「民藝」の創始者、柳宗悦という人 その2

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柳の宗教論

 柳は早い時期から宗教や心、精神の問題に興味を持ち、「白樺」でも当初は宗教哲学を中心に執筆していた。宗教哲学は美術論より先に柳の研究テーマであったし、また美術論とあわせて彼の終生のテーマでもあった。

 柳自身は、特定の宗教を信じたことは一度もない。しかし、信仰というものを信じていた。何かを一心に、ひたむきに信じる心を美しいものだと思っていた。それは無心に作られた名もなき職人たちの手仕事を愛した、民藝への道と通じるところがあるだろう。

 柳の宗教への興味も、西洋文化への理解からはじまった。学習院時代の恩師で、敬虔なクリスチャンであった服部他之助から、柳は神と自然の真理について学んだという。エマソンホイットマンを読んだのもこの頃で、エマソンの直観の思想を柳は重視した。やがて柳はウィリアム・ブレイクを知り、傾倒する。柳のブレイク研究については、正直私が全然理解できていないので、あえて何も書かない。柳の「ヰリアム・ブレーク」を読んでください。

 この柳宗悦初期の時代、巷では自然主義が流行していた。自己の内面をありのままにあらわす日本の自然主義のあり方は、直観を重んじる柳には全く響かなかっただろう。この自然主義への反発は、「白樺」同人たちに共通してみられる特徴だ。自然主義に対して、白樺派は直観・実感を重んじていた。この思想は、柳の生涯を通して息づく思想だと思う。

 柳は東洋美術に心惹かれると同時に、東洋の哲学、宗教にも心を傾けていく。一つには、柳の終生の師ともいえる鈴木大拙の影響があるだろう。もう一つは、やはり美術からの興味である。あらゆる芸術品には、それを作った者の思想があらわれる。それが仏教美術ともなればなおさらだ。仏教美術はその仏教思想と全く不可分であろう。彼が心を注いだ仏教美術は数多いが(木喰上人の発見など)、今回は彼が傾倒した一遍上人について触れたい。

 柳は「一遍上人絵伝一遍聖絵)」の美しさに心を打たれ、一遍上人その人自身に興味を持つようになった。
 一遍は鎌倉新仏教の一つ、時宗の宗祖ともいうべき人物である。法然からはじまった浄土門に属し、阿弥陀仏の悲願によって衆生はみな救われ、往生すると説いた。
 柳は、すべての仏法に共通する理念を「不二」であるとしている。相反するものの対立を超えたところにある平等という意味である。しかし、「不二」を悟る道にはいろいろある。「丁度富士山の山を想えばよい。頂きは二つではない。だが之に上る道は様々に分れる。」(「一遍上人」、1955)このそれぞれの道の違いが、それぞれの宗派の教えの違いなのである。
 浄土門の不二を悟る道を、「非」であると柳は言う。「智」(叡智)によって自ら不二を悟ることができる者は限られている。しかし、凡夫にも不二へ至る道は用意されている。それが阿弥陀仏の「非」(慈悲)、自分自身の力によってではなく、阿弥陀仏の慈悲の力によって悟る方法、いわゆる「他力」である。
 法然親鸞という偉大な上人を経て、ただ信心し、阿弥陀仏を念じることで凡夫にも往生の道が用意された。その後に続いた一遍の独自性を、柳は「信不信を選ばず」全ての人々に往生が約束されていると説いた点にあるとする。もし人間の力で往生が出来るのなら信じることも必要である。しかし、すべての人間の往生は、阿弥陀仏が正覚をとったその刹那に決定されているのだ。人間の力によって往生できるのではない、信じない者をも阿弥陀仏は救う。ここに一遍は善悪、賢愚といった別に加え、信不信の別をも消し去った。これが不二というものである。
 この、人は自らの力で悟るわけではないという「他力」の精神は、柳の哲学の根幹となっていく。

美の法門

 柳は名もない職人によって作られた工芸品、民衆の生活に根差した生活用品を愛した。しかし、実際に民藝館で展示されているものの中には、高価な品、富貴な人が所持していたような品もある。先に述べた「一遍上人絵伝」なども、民藝品とは呼べないだろう。しかし、それでも民藝館にあるような品、柳が愛した品々は民藝的なものであると言える。もっと言うならば、それは美しくあろうとして美しいものではなく、本来の性として美しいものなのである。これを仏教哲学に基づく理論として示したのが、柳晩年の著「美の法門」である。

 この世には美しいものと醜いものがある。しかし「不二」の精神にのっとれば、本来美しいものと醜いものとの間には差異がないはずである。本来の性にあれば何ものも醜さには落ちないはずなのだが、しかしこの世にあって本来の性にあることは難しい。美しくなろうとするあまり、すべてのものは容易く醜さに落ちてしまう。

 しかし、美の世界にも「他力」の救いが用意されているのである。自らの力によって美しくあることはあまりに難しい。だから、美しくあろうとせず、ただ無心に作られたものに真の美は宿るのである。繰り返し行われることによって研ぎ澄まされ、あらわれてくるような無私の作品が民藝の美である。
「人の善悪を選ばず、信不信を待たず、一切の人間の一切の作は、少しの例外をも許さず、仏の済度を受けているのである。」

 美学に宗教を持ち込むことを奇異に感じる方もいるかもしれないが、宗教を観念でなく物質に即して考えたのが柳の独自性である。美学より先に宗教がある。美を信仰するのではなく、美が人々を信仰へと導くのである。たとえば、茶道は禅の精神が美としてあらわれたものである。人々は茶道の美に触れることで、禅の精神に触れる。
 そして民藝は阿弥陀仏の悲願による美術である。他力の美である。善悪、賢愚、信不信、そして美醜というものを超えた「不二」の精神が実現された時、「美の浄土」は現実の生活のなかに実現される。救いは彼岸にあるが、彼岸は遠く離れた場所にあるのではなく、この此岸の中にこそあると柳は考えていた。一切の衆生阿弥陀仏が正覚をとった時に、すでに救われているのである。これが柳の打ち立てた宗教美学であった。

おわりに

 まあ色々書いたが、私が思うに柳宗悦という人の重要性は、人間性というものに絶対の信頼を置き続けていたという点にあると思う。もちろん民藝という日本独自の概念を提唱して、各地の工芸を守り、育てたことは、外から見ると彼の大きな仕事だと思うが、彼の中では彼の一連の仕事の中の一分野に過ぎなかったんじゃないかという気がする。彼は先に人間性というものを信じており、人間性を信じるが故に人間が作り出すものの美を追求し続けたのだと思う。

 彼は私のような熱心な支持者も持つが、批判されることも結構ある。たとえば、民藝は作家性を徹底的に排除するが、それは結局個性的な美の発展を妨げることもあるし、作家性を排除しながら河井寛次郎のような強烈な個性を持つ作家を評価しているのも矛盾である。彼は功罪ともに多い人だと思う(私が書くと罪の部分も擁護してしまうのでこれ以上は書かないが)。だから、とりあえず、柳の著書を読んで、彼が何をしたかったかなんとなく理解して欲しい。そして彼の功罪をひも解いてくれる方がいたら、とてもうれしいと思う。

オススメ書籍

柳の著書

柳宗悦 朝鮮の友に贈る書 (aozora.gr.jp)
 この文章を読んで私は柳宗悦の虜になりました。三・一運動に対する日本政府の弾圧に心痛めた柳の心情がよく伝わってくる。理想主義的な文言が多く、そらぞらしく感じられる方もいると思うが、この時代に真っ向から政府批判、軍部批判を書くことの困難さにも思いをはせていただければと思う。柳特有の格調高く、ややウェットな文章の特徴もよく出ている。

手仕事の日本 - 岩波書店 (iwanami.co.jp)
 柳が戦中に書いていたものを戦後発表したもの。日本全国の工芸品について解説された、カタログ的な書物。ご自身に関わりある地域について拾い読みしても面白いと思う。カタログ的な仕上がりにこだわっているので、柳特有の文章の面白さはさほどない。青空文庫にもテキストがあるが、芹沢銈介の口絵が見られるので文庫をオススメします。

美の法門
 これは柳晩年の、言うなれば彼の集大成ともいえるような美の哲学についての書物なので、いきなりここから読むのはあまりおすすめしないが、民藝とか、柳の書物を1,2読んだ後にぜひ読んでほしい。現在新書店で手に入れられる版では筑摩書房さんの筑摩書房 柳宗悦コレクション3 こころ / 柳 宗悦 著, 日本民藝館 著 (chikumashobo.co.jp)があります。

 

その他

筑摩書房 民藝の歴史 / 志賀 直邦 著 (chikumashobo.co.jp)
志賀直哉の甥で、柳の弟子ともいうべき志賀直邦による民藝に軸を置いた柳の半生記。柳の民藝に対する姿勢がよくわかる。申し訳程度に志賀直哉の話も出てくる。

リーチ先生/原田 マハ | 集英社の本 公式 (shueisha.co.jp)
柳の盟友、バーナード・リーチを題材にした小説。民藝のこともよくわかるし、当時の日本美術の動きや、陶芸のことなども分かる。なによりめっちゃくちゃ柳出てくるのでオススメ。フィクションも入っているので(当たり前だが)、そこだけ気を付けてください。

おすすめスポット

全国の民藝館 | 日本民藝協会 (nihon-mingeikyoukai.jp)
 やはりなんといっても、各地に建てられた民藝館にぜひ行ってもらいたい。民藝館は必ずしも大都会にあるわけではないので(大都会にもあるが)、思いがけないご近所に館がある可能性もある。地域の民藝館は、やはり土地の品の収集に熱心なので、ぜひお近くに民藝館がある方は一度訪れていただきたい。
 民藝館の大きな特徴として、キャプションが極端に少ないということが挙げられる。これはキャプションを読むことに熱心になりすぎて、物自身をじっくり見ないようになることを防ぐため、あえてそうしているらしい(どこかでそう読んだのだが、どこで読んだのか思い出せず確認できていないので、細かいニュアンスは違うかもしれません)。いきなり行くとちょっと戸惑うかもしれないが、じっといくつかの作品を眺めていると、なんとなく民藝の精神みたいなものが分かってくる気がする。最近は要望に応えて説明紙等を置いているところもある。

主要な民藝館として二館紹介したい。

日本民藝館(東京)
 柳は長年、工芸品を広く紹介する館の設立を構想していたが、大原孫三郎の寄付によって、ついに1936年に建てられたのがこの館である。柳の収集した品を中心に、国内外の工芸品を集めた、最も大規模な民藝館である。柳の旧居も公開されている(旧居は公開日が限られる)。

倉敷民藝館
 大原孫三郎の息子、總一郎が柳の高弟ともいうべき外村吉之介を初代館長に迎えて設立した、日本で二番目に出来た民藝館である。主に外村の収集した品を展示している。大原家の民藝品コレクションは近くにある大原美術館の工芸館に展示されている。

 

我孫子市白樺文学館:我孫子市公式ウェブサイト (city.abiko.chiba.jp)
 主に柳宗悦志賀直哉を中心に展示を行っている館である。柳が移住したことをきっかけに白樺派が多数住んだ千葉県の我孫子に位置する。実はまだ行ったことがない。早く行きたい。