歌舞伎座「十二月大歌舞伎」を見よう

 今回、令和元年歌舞伎座の十二月大歌舞伎昼の部を、歌舞伎初めて見るお友達と見る予定となりましたので、鑑賞の手引き的なものを作ってみました。割と力作なので公開します。あとなんか間違ってたらそっと教えてください。

 正直「阿古屋」の話しかしていない。

 

 演目紹介を本来一つ一つしたいところですが、今月の昼の部演目の中では、不勉強に阿古屋しか見たことないので(しかも映像で)、阿古屋だけ軽く解説させていただきます。

 

壇浦兜軍記 阿古屋

あらすじ

※「」内は私が意訳した現代語、『』は原文ママのセリフです。ただ底本に文楽の床本を使ったので多少言葉が違う可能性があります。

 

 阿古屋は時代物*なので、言葉は聞き取りにくいと思います。あまり聞き取りに必死になりすぎず、あらすじだけ頭に置いておいていただければ、ところどころ聞き取れなくても理解できると思いますので気楽に見てください!

 「阿古屋」は壇浦兜軍記という長い物語の中の一部です。前後の部分は今日ではまず上演されることがありません。歌舞伎はこういうことが多く、人気のある演目の、人気のあるシーンだけが繰り返し上演されます。人気あるシーンをよりあつめて上演することを「みどり」と言います。今回見る十二月大歌舞伎も「みどり」です。「よりどりみどり」の「みどり」ですね。

 

 「阿古屋」は平家の残党、平景清藤原景清)を題材とした景清物の一つです。景清は結構人気キャラ(?)で他にも景清を書いた作品がいくつかあります。このお話では、景清は源頼朝を討つため京都に潜伏中、源氏はその行方を追っています。

 阿古屋は京都・五條坂の遊君(遊女)で、景清の恋人です。景清の行方を知っているだろうということで、堀川御所(源氏の京都での住まい)に呼び出されました。

 阿古屋は打掛を羽織り、豪華な衣装で登場します。堂々としたたたずまい。阿古屋を連れてきた手下が「いろいろ責め立てたが、景清の居場所を言いません」と報告。すると岩永左衛門(赤い顔で怒ってる方です)が、

「阿古屋は拷問に疲れてる様子もないし、お前らの調べが手ぬるいのだ。自分の屋敷に連れて行って居場所を吐かせてみせよう」

 と言います。この岩永というのは敵役です。忠義者を装っていますが、自分のことばかり考えている、そういう役です。岩永の役の見どころは「人形振り*」です。これは後述するので興味があれば読んでください。この岩永を押しとどめ、重忠(白い顔で真ん中に座ってる方)が阿古屋を諭します。

「義理と情けを立てる遊君のお前だから、夫の行方などそう簡単に言えるものではないだろうが、鎌倉殿(頼朝)へのご奉公なのだから、そこをよく弁えて話しなさい」

 重忠は情けある、理知的な人物です。なのでこうやって言葉を尽くして阿古屋を説得しているわけですね。この言葉に阿古屋は、

「勤めの身(身を売っていること)の心を汲んでのおっしゃり様、景清殿の行方を知っていればお心にほだされて言ってしまうだろうが、知らないので言えない。言わないのであなたたちも私を責めねばならないだろうが、それもあなたたちのお勤め、私は責められるのが勤めの代わり、『勤めといふ字に二つはない。憂き世ではあるまいな』」

重忠のお心に感謝しつつ、名のある遊君としての矜持を示した、かっこいい切り返しですね。これを聞いて岩永はキレる。

「お前は妊娠しているらしいな。いいことを思いついた。塩煎り責めにしてくれよう(よう分からんが、多分めっちゃ恐ろしいことを言ってる)」

 これを聞いて、阿古屋は笑います。

「そんなこと怖がって苦界が勤まるか。(重忠と岩永は)同じように殿様顔しているけれど『意気方は雪と墨(心根には雲泥の差がある)』。水責め火責めには耐えられるが、重忠様の計らいで色々労わられて、義理づくめで諭され景時の居場所を聞かれた今日の方がよっぽど苦しい。しかし知らないので仕方ない、もういっそ殺してください」

「ここまでしても本当を言わないのなら仕方ない、拷問しよう」

 と重忠が言います。岩永は喜んで水責めの用意をさせようとしますが、重忠の手下が持ってきたのは、琴、三味線、胡弓です。

「何をふざけたことをしている。拷問などと言って、遊君に琴弾かせて、自分の楽しみにするつもりか」

 と岩永は怒りますが、重忠は琴弾けと阿古屋に迫ります。

 

〽影といふも、月の縁。清といふも、月の縁。かげ清き、名のみて、映せど、袖に宿せず

 (ことばを掛けて、景清の行方は知らないと歌っている)

 続けて、重忠は「景清との馴れ初めを言え」と迫ります。

「変わったことをお尋ねになる。あれはまだ平家が力を持っていた頃、清水に毎日詣でていた景清と、五條坂でいつしか顔みしりとなり、羽織の裾のほころびをちょっと直してあげたり、急な雨に傘を貸してあげたり、『雪の朝の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒一つ』男女の関係となったが、平家が都落ちしたのが縁の切れ目となりました」

 

 続いて三味線を弾けと重忠は言います。そこで、阿古屋は帝の寵愛を失った中国の官女の故事に由来する謡曲「班女」を弾きます。要はもう自分は景清に顧みられなくなったのだという意味です。

 「しかし、景清が京都に潜伏している時に、度々会っているのだろう」と聞かれ、阿古屋は「京都に戻ってきた景清とは、自分の勤める店の格子先で、編笠越しに一言声を交わしたきり会っていない」と答えます。これに重忠は「そういうこともありそうだが、恋は思案の外というから本当のところはどうか分からない。今度は胡弓を弾け」と言います。

 

〽吉野龍田の花紅葉、更科、越路の月雪も 夢と冷めてはあともなし ~~

これを聞いて、重忠は音に現れた誠に感動し、「景清の行方を知らないという言葉に偽りはない。これで拷問は終わりだ」と言い、阿古屋は涙を流し喜びます。

 

 

 はじめて見ると、え、ここで終わり? て思うかもしれませんが、「みどり」はこういう「続く!」みたいな、アニメ第1期最終回でファンが「ここで終わり~?」てTwitterで嘆く感じの終わり方が多いです。そういうものだと諦めてほしい←

 あと、なぜ琴・三味線・胡弓を弾くのが拷問なんだっていう根本的なところが気になってしまうかもしれないのですが、まあこれは歌舞伎の華やかな嘘ということでとりあえず納得してほしい。さらに言うと、妊娠している阿古屋への重忠の思いやりとか、高位の女郎なんか買えない江戸時代の庶民に対して、琴・三味線・胡弓をさらりと弾いてしまう華やかな廓文化の一端を見せるという趣向でもあると思います。音に誠があらわれる、というところも非常に物語としては美しいのではないかと思います。この琴・三味線・胡弓の三曲を弾くというのが非常に難しく、長い間、坂東玉三郎しか「阿古屋」を演じられる役者がいないと言われ続けていました。去年から若手の梅枝、児太郎がこの難演目に挑んでいます。

 あらすじ読むと「それで?」感が強いかもしれませんが、これで感動させるのが舞台の魔法っていうか、役者の力量だと思います。感動できなかったとしても役者の力量不足とか、自分との相性の問題とかだと思うので、万が一「しょうもな」って思っても懲りずに違う役者、違う演目で歌舞伎を! 見ていただければうれしいなって思います。

 

 

演目解説(読まなくても話は分かります。暇なら読んで)

時代物 壇之浦兜軍記は、この作品が作られた時代(江戸時代)から見て過去の歴史上の事件に題材を取った、「時代物」と言われるジャンルになります。(ちなみに江戸時代が舞台の作品を「世話物」と言います。)いわゆる歴史ジャンルになるのですが、歌舞伎には大河ドラマのような考証をしっかりした作品というのは基本存在しません。過去の創作(「平家物語」など)などを下敷きに新しい解釈を入れた重厚な人間ドラマ、不思議な要素を組み入れた歴史ファンタジーなどが主流です。時代物は観客の現在の生活からかけ離れた世界を描けるので、衣装やメイクなどはデフォルメが激しくなる傾向があります。また、あんまり時代考証とかちゃんとしないので、意外と風俗は江戸時代そのままで描かれたりします。こういうところ、日本の現在のゲームアニメとかと似てるなと思います。戦国BASARAとか、服装のデフォルメすごいじゃないですか、革ジャンみたいの着てるし。技とかもなんかすごいし。ああいう実際のその時代の風俗からは離れていく感じです。言葉も世話物は割と普通に聞き取れる話し方ですが、時代物は節回しが独特で、聞き取りにくかったりすると思います。まあまあ歌舞伎見てる私もたまに聞き取れていません。聞き取りに必死になると疲れるので聞き取れなかったらなんとなくで流してもいいと思います。要所要所はゆっくりしゃべったりしてくれるので聞き取れると思います。

 

丸本物 人形振り また、壇之浦兜軍記はもともと人形浄瑠璃(いわゆる文楽)のお芝居を歌舞伎にアレンジしたものです。他にも人形浄瑠璃から歌舞伎に移された芝居は多く、このジャンルを「丸本物(義太夫狂言)」と言います。これらの物語は、大阪発祥の「義太夫節」というもので語られます。「義太夫節は、語り手の太夫(たゆう)が、物語の進行だけでなく、全ての登場人物に関する心理状態や感情を原則として一人で語り分けます。」(文化デジタルライブラリーより引用)。歌舞伎でも太夫が出てきて、舞台の横で物語を進行します(ちなみに歌舞伎の義太夫節のことを文楽義太夫と分けるために「竹本」と呼んだりします)。

 要はナレーションと人物のセリフを全部ひとりの人が語るのがそもそもの義太夫節なのですが、これを歌舞伎に移すので、人物のセリフの部分は歌舞伎の場合、役者が語ります。時々太夫に語らせて役者は身振りだけするアテレコ方式を取る場面もあります。

またこの義太夫節というのが、なかなか聞き取れない。私は人形浄瑠璃の方もそれなりに見ているのですが、それでも割と聞き取れていません。これもあまり聞き取りに必死にならずに、聞き取れたところだけ理解すればいいと思います。義太夫も突き詰めれば音楽です。節回しの音を楽しんでいればちょこちょこ意味わからなくても、意外と感情移入できますマジで!

 そしてこの丸本物に時々使われる趣向に「人形振り」というものがあります。役者が、人形浄瑠璃の人形の動きを真似て、人形遣いに操られているような所作をすることを言います。もうこれは実際見ていただくのが一番だと思うので、今回の岩永の人形振りをぜひ見ていただきたいと思います。

 

 

かるく俳優紹介

 はっきり言って、歌舞伎鑑賞なんて全然高尚な趣味じゃありません。基本的にはかっこいい役者にキャーキャー言うてるだけです。なのでぜひお気に入りの役者さんを見つけて一緒にキャーキャー言ってほしい。

 ちょっと豆知識なんですが、歌舞伎の配役表などに、割と役者さんの名字が載ってないことがあると思います。これは歌舞伎役者は同じ家の人(弟子も含めて家)が多いので、名字が同じ人がめちゃ多く、言うまでもないから省略されています。役者さんを「中村さん」「坂東さん」と呼ぶこともないです! いっぱいいるから! 「○○(下の名前)さん」と呼べばもう大丈夫。これだけ抑えればもうあなたも歌舞伎役者通。

 

坂東玉三郎(五代目 大和屋)

重要無形文化財保持者(人間国宝)、日本芸術院賞・恩賜賞、などなどなど。歌舞伎女形人間国宝なのは玉三郎さんのみです。当代随一の女形と言っていいと思います。

 玉三郎さんは歌舞伎の家出身ではなく、守田勘弥の養子となって坂東玉三郎を襲名しました。こういう梨園の家出身じゃない人が人間国宝になるっていうこともまずあまりないことです。歌舞伎だけでなく、バレエ、組踊などにも取り組み実績を残しています。正直、すごい人すぎて、好きすぎてことばにできないので、とりあえず今回その芸を見ていただきたい。

 

尾上松緑(四代目 音羽屋)

 早くにお父様を亡くされて、やはり苦労されたと思います。荒事(勇敢な役、「勧進帳」の弁慶とか)が上手いイメージがあるので今回の岩永もいいと思います。

 

坂東彦三郎(九代目 音羽屋)

 口跡が良く、演技もうまくて好きな役者さんです。ヤクルトスワローズファンで有名です。

 

市川中車(九代目 澤瀉屋

 香川照之です。歌舞伎役者になりたての頃と比べて、本当に上手くなられました。今回演じられる「たぬき」は新歌舞伎なので、言葉も現代語に近く分かりやすいと思います。もともと演技はうまい人ですから新作歌舞伎なんか、めちゃいい演技されますので期待していただいて大丈夫だと思います。

 

中村梅枝(四代目 萬屋

 まだお若いんですけど、本当に上手くて、何回かまじで絶句したことがあるくらいのやばい上手い役者です。若手の演技じゃない。今回は舞踊なんでそこまで演技見られないと思いますけど、踊りもうまいのでほんとに見てほしい。

 

中村児太郎(六代目 成駒屋

 こちらも若手期待の星の女形です。演技もうまいし、若々しい魅力もあるし今から注目しといて損はないと思います。