源義経ゆかりの土地一覧(東日本編)

東日本編です。(中部地方を東日本に入れました)

A……史実のもの

B……AにいれるかCにいれるか悩んだもの

C……伝承色の強いもの

D……史実との整合性が無いもの、もしくは伝承の内容がはっきりしないもの

愛知県

名古屋市

熱田神宮(C) 義経元服の地の伝承2 義仲討伐前にここに留まったという記述が平家物語にあり。頼朝の母方の実家が熱田神宮の大宮司である。

岩手県宮城県

平泉町周辺義経第二の故郷にして終焉の地。

世界遺産の寺々は藤原氏との関係から考えても義経もおそらく訪れていたと考えて間違いないですが、具体的な伝承などがないため割愛します。情報お持ちの方お知らせください。

衣川古戦場跡(A) 泰衡との決戦地。弁慶が立ち往生した場所との伝承

弁慶の墓(B) 中尊寺の入り口月見坂周辺。弁慶を葬った場所とされる。周辺には亀井六郎らの討ち死にした場所も点在。

高館義経堂(B) 義経終焉の地と伝わるその1。

接待舘遺跡(B) 義経終焉の地と伝わるその2。 岩手県奥州市衣川区六日市場56

金田八幡神社(C) 宮城県金成町義経を奥州へ連れて行った金売吉次の屋敷跡といわれる。

遮那山 長谷寺(C) 義経がここを訪れた際手植えしたという遮那桜がある。

登米神社(C) 義経が戦勝祈願に訪れたとされる八幡宮

入谷八幡神社(C) 義経が勧請したとされる八幡宮

中尊寺 弁慶堂(D) 弁慶と義経の像を祀る。弁慶作の自像と伝わる像などがある。

静岡県

駿東郡

八幡神社(B) 頼朝と義経が対面したとされる「対面石」。富士川の戦いの時に頼朝が陣を敷いた場所。

神奈川県

藤沢・鎌倉周辺

白旗神社(B) 川を逆流して義経の首がこの地にたどり着いたとの伝承。祭神:源義経公 6月源義経公鎮霊祭

源義経公首洗井戸(B) 白旗神社近く。村人がお首を洗った井戸跡との伝承。

満福寺(B) 義経が頼朝に許しを請う「腰越状」を書いたという伝承地。

九郎明神社(C)神奈川県川崎市麻生区古沢497 祭神:九郎判官義経。奥州から鎌倉へ渡る途中立ち寄った。

二枚橋(C)通りがかった際、馬が通れないので弁慶が丸太を重ねた。

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参考文献等

「京から奥州へ 義経伝説をゆく」 京都新聞出版センター編 2004

義経記岩波文庫

岩手県:現地説明文(H27.9.27)

「南いわて・北みやぎ観光サイト案内所」http://www2.pref.iwate.jp/~hp2516/property/fujiwara/index.html岩手・宮城県際広域観光推進研究会(H27.10.2)

愛知県:現地説明文(H27.8月)

静岡県:清水町観光協会http://www.kakitagawa-kanko.jp/index.html(H27.8.19)

藤沢・鎌倉:「相州藤沢・白旗神社」(http://shirahata-jinja.jp/)(H27.8月3日現在)、現地説明文(H27.7.18現在)

朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20160530150150001.html朝日新聞(H28.12.4)

更新履歴

H27.9.3 以前の更新履歴は西日本編にあります

H27.9.3 東日本編を分離独立

H27.10.3 平泉町周辺を加筆

H.27.11.21 接待舘遺跡の住所加筆

H28.12.4 神奈川県加筆