与謝野晶子は女子にモテるタイプ

 先週末、与謝野晶子記念館に行った時には全く与謝野晶子の知識なく行ってしまったので、再訪前に少しは勉強しようと、いくつか彼女の作品を読んでみた。
 詩などとは無縁で、良し悪しもよくわからないから、的外れなことを言っているかもしれないが、ともかくこの今のファーストインプレッションのパッションっていうか、この、なんていうの、出会ったばかりのみずみずしい感動を記しておいて記憶に残しておきたいので、は~んこいつ分かってねえな、ていうのも多々あるかと思うがお目こぼしいただきたい。

 

 「みだれ髪」の歌はとてもロマンチックである意味少女趣味的でありながら、美しいエロティシズムを内包して、この時代には秘めて語られることのなかった女性の性と愛をはっきりと、美しく描き出し、今読んでも鮮烈かつ宝石のようにきらきらとしている。

 今読んだ私が、あ~なんてみずみずしい、新しい歌だろうと思うくらいなので、当時の女性たちがこれを読んでいかに感動し、解き放たれ、快哉を叫んだか、想像に難くない。晶子の歌は強く、美しい。これに憧れない女性がいるだろうか。もう、私がこの時代に生きていたら惚れる自信がある。歌劇のトップスターみたいなものである。こんなに強く、かっこよいのに、この人は確かに女性で、どこまでも美しい世界を私に見せてくれる。よし、ついていこう。

 私の祖母は幼いころに与謝野晶子を見たことがあるというのが自慢で、晩年までよく話していたそうだ。祖母は堺出身で、堺の人は与謝野晶子が好き、というのはあるにしても、当時の女の子たちにとって、与謝野晶子はあこがれの女性像でもあったのではないだろうか。

 実際、当時「新しい女」という枠組みで特集されたりしているようだし(ウィキで得た付け焼刃知識)、晶子のパリ行きの時にはのちに論争をしたりもする平塚らいてうも見送りに来たようだし(ウィキで以下略)、進歩的な女性として、その割に美しい詩世界を持つ作家として、女性の憧れを一身に背負っていたと思う。


 また彼女にとってエポックメイキングで有名な詩というと、「君死にたまふことなかれ」と青鞜創刊に寄せた「そぞろごと」があるかと思うが、これらは非常に思想的な詩でありながら、人間の感情に寄り添って感動的である。この二、三の作品を読んだだけの今の私には、彼女の思想をどうこう論ずることはできないが、これらの思想的作品にも彼女の美しい世界は十分に展開されていると感じた。

 

 そして、与謝野晶子の思想と言えば、そう、母性保護論争である。

 て書いたけど実はよく知らない。女性史のなにかのテキストを読んだ時に書いてあったなって。

 

 与謝野晶子記念館に行ったあとにツイートしたこれが私の知っている母性保護論争の全てだ。なのでネットで検索してみた。

古典を読む:母性保護論争−晶子とらいてう

 いくじ連のこの記事が両論併記して分かりやすかった。

 要は、らいてうが「社会(国家)が子供のための教育費を支給せよ」と主張するのに対し、晶子は「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」とし、女性の経済的自立の必要性を説いたということらしい。詳しくは上のリンク先を見てほしい。らいてうの言うことにも一理あるが、晶子の言うことの先進性もよく分かった。

 この記事に一つ私が思ったことを付け加えるとするならば、晶子は国家に対する不信がずっとあって、国家に子供の養育を預けてしまうことに対する大きな不安があったのではないかと思う。
 晶子は反戦主義というよりは厭戦、その主張も必ずしも一貫したものではなかったそうだが、少なくとも当時の政府を信じるに足るものとは思っていなかったのではないか。国家に子供の養育を負わせることで、国家からの見返りを要求されることを懸念したのではないか。
 晶子が言いたかったのは、経済的に自立できない女は子供を産むなということではなくて(まあそう言ってしまっているようだが)、国家や男に養育を頼ることで、女は自己決定権を失うのみならず、さらには子どもの未来・人生まで国家や男に自由に使わせてしまうことになるという懸念があったのだと思う。
 ヴァージニア・ウルフが「自分だけの部屋」で主張した「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」に近い思想がそこにはあると思う。

 しかし、晶子はどうもドアに鍵のかかる部屋は持っていなかったようだ。ということも与謝野晶子記念館に行けば分かるので、みなさんぜひ行ってみてね。