歌舞伎ファンから見る菊池寛「藤十郎の恋」 ~そしてこれは文アル朗読CDの販促~

 

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

  • アーティスト:三木眞一郎
  • 発売日: 2020/03/25
  • メディア: CD
 

 

 文豪とアルケミストの朗読CD第10弾「菊池寛 藤十郎の恋」が発売されました。聞きました? みなさん。三木眞一郎さんの朗読、最高でしたね。ボーナストラックで思いの他、初演をつとめた初代中村鴈治郎についての言及があって、歌舞伎ファン的に高まりました。

 私は歌舞伎が好きなので、歌舞伎の舞台「藤十郎の恋」を二回観たことがあります。この演目は成駒家成駒屋中村鴈治郎家にとって非常に大切な演目で、上方歌舞伎ファンの私にとってもやはり、見るたびに思い入れの強まる演目です。

 この作品の文学的な立ち位置とか、価値とかは全然わからないんですが、歌舞伎好きから見たこの作品の面白さ、そして初代中村鴈治郎がこの作品に込めた思い、そして「藤十郎の恋」の藤十郎を役者が演じることの良さ(ファン視点)、みたいなものを書きたくなりました!! ちょっと歌舞伎の知識を入れて見ると、この作品の理解が深まるかもしれないので、よかったら是非読んでいってください。そしてこの朗読CDまだ買ってない人はぜひ買ってください。

 

以下にちょっぴり緊急座談会のネタバレがありますのでご注意ください。

「和事の藤十郎

 この作品の最初には、当時の歌舞伎界についての説明があります。だからまあ、この辺の説明は菊池寛に任せておけばよいのですが、ともかく坂田藤十郎ってのは本当にすごい、伝説の役者で、「和事」の創始者、「上方歌舞伎」の始祖とも呼ばれていることを、まずお伝えしたい。

 ボーナストラックで利一先生も触れて下さっていますが、元禄時代は大衆のための文化が大きく花開いた時代で、歌舞伎もこの時代大きな飛躍を遂げました。その変革の一翼を担ったのが、初代坂田藤十郎です。

 

 歌舞伎と聞いて、パッと思い浮かぶ光景はどんなものでしょうか。派手な隈取、見栄をする役者、大立ち回りなどというものを思い浮かべる方も多いのかなと思いますが、こういったものが確立されたのもこの時代です。しかしこれは坂田藤十郎の創った歌舞伎とは別の系統です。作品内にも登場した、初代市川團十郎の創始した「荒事」がそれですね。勇猛で雄々しい豪快な荒事は、主に武士が多い江戸で好まれました。

 それに対して「和事」というのは柔らかで優美な芸、主に優しげでたおやかな美男子が色恋ごとをする様をみせる芸で、この初代坂田藤十郎が創始したと言われています。作品内にでてくる「傾城買い」というのは、和事の典型的な型の一つです。
 和事の作品に出てくる登場人物は町人が多く、町人の町・上方で愛された芸です。江戸の完全無欠なヒーローが活躍するものに比べて、やや滑稽味のある、隙のある男性が主人公となることが多いのが特徴です。この時代、まだ「和事」という名称がなかったのか、作中にその言葉が出てくることがありませんが、藤十郎が思い悩み、突き詰めようとしている芸はまさにこの和事です。

 

 しかし、江戸に和事がないわけではありません。それが作中の藤十郎のライバル、中村七三郎が得意とした江戸和事です。

 上方の和事と江戸和事の違いを、「つっころばし」「ぴんとこな」と呼ばれる、二つの役柄を説明しながら明らかにしたいと思います。
 つっころばしというのは、その名の通りつつけば転びそうな、甲斐性もなく、なよなよとした男の役柄です。それはちょっと情けないほど。そのちょっと情けないところが、滑稽味につながります。作中で「藤十郎どのの伊左衛門は、いかにも見事じゃ」といわれている、この伊左衛門こそが典型的なつっころばしの役柄です。
 それに対して「ぴんとこな」は、一見柔らかい優男に見えますが、その内側にはぴんと張りつめた、激しいところがあって、じゃらじゃらしたシーンを演じても、滑稽味がない役柄です。作中で「京の濡事師とはまた違うて、やさしい裡にも、東男のきついところがあるのが、てんと堪らぬところじゃ」と言われているこれが、まさに、ぴんとこなってやつです。
 歌舞伎用語の説明などを見ると、「つっころばし」も「ぴんとこな」も上方和事の役柄として紹介されていますが、菊池寛は「つっころばし」を上方らしい役、「ぴんとこな」を江戸らしい役として描いているようです。これは一面真理だろうと思います。ぴんこなの役柄はたいていの場合、武士か、もともとは武士だが町人に身をやつしている男性である場合が多いです。こちらの役の方が江戸で好まれたという側面はあるのではないかと思います。

 初代藤十郎はつっころばしで名をはせた名優です。しかし、江戸の七三郎の進出で、全く新しい役柄に挑戦しようとした。この辺の設定が、菊池寛の歌舞伎への深い造詣が垣間見られるなあって思いました。

 

 坂田藤十郎の再来、「初代中村鴈治郎


  菊池寛が小説「藤十郎の恋」を発表してすぐ、初代中村鴈治郎がこの作品に目を付け、数ヶ月で歌舞伎化し、これが大当たりしました。「藤十郎の恋」を語るとき、中村鴈治郎を外して語れないほど、この舞台の人気はすごいものだったそうです。なぜ鴈治郎がこの「藤十郎の恋」を演じたいと熱望したのか、そしてこんなに舞台がヒットしたのか、という話をちょっと聞いていってほしい。のですが、ちょっと今図書館が開いていないので、参考文献に当たれなくて、記憶で書いているのでところどころ間違っているかもしれません。間違っていたら図書館開いてから修正します。

 

 初代中村鴈治郎というのは、もう当時のスーパースターです。松竹株式会社は今や押しも押されぬ大企業ですが、この会社がここまで大きくなったのは、白井松次郎大谷竹次郎という創業者兄弟の才覚と、この中村鴈治郎の人気があったからと言えます。詳しくは白井松次郎Wikipediaに書いてあるので興味あれば読んでください。

 そんなスーパースター鴈治郎は、「中村歌右衛門」という名前を継ぎたいと考えていました。この中村歌右衛門っていう名前は、成駒屋で最も権威ある名前の一つです。それに対し、中村鴈治郎という名前は、「初代」であることからも分かる通り、彼がひとりで大きくした名前です。名前を大きくするということは非常にすごいことですが、同時に、やはり自分に見合うだけの大きな名前を継ぎたい、というのも歌舞伎役者にとっては夢なんだろうと思います。彼の父親は四代目歌右衛門の養子でしたし(親子の関係はちょっと色々あるんですけど)、鴈治郎中村歌右衛門を継ぎたいと考えたのも、まあそこまでおかしな話ではないのですが、紆余曲折あって、中村歌右衛門という名は、ほかの役者が継ぐこととなります。この辺のやや詳しいことは初代中村鴈治郎Wikipediaにも書かれているのでご興味あれば読んでください。ともかく、このことは鴈治郎にとって、非常に不本意で、納得できない出来事でした。

 

 自分が大きな名前を継ぐだけの実績も、人気も十分にあると考えていた鴈治郎が、次に目を付けたのが、大名跡坂田藤十郎」でした。

 坂田藤十郎というのは長く名跡を継ぐ者がなく、伝説の名前になっていました。いうなれば永久欠番みたいな感じですね。
 鴈治郎は上方の役者で、和事の名手でした。名実ともに上方随一の役者だったと言えるでしょう。上方歌舞伎の始祖、和事の創始者、この伝説的な坂田藤十郎の名を継げる者がいるとしたら自分しかいない、と考えたのではないでしょうか。

 しかし、坂田藤十郎は山城屋という家の名前で、成駒屋中村鴈治郎とは直接の関係はありません。でも、ドラマCDの緊急座談会で、川端先生が鴈治郎藤十郎の血筋だと言っていましたね。私はじめて知りましたそれ。たしかに歌舞伎役者って、辿っていけばみんな親戚なんで、血筋じゃないことはないと思いますが、でも直系とは言い難いんじゃないかと思います調べてませんが! しかし、先生方がそう言っているということは、おそらく鴈治郎が当時、そう主張していたのだろうと思います。
 あと、上方歌舞伎では血筋よりも芸の筋目を大事にする伝統があります。東京では血筋が大事にされて、芸が親から子に受け継がれていきますが、上方では芸の優れた門弟が実の息子より優遇されることが、昔はよくありました。二代目坂田藤十郎も初代藤十郎の門弟で、二人に血のつながりはありません。だから、ほんの少しの血筋関係でも、襲名は確かに可能です。より大事なのは、中村鴈治郎の芸が、坂田藤十郎の名前にふさわしいか、彼が坂田藤十郎の芸を継承しているのかということです。
 しかし、誰も坂田藤十郎の芸を実際に見たことはありません。鴈治郎はたしかに当代一の和事の名手でしたが、それがすなわち藤十郎の芸を継承していることになるかは、ちょっと根拠が弱い感じがします。

 そこにあらわれたのが菊池寛の「藤十郎の恋」でした。この作品の藤十郎っていうのは、凄まじいまでの情念で芝居に取り組む、舞台の鬼って感じですね。
 初代鴈治郎は、自分が認められなかったことへの怒りと、反骨と、「上方歌舞伎を背負って立つのは名実ともに俺だ!」という渾身の思いを込めるにふさわしい題材として、この「藤十郎の恋」を選んだのです。鴈治郎がこの舞台にかける思いは相当のものがあったと思います。「藤十郎の恋」は上演後すぐに、不義密通が題材だという理由で上演禁止処分を食らうのですが、鴈治郎は「わてが牢屋に入ったらええねやろ」と言って上演を続けたと言います。この舞台のすごさは想像するしかありませんが、菊池寛の描き出した藤十郎のすさまじい情念と、鴈治郎の凄まじい情念が入れ子構造のように重層的に重なり、人々を魅了したのではないかと思います。いい舞台ですね~~(見てきたかのように言うやつ)。

 もう一つ、この作品を鴈治郎が演じることの大きな意味は、もうお分かりかと思いますが、人々が藤十郎鴈治郎を同一視するようになることでした。緊急座談会で菊池先生が、「鴈治郎があまりにも藤十郎のイメージにピッタリすぎだとかって、当時相当大騒ぎになった」っておっしゃっていましたが、これがまさに、鴈治郎が狙った効果だったと思います。「鴈治郎はまさに藤十郎そのものやないか」と世間に言わせること、坂田藤十郎と言えば中村鴈治郎中村鴈治郎といえば坂田藤十郎、というところまで持って行くことが、この名前を襲名するのには必要だったのだと思います。
 おそらく、鴈治郎の贔屓筋も、この鴈治郎の気持ちは分かっていたと思います。だから、贔屓はことさら「がんじろはんは、ほんまに藤十郎そのものや」と言い立てたことでしょう。そして舞台の出来も非常に良かった。相当大騒ぎになったのはそういう背景があったのかなと思います。

 しかし、結局初代鴈治郎坂田藤十郎という名前を継げませんでした。続く二代目中村鴈治郎、この人もすばらしい役者でしたが、坂田藤十郎という名を熱望しながら、やはりこの名を継ぐことは出来ませんでした。その息子の代に至って、やっと坂田藤十郎の名が復活します。三代目中村鴈治郎が、2005年に四代目坂田藤十郎を襲名しました(当代)。この間、歴代の鴈治郎は繰り返し、この「藤十郎の恋」を演じ続けてきました。そして今も、「藤十郎の恋」は成駒家の最も大事な演目、玩辞楼十二曲の一つです。

 

藤十郎を演じるということ


  私にとって、「藤十郎の恋」の藤十郎を演じる役者を見ることは、なんだかワクワクする経験です。

  伝説の役者を、しかも演技について悩み苦しむ伝説の役者を、現実の役者が演じるって、ワクワクしません?? ヤバいでしょ……。勝手に、この役者さんが演技に悩む時はこういう感じなのか…みたいに解釈して喜んでしまいます。

 だから、今回三木眞一郎さんが「藤十郎の恋」を朗読するって発表になった時からずっと楽しみにしていました。三木眞の藤十郎は、凄味がありましたね。歌舞伎役者だとお梶に言い寄るところはもうちょっとじゃらじゃらした感じを出そうとすることが多いように思いますが、三木さんは言い寄っているときも、腹の底の冷たさを感じてヤバかったです。 

 だから、小説それ自体を読むのもいいんですけど、役者が演じる藤十郎を味わうのもすごく、すっごく贅沢な経験だと思うから、その両方をいっぺんに味わえる朗読CDは最高すぎません??? 買うべきだと思いますねホントにね。

余談
 まあ、ここまでの話もずっと与太話なんですけど、さらに余談でございます。緊急座談会の中で、横光先生が「藤十郎の恋」の映画化について触れてらっしゃいまして、それに対する川端先生の反応がちょっと変じゃありませんでした?? もう、ここでもあ~~~~!!!! て私なってしまいました。

 「藤十郎の恋」は二回映画化されています。主演はどちらも長谷川一夫。ご存じ日本が誇るスーパースターですね。ちなみに長谷川一夫は初代中村鴈治郎の弟子です。

 一度目の「藤十郎の恋」を主演する前、長谷川一夫は左頬を貫通する傷を負わされるという暴行にあいます。これは松竹から東宝への移籍が原因で起こったことで…この大事件についてはちょっと探せばいくらでもネットにも記事があるので興味がある人は調べてください。あまりに膨大すぎて私も全体は把握しきれていませんがやばい事件です……。ともかく、長谷川一夫は大事な顔に大きな傷を負って、俳優として再起不能とまで言われました。しかし、長谷川一夫はこの「藤十郎の恋」で復帰します。完全な二枚目役者として……。やばくないですか?? 鴈治郎もそうですが、長谷川一夫にとっても「藤十郎の恋」という作品はターニングポイントとも言える、大事な作品です。なんか、「藤十郎の恋」ってそういう作品だなって思うんですよ。役者が役者として岐路に立たされている時に、その実力を世間に知らしめさせる作品っていうか……。別に三木眞一郎さんは岐路に立ってないと思いますけど、世の中に役者の実力を知らしめさせることができる作品であることには変わりないと思いますね!

 あと、長谷川先生による二回目の藤十郎の恋は 1955年の作品です。もうお分かりですね…。横光先生は「藤十郎の恋」が二度映画になったことをご存じない……。川端先生は…うっ

 以上です。

 

 「恩讐のかなたに」の戯曲「敵討以上」の初演は十三代目守田勘弥、「父帰る」の初演は二代目市川猿之助など、菊池寛の作品は歌舞伎役者に多く演じられています。菊池寛作品の現実至上主義的な所が、演劇改良運動などを行っていた当時の歌舞伎界の気分に合っていたのかなと思います。菊池作品と歌舞伎は意外と親和性が高いので、菊池寛ファンの皆様、よろしければいつでも歌舞伎沼へお越しください。お待ちしております。