オダサクに恋する大阪

 私は大阪に生まれ育ったため、「織田作之助は偉大な作家である」という洗脳教育を受けて育った。家庭では両親から「オダサクはすごい、すごい」と教えられ(ちなみに両親は織田作之助の作品なんてロクに読んだこともない)、町を歩けば自由軒がよく分からない額縁に入ったオダサクの肖像を掲げているし、法善寺の近くを通ったら誰かがオダサクの講釈をはじめたりする。大阪とはそういう町である。大阪では阪神タイガース織田作之助の悪口は言わないほうが良いだろう。ともかく大阪の人はオダサクを大阪庶民の星、「我々」の中から出た偉人、卑近な神だと思っている。

 私も「オダサクはすごい、すごい」とずっと言っていた。まだ織田作之助作品を一作も読んだことのなかった少女時代から「オダサクはすごい、すごい」と言っていたのだ。仕方がない。洗脳されていたのだから。
 しかし私にもやがて織田作之助の作品を読む時がやってくるわけである。これは洗脳された者として避けては通れない宿命であった。誰しも神の著作を読まずにはいられないだろう。ここで神が裏切ってくれてさえいれば、私の洗脳は解けたはずだ。オダサクの作品ってしょうもな、つまらん。と思えば、さすがの私も目を覚ましただろう。しかし神は私を裏切らなかった。残念ながら「夫婦善哉」は大変素晴らしく、私は信仰を新たにした。そしていまだ、私の洗脳は解けないでいる。

 しかし作品を読むうちに、私にも分かったことがある。織田作之助は、我々大阪人が思っているようなモノではないということだ。我々が愛してやまない大阪のオダサク、それは我々が集団で見ている幻想である。その幻想はたしかに織田作之助という作家の特徴に端を発している。彼は正しく大阪の物書きであり、本人が目指した通り、まるで西鶴のように大阪の世俗を鮮やかに描きだしたけれど、それは彼の作品の本質ではない。

 市井の人を描くのがうまい作家というのは世の中にいくらかあるが、その中にあって織田作之助はまあなんというか、たいへん平静である。もっと言うと冷たい。反社会的なことに批判を加えないが、かと言ってよるべなき人に寄り添ったりもしない。
 市井を淡泊に書くというと、ヘミングウエイのハードボイルドが真っ先に頭に浮かぶが、あの人は実のところ情熱家で、淡泊な文章の行間に透けて見える彼の激情こそが持ち味だと思うので、やはり織田作之助ほどの平静さはないと思う。山本周五郎なども怜悧な文章だが、やはりその中に浮き出てくる彼の激情がある。つらつら思うに、市井を書きたいという思いの強い作家には激情家が多いように思う。その中にあって、織田作之助の平静さはちょっと異質だ。この平静さこそが、読者を勘違いさせるのだと思う。「彼はこちら側の人間なのだ」と。

 彼は、市井を異化する。
 私は文学に詳しくないので、なんか色々間違った解釈をしているかもしれないが、ともかく私は織田作之助を勝手に「異化の魔術師」と呼んでいる。ロシア文学から影響を受けたこともあって、彼の文章は日常をいったん切り離し、異質なものであるかのように捉えなおさせる文章が多いように思う。「馬地獄」なんかはまさに異化の魔術師の名にふさわしい作品だ(私見です)。すごく短いし青空文庫で読めるので読んでみてほしい。

図書カード:馬地獄

 彼の文章は見慣れた市井の日常を突き放し、遠くから観測して書くことで、新しい発見を引き起こす。これが異化作用だ(たぶん)。織田作之助は数字にこだわるということもよく言われるが、これも異化作用に寄与していると思う。「ほうれん草三銭、風呂銭三銭、ちり紙四銭」などというのは時代を隔てて読む現代の読者からしたらちょっと面白いことだが、想定された同時代の読者にとっては自明のことである。それをなんだか大切な、はじめて見たことかのようにていねいに描く。ここに日常生活が異化される。織田作之助は執拗に市井を描写し、それを突き放し、読者に市井の中の文学を発見させる。織田作之助にとって市井の生活が見慣れた日常だからこそ、それを突き放した時、異化作用が起こりうる。市井を異化できるのは、市井に馴染んだ作家だけである。
 織田作之助にとっては、大阪の裏店、路地、そこに暮らす人々の思考回路までもが慣れ親しんだものだった。彼の作品は、大阪の持つ独特の空気感、あきらかに東京とも京都とも違う都会の匂いまでも浮き上がらせる。ここまで鮮やかに大阪市井の文化を切り取ってみせた作家を、私は他に知らない。
 だから、大阪の庶民は織田作之助の作品を見て、なるほど、ここに書かれているのは我々のことだと感じる。そしてそれがただ日常を切り取った散文ではなく、異化によって文学に昇華されているのを見る。平準化され、織田作之助の平静な視点で切り取られたそれは、かえって生々しく我々の心に響く。泥臭い大阪が、泥臭いままに、文学になっているのを我々は見る。これが大阪の人間にとってどれほど新鮮な、うれしい驚きであるかちょっと想像してみて欲しい。平凡で無価値な「我々」が、そのままの生活、仕草、話し方で、織田作之助の筆によって文学となるのだ。ちょっと得がたい経験であることが、そして大阪が集団でオダサクに恋してしまうのも無理はないということが分かっていただけるかと思う。

 でもそれは副次的な効果であって、織田作之助の文学の本質ではない。たしかに織田作之助は大阪という土地にこだわった作家だし、大阪を間違いなく愛していただろう。でも彼は、別に大阪の代弁者になろうと思ったわけではない。彼が晩年(というほどの年でもないが)大阪流の親密な呼び方で「オダサク」と呼ばれるのを「腹の底では馬鹿にしとるんや」と言って嫌がっていたというエピソードにその思いが出ていると思う。我々大阪のオダサクへの熱狂は、結局のところ彼をさんざんこき下ろした東京文壇の反応と同根の、裏返しの反応に過ぎず、両者とも彼の作品の本質を見誤っているのだ。

 「文豪ストレイドッグス」(以下文スト)に出てくる「織田作之助」は、史実の織田作之助とは関係のない、独立したキャラクターだが、無頼派の他の面々とならんで、多少織田作之助らしい色付けをされている。
 この文ストの織田作之助を見た時に、私は結構わくわくした。もしかしたら大阪人でない織田作之助ファンが見ている織田作之助というのは、こういうイメージなのかもしれないと思ったのだ。
 「この世界には真に美しいものはない、という事実こそが、この世界を美しいものにしている」というのが織田作之助作品のテーマだと、文スト作者の朝霧カフカ氏は思っているんではないか。めちゃくちゃロマンチックな視点である。私なんかは、一番最初に織田作之助の作品の泥臭さに目がいってしまうので、こういうとらえ方はなんだか目が開かれる思いだった。言い訳がましいが、そういう面を見ていなかったわけじゃない。ただ、そこを正直重視していなかった。たしかに織田作之助の作品は、人間をどこまでも美化せず、その汚さも情けなさもさらけ出すというようなところがあるが、その割に世を拗ねたところが感じられない。それは根本的に織田作之助の作品が、この世界を美しいものと定義しているからではないかと思う。

 大阪という街で、街ぐるみの洗脳にさらされた私には、非大阪民が織田作之助をどう見るのかがよく分からない。正直に言って、織田作之助文学史上どれほど重要な作家なのかも、もはやよく分からない。泥臭い作家なのか、ロマンチックな作家なのかすら、全然分からない。でも私にとって、この作家がとても重要であることは、揺るがしがたい事実だ。たとえそれが、彼の作品の本質を捉えていない愛し方だとしても、大阪人として「オダサク」に愛を注ぐことをやめられない。それが、大阪人としての業なのだ。