゆかりの地も多い。

鞍馬寺(A)  義経が幼少の頃過ごした場所。ゆかりのもの、場所が散在。 入山時にパンフ貰えるのでそれで確認しよう。9/15義経

佐女牛井の跡(A) 源氏の京都の屋敷・堀川御所の邸内にあった井戸。義経が頼朝に夜討を受けたのもここ。西本願寺の北、東急ホテル入り口の南側の植込み。

牛若丸誕生井・胞衣塚・源義経産湯ノ遺址(B) 義経誕生の地。産湯に使った井戸の遺構と、牛若丸のへその緒を埋めているという伝承。義朝の別邸があり、義経の母・常盤が住んでいた地域であるのは確か。

首途八幡宮(B) 奥州出立の際、安全祈願をしたといわれる。

神泉苑(B) ここで雨乞いのため踊った静を見初めたといわれる。

五條天神社(C) 「義経記」などの伝承によれば義経・弁慶の出会いの場所1

松原橋(旧五条橋)、五条橋(C) 義経・弁慶の出会いの場所との伝承2 五条橋近くに二人の銅像アリ

清水寺(C) 義経・弁慶の戦った場所の一つとの伝承がある。また、母・常盤が牛若たちをつれて逃げる際、子安観音に祈ったという伝承も有名。多くの観光客がなんなのか分からんままに触ったり持ち上げたりしている鉄の杖と鉄ゲタは伝弁慶所有のもの。

出世恵美須神社(C) 粟田神社摂社。奥州へ出立の際、源氏再興を願ったとされる。

牛若丸首途の井(C) 金売吉次の別宅。奥州出立の際、別れを惜しんだ井戸との伝承。

牛若丸の腰掛け石、血洗池(D) 京都薬科大グラウンド内。平家の武士を切り殺したとも、盗賊を殺したともされ、伝承の内容がはっきりしない。

義経大日如来(D) 上の伝承とリンク。平家の武士か盗賊の慰霊のためのものといわれる。

宇治市

宇治川先陣の碑(A) 宇治川の戦いで先陣を競った有名な話の碑。古戦場

滋賀県

蒲生郡竜王町 鏡の宿周辺(伝)義経元服の地の伝承1

元服池(C) 元服した姿を映したといわれる池

源義経宿泊の館「白木屋」跡 そのまま

鏡神社(C) 元服の折参拝した神社。義経の烏帽子掛松アリ

八幡神社 義経公合祀の祠。鏡神社境内社

兵庫県

神戸市

一の谷 戦の濱碑(A) ママ

鉄拐山、鉢伏山(B) 「鵯越の逆落とし」の場所説その1

鵯越墓地、高尾地蔵院(B) 「鵯越の逆落とし」の場所説その2 史跡鵯越の碑、馬つなぎの松、蛙岩

多井畑厄除八幡宮(C) 戦勝祈願に訪れたとされる八幡さん

義経腰掛の松(C) 上の八幡に行くときに腰掛けたとされる松

現光寺(C) 伝源義経陣太鼓あり 光源氏の寺としての方が有名ですが

諏訪神社(D) 武運を祈ったとされる神社

尼崎市

大物主神社(B) 九州へ出航する前に泊まったところらしい。「義経弁慶隠れ家跡」の碑

辰巳八幡神社(D) 「伝静なごりの橋」の碑。元々は違う場所に建てられていた碑らしい。しかし、実際に静と別れたのは吉野のはず。

大阪府

大阪市

逆櫓の松址(C) 福島区福島二丁目2-4 福島ビル向い側 梶原景時と船に逆櫓をつけるか言い争った場所。詳しくは平家物語で。

判官松伝承地(C) 西淀川区大野二丁目4 大野下水処理場正門前 屋島へ向かう前に、潮に流されて着いた場所。ここで住吉大神に祈り、無事屋島へ渡れたとの伝承。

香川県

高松市

瓜生が丘(A) 屋島の戦い時に源氏が陣を敷いた場所。

六万寺、総門跡(A) 屋島の戦い時に平家が陣を敷いた場所。

屋島寺(B) 宝物館に源平ゆかりの品。瑠璃宝池(義経らが血刀を洗った池)、源平屋島合戦800年祭供養碑

弓流しの跡(B)戦中に義経が弓を海に落とし、慌てて拾いに行った場所といわれる。

徳島県

小松島市

旗山(A) 義経が源氏の旗を並べ、兵の意気掲揚を図ったという場所。日本一大きい義経像があるらしいです。

愛媛県

今治市

大山祇神社(C) 義経奉納の鎧、弁慶奉納の薙刀と伝えられる宝物あり。

奈良県

義経の七つ石(C)頼朝に追われる途中で休憩した石。このあたりは愛妾静御前の出身地であるとされる。

吉野周辺

吉水神社(B)義経が潜伏した場所。わりと判官博物館。

忠信関係は源義経の周辺人物ゆかりの土地一覧

石川県

小松市周辺前田家第二の城下。金沢旅行のついでにどう?

安宅関(B) 頼朝が義経を捕らえるために作らせた臨時の関所があった。歌舞伎「勧進帳」でおなじみ。(勧進帳ものがたり館、安宅関跡、安宅住吉神社)。勧進帳一色の施設だらけで、主従クラスタの血が沸き立ちます。

莵橋神社(C) 安宅関を抜ける際に義経一行が祈願に来たと伝えられる。こちらのお旅まつりの「曳山子供歌舞伎」では義経ゆかりの演目が演じられることしばしば。

弁慶謝罪の地(C) 能美市道林町ヘ106番地 安宅関を抜けた後、弁慶が謝罪した場所との伝承。

巌根宮(C) 義経記にある義経が雨宿りした「岩本の十一面観音」がこれらしい(「南加賀周遊」より)

菅生石部神社(C) 義経記によれば、義経が参詣した場所。

源義経・源頼政ゆかりの地一覧 ページとばし用リンクここから一覧へ飛べます。

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参考文献等

「京から奥州へ 義経伝説をゆく」 京都新聞出版センター編 2004

義経記岩波文庫

京都市内:現地説明文(H27.8月2日現在)、義太夫「鬼一法眼三略巻」

「ふるさと昔語り」京都新聞http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/070306.html)(H27.8.9現在)

平清盛の京を歩く」京都市産業観光局観光MICE推進室(http://kanko.city.kyoto.lg.jp/kiyomori/index.html)(H27.8.9)

滋賀県:「鏡の宿 義経元服物語」竜王町観光協会http://www.town.ryuoh.shiga.jp/yoshitune/(H27.8.19)

兵庫県:「ひょうごツーリズムガイド」公益社団法人ひょうごツーリズム協会http://www.hyogo-tourism.jp/(H27.8.31)

須磨観光協会http://www.suma-kankokyokai.gr.jp/(H27.8.29)

神戸市http://www.city.kobe.lg.jp/life/ceremony/memorial/cemetery/enkaku.html(H27.9.12)

大阪市大阪市役所本庁(http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000008550.html)(2015/12/25)

高松市:「やしま山上ガイドマップ」屋島ドライブウェイ株式会社(http://www.kotoden.co.jp/publichtm/driveway/yd1.htm)H27.10.7現在

「源平屋島合戦」源平広域まちづくり推進プロジェクトhttp://www.e-yashima.jp/yoshitune/(H27.10.12)

徳島県

今治市:「瀬戸内しまなみ街道 おいでや!いまばり」公益社団法人 今治観光協会http://www.oideya.gr.jp/spot/area_shimanami/history/houmotukan.htmH27.8.8現在

奈良県:「大和高田市観光情報」大和高田市http://www.city.yamatotakada.nara.jp/kanko/(H28.11.26現在)

小松周辺:「まるごと・こまつ・旅ナビ」一般社団法人 こまつ観光物産ネットワーク(http://www.komatsuguide.jp/)(H27.8月3日現在)

「南加賀周遊」 南加賀商工観光推進協議会(http://www.minamikaga.com/yoshitsune/yuka_yosh.html)H27.8.3現在

神戸市:「解明!片岡愛之助の歴史捜査 天才武将 源義経 最強伝説に迫る!」BS日テレ2015.6.4放送

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まさに今剣と岩融!「牛若丸 弁慶 五条橋」(文楽)

   主従三世の縁の綱

        約束長き 五条の橋

 タイトルにてお分かりかと思いますが、牛若丸と弁慶の出会いのシーンを語ったものです。

 「鬼一法眼三略巻」というお芝居の五段目らしい。

 これは、とうらぶの義経主従クラスタにはかなりオススメですよ。牛若丸がかなりの強気ショタで、それに翻弄される大男弁慶という、もう我々がまさに見たかった! 義経主従がここにおるよ!! この演目の牛若丸はものすごく今剣ちゃんのあるじさまという感じがします。似てる!!

 このお話では五条橋で千人斬りしているのは牛若丸のほうで、それを懲らしめて召し使おうと思って弁慶がやってくるわけです(実際には召し使われるんですが)。

 若君(牛若丸)が千人斬りしてるのは修羅道に落ちた父を弔うため、という取ってつけたような設定が冒頭で語られます。あの英雄・源義経が若気の至りとはいえ、理由もなく千人斬りをしていてはやはりまずいのでしょうね。

 牛若は女装しています。女装ショタです。牛若といえば女装。

 五条橋で二人はすれ違います。牛若ちゃんの姿は「青柳の糸より細き腰つき」の女性ですから、お坊さんの弁慶は恥ずかしくて声もかけられず、橋のかたわらに寄ります(なにこのかわいい生物)。

 そんな弁慶を見て若君は「ちょっとなぶったろ(彼をなぶつてみん)」と、弁慶が右によければ右に、左に行けば左に寄って、通せんぼをします。そしてすれ違いざまに薙刀の柄を蹴り上げます。

 完全にケンカ売ってます。チンピラの所業です。

 これにはさすがの紳士・弁慶もキレる。薙刀を押っ取って切りかかりますが、若君これをひらりとかわし、薄衣を薙刀の柄に投げかけます。これはおそらく視覚的な美しさの効果を狙った演出であると共に、ここで牛若丸が本性をあらわす、という表現かなと思います。

 牛若は佩刀薄緑を抜き、弁慶と打ち合います。ちなみにこの演目ではっきりと名前の出てくる刀は薄緑だけ。弁慶の薙刀は権現様から賜ったという設定になっています。岩融は近年になってメジャーになってきた名前のようで、この頃の作品ではほぼ出てきませんね。

 

 牛若丸はひらり欄干に飛び移り、薙刀の刃の上に乗って弁慶の動きを封じたり。立ち回りの美しさと面白さが魅力です。牛若、完全に弁慶をおちょくってます。腹立ちますね。かわいい。

 ついに弁慶は薙刀を打ち落とされ、組もうとするも斬り払われ、万策尽きます。

「汝は何者」

 好敵手に名前を尋ねるのは古来からのならわしですね。「汝」と言っているのでこの時点では弁慶タメ口です。

「ホゝ、我こそは、源牛若丸」

「したり、道理で大抵の人でないと思うた。今より後は御家来、コレ可愛がって下さんせ」

 と頭を下げるのですが、なぜかこの場面でフフッて笑いが起きたんですよなあ。大阪やからかなあ。

 大男がショタっ子に縮こまって頭下げてるのがかわいくて笑っちゃうんでしょうな。

 はっきり言って、めちゃかわいい。もう、萌えしかない(真顔)。

 すごく短い幕ですが、本当にツボを押さえた演目で、牛若・弁慶が好きな人にはたまらん景事になってます。もう、グッジョブしかない。人形も義太夫も作った人分かってる。わたしいつの間に文楽書いたの? ていうくらい理想の主従がそこに。。。

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