「憂国のモリアーティ」に見る近代社会思想史-モリアーティの犯罪思想その1(弁証法)

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作品にちりばめられる社会思想史の諸相

 私はめっちゃくちゃ「憂国のモリアーティ」(以下「憂モリ」)が好きなんですが、好きな理由の一つに、作品内の時代――イギリスのヴィクトリア朝末期の社会思想を反映した形で、モリアーティの犯罪思想が組み立てられているという点があります。時代考証っていうと、その時代の文化とか風俗に目が行きがちですが、その時代の進歩的な人間が、どういう哲学や倫理学社会学の知識を基に思想を組み立てるかという点にまで考えが及んでいる作品ってなかなか少ないのではないでしょうか。

 憂モリには、当時の政治情勢、社会情勢とからめて、社会思想の諸相についての言及が散見されます。それをたどっていくと、なんとなくモリアーティの考える「社会」について理解できるようになっている、これがすっごく面白いなあ! と思います。

 

モリアーティ・プランの根幹を貫く、モリアーティの史観 

 一番最初に、憂モリを読んでいてお? と思ったのは、アルバート・ジェームズ・モリアーティがアイリーン・アドラーに、犯罪卿(モリアーティ)の目的は「階級社会から完全自由社会への弁証法的発展」であると語ったシーンです。弁証法による史観と国家観! てテンション上がった方も多いシーンではないでしょうか。弁証法と言えば一般にはヘーゲルが体系化した物事の理解の方法、法則を指すものと思われますが、このアルバートの説明の仕方だと、マルクスによる唯物史観もちらっと頭をよぎります。

 ヘーゲル弁証法というのは、命題(テーゼ)とそれに相反する命題(アンチテーゼ)の矛盾を明らかにしていくことで、統一した本質的な命題(ジンテーゼ)が現れるというものです。ヘーゲルはこの弁証法を歴史に適用し、歴史とは精神が自由を希求するその過程であり、そのうえで起きる精神の葛藤や矛盾、そしてそれらを統一し完成していく運動であるとしました。つまり、人間は最終的に自由の実現された社会へいたる、我々はその進歩の途上にいるのだという進歩史観を示したのです。もう一つ、「家族」、「市民社会」、そしてそれらを統一し調停する「国家」という概念があるのですが、大胆にはしょって今言いたいところだけを説明すると、人間が個の自由を維持しながら、孤独や分裂した市民社会に陥らないようにするための、統合された概念が「国家」であり、国家は自由の実現のための共同体であるというものです。
 現在の我々の知識に照らして言えば、進歩史観というのはそのままでは受け入れがたいものですが、ヘーゲルの思想が当時の人々に与えたインパクトは大きいものでした。また、ヘーゲル史観の根底にある弁証法は、今でも十分に運用できる論理です。
 モリアーティが「階級社会から完全自由社会への弁証法的発展」と言ったとき、このことばだけでは細かい論理展開は理解不能ですが、上記のようなヘーゲルの史観と国家観をある程度引いたものであることが想像されます。おそらく、モリアーティは進歩史観を持っていると思います。そして国家のあるべき姿を「自由の実現された共同体」であるととらえているのではないでしょうか。この史観は、現在の我々の視点から端的に言えば、正しいとは言えないかもしれません。しかし、このヘーゲルの思想は、現在に至る近代国家を作る思想の礎になったものです。さらに言うと、モリアーティはヘーゲルの国家観から一歩進んだ主張もおこなっています。

 

モリアーティ史観の唯物論的特徴

 ヘーゲルは、精神が歴史を動かすとしましたが(観念論的)、これに対し、物質的な生産力と生産関係の矛盾が歴史を動かすとしたのが、マルクス唯物史観史的唯物論)です。唯物史観も、歴史を弁証法を用いて説明します。生産力がある程度大きくなってくると、それまでの生産関係との間に矛盾が生じるようになる。この矛盾が革命を起こし、共産主義社会を実現させる、つまりマルクス進歩史観では人類が最終的に至る社会は共産主義社会ということです。
 アルバートは人類が最終的にいたる社会を「完全自由社会」と呼びました。この結論だけを見ると、モリアーティ史観はヘーゲルの思想に近いもののように思われますが、しかしその結論を導き出す弁証法の運用の仕方は唯物論的です。物質的な相反するものの矛盾を統一することによって高次の概念があらわれるというのが唯物論的な弁証法です。モリアーティの考えた相反する矛盾、それは階級制度でした。階級制度によって引き裂かれた社会が統一されれば「完全自由社会」に到達できる。この点だけを抽出すると、今度はマルクスの思想に近いようにも思われます。
 しかし、モリアーティは階級闘争によっておこる「革命」を否定しています。むしろ、「革命」を回避するためにこそ、彼は犯罪卿になったと言っていいでしょう。そして、このモリアーティの革命批判にこそ、彼の思想の唯物論的な特徴が最も現れています。

モリアーティによるフランス革命批判

 19世紀の思想家にとって、前世紀に起こったフランス革命インパクトというのは未だかなり大きなものがあり、これに言及しない思想家はまずいないと言っていいでしょう。
 御多分に漏れず(?)モリアーティもフランス革命について言及します。漫画でこの項はかなりページを割いていたので、モリアーティの思想を理解するのにはずせない項目と言えます。
 モリアーティはフランス革命を失敗とみなしていますが、ではこのフランス革命失敗の原因はなにか。それは、「革命のために”支配階級こそが悪の元凶だ”と市民を煽ったせいで市民が”貴族も全員殺せ”と求め」だしたことにあると言っています。
 ここでもう一度弁証法に立ち返りましょう。弁証法とは相反する二つの命題の矛盾を統合することで、高次の命題があらわれてくるというものです。フランス革命の場合、富と権力を持つ貴族、権力を持たない平民という相反する二つの矛盾がぶつかった時に、矛盾するうちの一方、貴族を折る形で決着をつけようとしたため、矛盾は統合されず、調停する高次の概念が立ち現れなかった。これでは歴史は新たな段階に至ることが出来ない。つまり、単純に革命によって「王から市民に権力者が変わるだけでは社会は変わらない。」というのがモリアーティの主張です。ではどうすればいいのか。ウィリアム・ジェイムズ・モリアーティの発言をそのまま引くと「私たちの目的は権力者を変えるという事ではない。権力を等分割に限りなく近づける事です。この為には貴族と市民とを強制的に手を取り合わせる必要がある」となります。矛盾は統合されなければ、新しい概念を生む事が出来ません。貴族と市民を反目したままにすることは、弁証法的に正しくないとモリアーティは考えます。特権階級を排除する「革命」を起す権利を否定したことで、モリアーティは暴力革命を進めるタイプの社会主義共産主義と隔絶します(ちょうどこの時代に、イギリスには漸進主義的な社会主義――現在の労働党の思想&――も登場してくるので、それと暴力革命を推し進める社会主義とを区別するためにこのような言い回しにしました)。

 

「革命」に代わる手段としての「犯罪卿」

 貴族と平民という矛盾する二つを統合することで「完全自由社会」が訪れる、というのがモリアーティの考えですが、では貴族と平民を統合するための「手段」はどうしたらいいか。その手段を得るための計画が「モリアーティ・プラン」です。
 まず、貴族の悪徳を暴くための犯罪を人々に目撃させ、人々の目を覚まさせる。しかる後に貴族・平民共通の敵「犯罪卿」を演出することで、強制的に両者に手を取り合わさせる。そして一切の責めを負って犯罪卿が死ぬことで、矛盾を統一するエネルギーが社会に与えるインパクトを最小限に抑えられる。社会に大きな混乱を起こすことなく、階級社会の次に来るべき正しい社会「完全自由社会」へのスムーズな移行が可能になる、これがモリアーティの計画です。
 この計画には、ヘーゲルやカントなどを受け入れながら発展した、イギリス理想主義の影響も感じるのですが、それについては、機会があれば別に述べたいと思います。


 以上、「憂国のモリアーティ」における、モリアーティの思想について、今回は弁証法を手掛かりにその史観について論じてみました。

 

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 <参考文献>

原案/コナン・ドイル 構成/竹内良輔 漫画/三好輝「憂国のモリアーティ」(集英社、2016~)

佐藤康邦「改訂版 哲学への誘い」(放送大学、2014)

編著/中村健吾「古典から読み解く社会思想史」(ミネルヴァ書房、2009)

編集/濱嶋朗他 「社会学小辞典[新判増補版]」(有斐閣、2005.5新版増補版1刷)

 

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