日中戦争開始時の雑誌「上方」を読む

 かつて「上方」という名の雑誌がありました。
 上方郷土研究會というところが出していた郷土研究雑誌で、現在でも上方(特に大阪)を知る資料として、多くの研究者に利用されている雑誌だそうです。大阪歴史博物館の以下展示説明が雑誌「上方」について簡潔に説明されていてわかりやすいかと思います。

www.mus-his.city.osaka.jp

 

 私も今回、大阪の夜店ってどんな感じだったんだろうってことが調べたくて、雑誌「上方」を読んだのですが(そっちの結果はToggetterに上げてあります織田作之助作品から読み解く昭和初期~戦中の大阪 - Togetter

、たまたま該当記事が載っていたのが日中戦争開始直前の号で、前後の号を読んで、え、これ面白れぇな…てなったので、日中戦争開始前後の「上方」の紙面の変遷について記したいと思います。

 

 「上方」は前述の通り、郷土研究雑誌です。本来なら、戦争の記事など載るような雑誌ではありません。しかし、全く戦争を無視することもまた、当時の世情に合わなかったのでしょう。そこで逆に「中国と戦争してるんだから、日清戦争時代の大阪っていう特集組めるんちゃうん」て思って、詳細な日清戦争当時の証言を集めてくるところなど、時勢に合わせながら「上方」らしい誌面を作っていく、編集者・南木芳太郎の気概を感じました。

 

激動の昭和12年

 

まずは昭和12年の主な出来事を以下に記します。 

5月 文部省「国体の本義」刊行。

6月 近衛文麿内閣発足。

   普天堡の戦い(普天堡事件)

7月 盧溝橋事件。日中戦争開始。

11月 大本営令制定。非戦時にも大本営が常時設置となる。

12月 南京占領(南京事件)。

 

 これらの出来事を頭に置いたうえで、「上方」の特集を見ていきましょう。

 

国家権力の動きに呼応しつつ、独自の編集方針を堅持する「上方」

 ・昭和12.5月77号「上方魚島号」
表紙「雑喉場魚島図」
魚市場の歴史、大阪の魚料理などの特集。特に鯛。編集後記に「何といっても喰い倒れの大阪では鯛が王座である」て書いてあるけど、鯛ってそんなに上方っぽい食べ物なのだろうか。
しかし濃いなぁ~。一つ一つの記事が濃い…。

 ・昭和12.6月78号「北畠顕家号」
表紙「雨中の阿部野神社西阪」
北畠顕家六百年遠忌特集。

おそらく前月に刊行された「国体の本義」に呼応した特集ではないかと考える。「万世一系」論に基づき、南朝を正統とする考えで、大阪で亡くなった北畠顕家を特集。しかしあくまでも歴史学的視点で、記事には政治色がほぼない。

 ・昭和12.7月79号「淀川号」
表紙「淀川三十石船」
大阪の経済を支え続けた淀川、度重なる改修、その歴史と流域の文化を記すことは大事だと思いますよ。思いますけどあまりにも渋い特集すぎへん?? この雑誌売れる?? 大丈夫??普段50銭の雑誌「上方」ですが、この号のみ60銭です。頑張れ…売れた? 大丈夫??

 ・昭和12.8月80号「銷夏号」
表紙「昔の順慶町夜店風景」
夜店、脚絆、タコ、相撲(?)など夏の風物詩についての特集。この号はかなり雑多で、楽しく読める。武庫川、山崎、淀川左岸など、前号の続きと思われる記事もある。「淀川特集」がかなり気合の入ったものだったらしいことがうかがわれる。

 ・昭和12.9月81号「日清戦争時代号」
表紙「玄武門原田重吉先登の図」
あきらかに前月に勃発した日中戦争に呼応した特集。巻頭特集「大阪文化史より見たる日清戦争」。
色々な当時の人の証言を集め、日清戦争時の詩歌や軍歌などもかなりの数蒐集している。大阪に特化しているが、それにとどまらず、当時の状況を克明に記録する、非常に意味深い特集となっていた。

しかし6月号でも思ったが、世の中の動きに対する反応速度が速いよな。こんなすごいボリュームの特集を一ヶ月で用意できるものなんだろうか? そしてやはりこの号でも政治色は極力排除され、基本的には文化史の視点から切り取っている。巻頭特集の名前にもその方向性が見える。ただ、幅広い証言を集めているので、政治的側面の証言がないわけではない。

 ・昭和12.10月82号「続・日清戦争時代号」
表紙「中之島凱旋祝賀会の光景」
カット写真に「月山貞勝師の鍛刀道場」。「支那事変勃いらい日本刀は『皇軍の兵器』として引っぱりだこの盛況」との記述。のちに触れるが、松坂屋も突然日本刀の宣伝をはじめるので、日本刀特需があったようだ。
特集内容としては前号と同じ総力特集である。

 ・昭和12.11月83号「(副題なし)
表紙「七五三詣」(「祈武運長久」と書いてある幟が書いてあるもの)
巻頭「甲賀流と忍術」他雑多な読物。

突然柔らかい号が来たぞ!! 面白いけど! 
しかし「暴虐なる南京政府は覚醒の色すら見せず(略)益々その愚を暴露しつつある。」などの文章もあり、かなり軍事色は強くなってきている。割と穏健な誌であろう「上方」でこの論調なので、正義を為す戦争であるという喧伝が徹底してなされていたのかなと思う。

 ・昭和12.12月83号「(副題なし)
表紙「大阪城天守閣雪景色」
カットは各種戦時風景である。
特集は赤穂浪士。年末の特集は例年赤穂浪士らしいので戦争は関係ないらしい。

南京陥落直前であることに触れた文章も散見される。なんとなく短期決戦で勝利するのではないか(もしくはしてほしい)、みたいな気分が感じられる。出征者やその家族、戦死者への思いがある。

 

 

広告の変遷

 この頃の「上方」には「高島屋」「三越」「松坂屋」の三つの百貨店が広告を出しています。いづれも当時大阪にあった大百貨店ですね。広告内容は雑誌の編集方針と直接関係あるものではないですが、この変遷も興味深かったので記します。

 

高島屋

 高島屋は呉服を前面に押し出した広告が多かったです。今でも「呉服は高島屋」というイメージが、少なくとも私の母親世代くらいまでの大阪人にはあります。古臭くなりすぎない、モダンな柄の和服イラストが大半を占め、硬めでおしゃれな手堅い感じ。季節もののファッションの宣伝も適宜入れています。多分なんですが、高島屋は大阪店に力を入れてきたはずで、この頃、なんば南海店に東洋一の食堂なんかもあったはずです。現在も本社住所大阪にしていますし。戦争が起こった後も、高島屋が一番最後まで通常通りのおしゃれな女性が町を行くイメージの広告を打ち続けていました。

三越

 三越は洋服のイラストを多用し、またそのデザインが斬新でかっこいいですね。高島屋よりも新しい世代をターゲットにしているのかもしれません。戦争が起こるとしばらく、洋服前面の広告をやめ、女性の笑顔のイラストに変更。派手な広告を自粛したのかもしれませんが、その後またおしゃれ広告に戻ります。ちょうどこの年に改装を終え、全面冷房設備となったそうです。(ちなみに高島屋はもっと早い段階で冷房完備となっています)。

松坂屋

 松坂屋が一番変わり種ですね。他店がファッションイメージを一心に押し出している中、松坂屋は今でいうところのカルチャーセンター「松坂倶楽部」の広告を執拗に打ちます。カルチャーセンターの講座の内容は小唄に将棋、料理など幅広く、エンタツなどスーパースターも講師陣にいるようで、たしかに魅力的なカルチャーセンターなのは間違いないのですが、それが一番の売りの百貨店てちょっと面白いですね。
 日中戦争開戦には一番ビビットに反応し、戦時広告を二度連続で打ちます。そのあとは通常の商品券などの広告に戻りますが、「松坂倶楽部」の宣伝は無くなります。

 

・昭和12.5月77号
高島屋「髙島屋が取揃へた”ゆかた夏の陣”」あやめにあじさいの浴衣姿の女性イラスト
松坂屋「松坂倶楽部(将棋、南画、料理など)」
三越「大阪三越開設30周年記念」記念売出告知

・昭和12.6月78号
高島屋「飛ぶ様に売れる…髙島屋の麥稈(カンカン)帽」飛ぶ多数のカンカン帽イラスト
松坂屋「松坂倶楽部」華道、小唄、エンタツと円馬の話術研究
三越「颯爽と夏へ…衛生的な全館冷房」

・昭和12.7月79号
高島屋「お買物と交通の中心『髙島屋』」
松坂屋「商品券」中元向け広告
三越「全館最新冷房完備 爽涼の三越」夏用ジャケットにロングギャザースカートの女性イラスト

・昭和12.8月80号
高島屋「商品券」中元向け広告
松坂屋 前号に同じ
三越 前号に同じ

 ・昭和12.9月81号
高島屋「今秋の流行『呉服の高島屋』」着物に洋手袋をする女性イラスト
松坂屋(いつも高島屋が取っている表紙裏のトップの広告位置を取っている)

  「皇軍萬歳(フォント大)/ 祝・壮途、祈・武運長久

  〇新古日本刀の即売

  〇軍装用品特設売り場

  〇慰問袋の御用承り」
三越「明朗な秋の百貨充実」笑顔の女性バストアップイラスト

昭和12.10月82号
高島屋「秋から冬への…婦人コート」コートっていうが道行のことである。モダン柄道行を着る女性のイラスト
松坂屋 前号と同じ
三越 前号と同じ

・昭和12.11月83号
高島屋南海鉄道高架線開通 ますますご便利に」
三越「冬近し」洋服と和服の女性2人を配す
松坂屋「商品券」お歳暮

・昭和12.12月84号
高島屋「商品券」お歳暮
三越「商品券」お歳暮
松坂屋「商品券」お歳暮