義経の厳しさと思いやり「一谷嫩軍記」熊谷陣屋(文楽・歌舞伎)

 義経主従クラスタに捧げる演目紹介2。今回は熊谷陣屋。

 「一谷嫩軍記」は、一の谷の戦いに取材した時代物の人形浄瑠璃文楽)で、後に歌舞伎にも移入されました。

 その中でも「熊谷陣屋の段」という部分が有名で、文楽でも歌舞伎でもこの部分のみを抜き出して上演されることが多いです。通しで上演されれば義経の出番がかなりあるっぽいんですが、残念ながら私は通しでみたことがありません。

 「熊谷陣屋」には実は義経の出番はさほどありません。それなのに義経主従クラスタにこの演目を勧めるにはワケがあって、

 この悲劇(悲劇なんです)を引き起こしているのは義経

 義経クラスタにはぜひ、ウラには義経がいる! ということを発端から常に念頭に置いてみていただきたい。

「一谷嫩軍記」三段目切 熊谷陣屋

 物語がはじまると、美しい桜の若木が立っていて、その前には弁慶の立札があります。

「一枝を切らば一指を切るべし」(桜の枝を切った奴は、指切り落とすぞ)

 この桜の前で町人たちが

「これは義経様が花を惜しんでの立札であろう。しかしおそろしいことだ。間違いのないうちに帰ろう」

と言って帰っていきます。このシーン、ポイントなので覚えておいてください。

 すると陣屋に熊谷の妻、相模がやってきます。初陣を飾った息子のことが心配でこんなところまで来てしまったのですね。

 続いて、平敦盛の母、藤の方がやってきます。この人は、熊谷夫婦にとっては大の恩人です。彼らは恋愛結婚なのですが、本来許されない仲だったのを、この人のとりなしによって結婚することが出来たのです。

 藤の方は、熊谷が敦盛を討ったことを知り、仇討ちするから助太刀せよと相模に言う。相模は困ります。

 そこに義経クラスタの敵、梶原がやってきて、熊谷が帰ってくるまで待つと言って奥へ引っ込みます。

 さて、熊谷が帰ってきます。この熊谷登場のシーンも後で意味の分かる心情表現などがありますので、細かく見ているといいかもしれません。

 相模はいったん藤の方をかくし、熊谷を出迎えます。息子を心配してこんなところまできたこと、また息子が怪我をしたと聞いただけでうろたえる妻を熊谷はたしなめます。

 相模が熊谷に、なぜ敦盛を討ったのかと聞くと、「戦場では致し方ない」ことと答える。たまらず藤の方が息子の敵を取ろうと飛び出します。

 驚いた熊谷は必死に藤の方を押しとどめ、敦盛の立派な死に様を語って聞かせます。

 実はこの場面、熊谷は真実をそのまま語っているわけではないのですが、その腹芸が見所の一つです。

 熊谷、相模、藤の方のそれぞれの心情。みていて切ないものがあります。

 相模、藤の方に帰るよう告げた熊谷はいったん引っ込み、敦盛の首桶(首をいれた桶)を持って現れます。そこにやってくるのは、お待たせいたしました、御大将義経公です。

 御大将自らがなぜ?

 そして嘆き悲しむ藤の方の前で、敦盛の首実検(本当に敦盛の首か確かめること)が行われるのです。

 実は「熊谷陣屋」の後半には壮絶な大どんでん返しがありますが、あえてそこには触れませんでした。(調べたらすぐ分かっちゃうと思うけど)

 初回は知らずにみて、2回目は知って見ると、一つ一つのことば、一つ一つの行動の意味が違って見えて面白いかなと思います。

 始めてみた時の私の感想は「義経ひどい!!」 というものでした。

 しかし、二度、三度みると、義経は決して非道な人物としては描かれてはいない。むしろ部下への思いやりもある、情け深い人物です。

 ここに書けなかった後半部分で、義経の情け深さ、義理堅さなどがしっかりと描かれています。ここを紹介できないのは心苦しいのですが、ぜひ本編をみてください。

 義経がこの悲劇に置いて、こんな遠回りの方法を取ったのも、熊谷に逃げ道を作るためだったのかもしれません。

 「そこまでやる必要あるのかな」という疑問も湧きますが、情愛よりも義理、忠義にいきる武家は、そこまでやらなあかんのかもしれません。

 最初の感情を抑えた熊谷、主君義経に立札を叩き付ける熊谷、そして幕切れの熊谷の悲しみ。

 それぞれの心情描写もすばらしく、心を打つ面白い演目ですので、是非ご覧ください。

 みたくなったみなさま。心配要りません。

6/28日にNHK Eテレにて

文楽 二代目吉田玉男襲名 一谷嫩軍記 放送します!!!

http://www.nhk.or.jp/koten/invite/

是非ご覧ください!!!

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