「1945ひろしまタイムライン」を見て!!

www.nhk.or.jp

 

 私はたいがい重度のTwitter廃で、毎日ハッピーTwitterライフをおくっているのですが、そんな私が最近毎日チェックしているアカウントが、NHK広島のプロジェクト「1945ひろしまタイムライン」による一郎さん、シュンさんのアカウントです。上のリンクから当該アカウントに飛べます。↑↑

 一郎さんは1945年当時、広島の地方紙・中国新聞の政治担当記者。シュンさんは1945年当時、広島市在住の中学生です。この二人が、今が1945年かのように、我々と同じ日付、同じ季節を生きながらツイートしていくという企画です。5/18からは新婚女性のやすこさんのTwitterアカウントも開始されるそうです。

 このアカウントのツイート内容は、1945年当時、広島に住んでいた人の日記をもとに作成されており、当たり前のことなのですが、戦争中でも人々は普通の日常を過ごしていたのだということと、その日常にどうしようもなく食い込んでくる戦争ってものが感じられて色々なことを考えさせられる、とてもよい企画だと思います。

 まず一人目の一郎さん。彼はまだ結婚して一年目。上司に誘われていいご飯を食べに連れて行ってもらったら、「できるなら、妻にも食べさせてやりたい。」って考えるような優しい愛妻家です。一郎さんは政治記者ですから、政治を常に注視しています。愛国者で、戦況が悪化してきた最近は、本土決戦を竹槍で戦い抜く覚悟を決めているほどですが、盲目的に国の上層部を支持しているのではなく、その動向には苦言を呈したりもしています。
 二人目のシュンさん。この方はすっごいまじめな中学生です。この頃の中学生はみんなこんなにまじめだったんでしょうか? 人に読ませるための日記で、真面目な部分だけ書いているのかもしれないのですが、それでも少なくとも、私の中学時代とは雲泥の差です。学業にもまじめに取り組み、国家のため役立つ人間になろうと努力されてます。ただ、典型的な軍国少年なので、穏やかそうなシュンさんが「米英の畜生め」みたいなことを突然書くので、今の感覚で読んでいるとちょっと驚きます。

 

 このアカウントをフォローしていると色々気づくことがあるのですが、今からそのうちのいくつかを書いていきます。

 まず、一郎さんの勤めている中国新聞ですが、日記の原文で「新聞の持ち分合同で広島県下と山口県の東部は、わが社の独壇場になった」とあります。一県一紙制が敷かれたのは1941年なのですが、そのあとも地方紙の再編が進められていたんだなあ、ということを知りました。さらに輸送事情の悪化を受け、今年(1945年)4/27に地方での全国紙販売が停止。広島の人はもう、中国新聞以外の新聞が手に入らない状態。
 新聞記者の一郎さんは5/1にヒトラーの死を急報で知りますが、一般市民のシュンさんは5/3に知ったようでタイムラグがあります。中国新聞に記事として出ていたのは5/4だったので、先にラジオとかで報道があったのかなと思います。
 あと、新聞には「心ある投書」が寄せられ、指導者層への怒りをぶつけたものが散見されると書かれており、翼賛的な報道が多い中、批判的な投書をする勇気ある人が結構いたようです。これとも関連しますが、一郎さんは、中国新聞の画一的な報道へのいらだちを募らせています。この時期は、沖縄戦ソ連の同盟延長拒否や、ムッソリーニヒトラーの死などが起こり、日本が追い詰められていく時期であり、それをリアルタイムで追体験するのは結構恐ろしいものがあります。
 食糧事情はかなり逼迫しています。しかし、新聞社にはちょっとしたコネみたいなものがあるものか、たまに料亭でいいものを食べたり、ビール券を手に入れたりしていますね。

 シュンさんの日記は、当時の中学生の生活が垣間見られて大変興味深いです。個人的に驚いたのは、シュンさんが英語の授業に結構真剣に取り組んでいらっしゃることです。敵性語の勉強は大変疎まれていた印象があったのですが、敵の言語を知るのは大事だと勉強されているシュンさんは大変聡明ですね。 
 あと、体罰がめっちゃ普通。知識としては体罰が普通だっていうのはわかってたんですけど、想像以上だった。私から見ると全く問題がないようなことでもふっとぶくらいのビンタをされたりしています。
 それから食糧事情の悪さはとても身につまされますね。育ちざかりの中学生が「今日もろくなものを食べられなかった」とか書いているのはつらすぎます。
 シュンさんは学校で学んだことを、とても素直に受け入れます。先ほども書いた米英への恨みもそうですが、時々危ういことを書いていて、でもこれが当時の教育なんだなと思います。一郎さんとシュンさんがどの程度平均的な思想なのかはわかりませんが、もしかしたら当時の大人と子供との間には、戦争に対する感じ方に差異があったかもしれません。それは本音と建前的な、表立っては言えないが内心感じていることを、大人が子供に知らせないからかもしれない。

 

 最後にもう一つ。

 一郎さんのアカウントでは、当時の中国新聞の一面記事の画像がツイートされます。頑張ればちゃんと全文読める感じなんですけど、あんまり頑張れない私はいつも見出しだけ読んでいました。4月以降、頻繁に新聞記事になっているのが、沖縄戦での特攻隊の戦果です。
 正直全然詳しくなかったのでWikipediaで調べましたら、沖縄での特攻作戦は「菊水作戦」と呼ばれ、敵艦にかなりの損害を与えたようです。
 おそらく4月の初めからすでに記事になっていたと思うのですが、私の目につくようになったのは4月中旬、菊水二号作戦の頃です。私はこれまで、特攻隊の作戦をリアルタイムで報道で知るときの気持ちっていうのを考えたことがなくて、この新聞を見ながら衝撃を受けました。
 沖縄戦というのは、もしこの戦に負けたら次は本土戦っていう、瀬戸際の戦い、負けるわけにはいかない戦いです。もちろん勝たなければならない。しかし、その方法として、特攻の成功が連日伝えられるのを、単純に喜んでいいんだろうか。
 特攻は「もしかしたら死ぬかもしれない」作戦とは一線を画す、「必ず死ぬ」作戦です。この作戦があまりに大きな戦果を上げるのは、歓迎していいことなんだろうか。戦果が上がれば上がるほど、特攻作戦は繰り返されることになります。戦地に行っている家族が特攻隊に選ばれることは今後あり得るのではないか。しかし、特攻しかないのであれば、それは粛々と行われるべきかもしれない。この戦いに負けるわけにはいかないのだから。だが、若い人が必ず死ぬ作戦で大きな戦果を上げたことを喜ぶのは、はたして人として許される感情だろうか。

 もう、いろんなことを考えて感情が揺り動かされたので、当時私はこうツイートしました。

「まいにちこのアカウント(一郎さんのアカウントのこと)で当時の中国新聞の見出しだけ読んでるんだけど、特攻が成果上げてるのを毎日伝えてて、当時家族が兵隊に行ってる人たちはこれをどういう思いで読んでたんだろうと思う」

 これに対して、当時私のフォロワーだった人がこうリプを返してきました。

「戦争に勝利して 一日も早く戦争が終わって 戦地から五体満足で帰って来て欲しいでは?」

 正直にこの時の私の気持ちを言うと、「なんやお前は」でした。そりゃ戦争に勝利して早く家族に帰ってきてほしいけど、家族が帰ってこないかもしれないときに何を考えるかって話をしてんねんこっちは。特攻の話やぞ?

 まあ、でもTwitterはね、140文字でまとめないといけないので、私が今このブログで長々と書いてきた気持ちが相手に伝わってなかったから仕方ないかなとも今は思います。ただ、この人は前からこういう感じで持論リプ返してくる人だったので、それまでの積み重ねもあって、この時私は感情的にリプを何度かしてしまいました。そのリプはそのあと、これも感情に任せて消してしまったので、今では細かい自分のリプが再現できません。
 ただ、それによって気づきがあって、この人はホントに、特攻隊のすごい戦果を見ても「早く戦争が終わって家族が帰ってくればいいな」としか思わないのかもしれない、と思ったのです。
 
いや、わかりません。相手も意固地になってそう主張していただけかもしれないけど、本当に単純に成果を喜び、これで日本は勝てるかもと考えて、早く兵隊に行ったみんなが帰ればいいのにって思うだけなのかもしれない。特攻っていう、あきらかに作戦の方向性が変わっているものを見ても、戦果が上がってよい作戦だねとしか思わない、そういう人が一定数いるのかもしれない。上手いことばが思いつかないのですが、そういう共感力とか、想像力のない人がいるのかもしれない、こういう言葉を使うとちょっとキツすぎるというか、ちょっと意図から逸れちゃうんですけど、ともかく自分が当然考えることを考えたりしない人がいるってことを気づけて、そういう意味でも一郎さんのツイートを追っていてよかったなあ、って思いました。

 

 これから8月に近づいてきます。それは怖くもあるけれど、このアカウントのツイートを読んでいきたいと思います。

 

 この企画のホームページでは、ツイートの元となった日記も公開されています。やっぱり昔の日記なんでちょっと読みにくいっていうか、難しい言葉とかが頻出するんですが、ツイートである程度ポイントを抑えてから日記の原文を読むと、あら不思議。読みやすいじゃん~! ていう利点もあります。

 こんな感じで、とてもいろいろ考えるきっかけをくれる素晴らしいTwitterアカウントなので、ぜひみなさんもフォローしてみて!!

 

歌舞伎ファンから見る菊池寛「藤十郎の恋」 ~そしてこれは文アル朗読CDの販促~

 

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

  • アーティスト:三木眞一郎
  • 発売日: 2020/03/25
  • メディア: CD
 

 

 文豪とアルケミストの朗読CD第10弾「菊池寛 藤十郎の恋」が発売されました。聞きました? みなさん。三木眞一郎さんの朗読、最高でしたね。ボーナストラックで思いの他、初演をつとめた初代中村鴈治郎についての言及があって、歌舞伎ファン的に高まりました。

 私は歌舞伎が好きなので、歌舞伎の舞台「藤十郎の恋」を二回観たことがあります。この演目は成駒家成駒屋中村鴈治郎家にとって非常に大切な演目で、上方歌舞伎ファンの私にとってもやはり、見るたびに思い入れの強まる演目です。

 この作品の文学的な立ち位置とか、価値とかは全然わからないんですが、歌舞伎好きから見たこの作品の面白さ、そして初代中村鴈治郎がこの作品に込めた思い、そして「藤十郎の恋」の藤十郎を役者が演じることの良さ(ファン視点)、みたいなものを書きたくなりました!! ちょっと歌舞伎の知識を入れて見ると、この作品の理解が深まるかもしれないので、よかったら是非読んでいってください。そしてこの朗読CDまだ買ってない人はぜひ買ってください。

 

以下にちょっぴり緊急座談会のネタバレがありますのでご注意ください。

「和事」の藤十郎

 この作品の最初には、当時の歌舞伎界についての説明があります。だからまあ、この辺の説明は菊池寛に任せておけばよいのですが、ともかく坂田藤十郎ってのは本当にすごい、伝説の役者で、「和事」の創始者、「上方歌舞伎」の始祖とも呼ばれていることを、まずお伝えしたい。

 ボーナストラックで利一先生も触れて下さっていますが、元禄時代は大衆のための文化が大きく花開いた時代で、歌舞伎もこの時代大きな飛躍を遂げました。その変革の一翼を担ったのが、初代坂田藤十郎です。

 

 歌舞伎と聞いて、パッと思い浮かぶ光景はどんなものでしょうか。派手な隈取、見栄をする役者、大立ち回りなどというものを思い浮かべる方も多いのかなと思いますが、こういったものが確立されたのもこの時代です。しかしこれは坂田藤十郎の創った歌舞伎とは別の系統です。作品内にも登場した、初代市川團十郎の創始した「荒事」がそれですね。勇猛で雄々しい豪快な荒事は、主に武士が多い江戸で好まれました。

 それに対して「和事」というのは柔らかで優美な芸、主に優しげでたおやかな美男子が色恋ごとをする様をみせる芸で、この初代坂田藤十郎が創始したと言われています。作品内にでてくる「傾城買い」というのは、和事の典型的な型の一つです。
 和事の作品に出てくる登場人物は町人が多く、町人の町・上方で愛された芸です。江戸の完全無欠なヒーローが活躍するものに比べて、やや滑稽味のある、隙のある男性が主人公となることが多いのが特徴です。この時代、まだ「和事」という名称がなかったのか、作中にその言葉が出てくることがありませんが、藤十郎が思い悩み、突き詰めようとしている芸はまさにこの和事です。

 

 しかし、江戸に和事がないわけではありません。それが作中の藤十郎のライバル、中村七三郎が得意とした江戸和事です。

 上方の和事と江戸和事の違いは、「つっころばし」「ぴんとこな」と呼ばれる、それぞれに典型的な二つの役柄を説明するとお分かりいただけるかと思います。
 つっころばしというのは、その名の通りつつけば転びそうな、甲斐性もなく、なよなよとした男の役柄です。それはちょっと情けないほど。そのちょっと情けないところが、滑稽味につながります。作中で「藤十郎どのの伊左衛門は、いかにも見事じゃ」といわれている、この伊左衛門こそが典型的なつっころばしの役柄です。
 それに対して江戸の典型的な和事の役は「ぴんとこな」と呼ばれます。ぴんとこなは、一見柔らかい優男に見えますが、その内側にはぴんと張りつめた、激しいところがあって、じゃらじゃらしたシーンを演じても、滑稽味はありません。作中で「京の濡事師とはまた違うて、やさしい裡にも、東男のきついところがあるのが、てんと堪らぬところじゃ」と言われているこれが、まさに、ぴんとこなってやつです。

 で、つっころばしなんですけど、こういう役は、演技がうまい下手っていうことよりも、役者の持ち味というか、なんていうんでしょう、ともかく単純に上手下手を離れたところに味わいがある役だと思うんですよね。頭で役の性根が分かっていても、それだけでは多分いい演技ができないんじゃないかっていうのが、素人目にもなんとなく分かります。藤十郎の悩みもそういうところにあったのだと思います。この辺の設定が、菊池寛の歌舞伎への深い造詣が垣間見られるなあって思いました。

 

 坂田藤十郎の再来、「初代中村鴈治郎

  菊池寛が小説「藤十郎の恋」を発表してすぐ、初代中村鴈治郎がこの作品に目を付け、数ヶ月で歌舞伎化し、これが大当たりしました。「藤十郎の恋」を語るとき、中村鴈治郎を外して語れないほど、この舞台の人気はすごいものだったそうです。なぜ鴈治郎がこの「藤十郎の恋」を演じたいと熱望したのか、そしてこんなに舞台がヒットしたのか、という話をちょっと聞いていってほしい。のですが、ちょっと今図書館が開いていないので、参考文献に当たれなくて、記憶で書いているのでところどころ間違っているかもしれません。間違っていたら図書館開いてから修正します。

 

 初代中村鴈治郎というのは、もう当時のスーパースターです。松竹株式会社は今や押しも押されぬ大企業ですが、この会社がここまで大きくなったのは、白井松次郎大谷竹次郎という創業者兄弟の才覚と、この中村鴈治郎の人気があったからと言えます。詳しくは白井松次郎Wikipediaに書いてあるので興味あれば読んでください。

 そんなスーパースター鴈治郎は、「中村歌右衛門」という名前を継ぎたいと考えていました。この中村歌右衛門っていう名前は、成駒屋で最も権威ある名前の一つです。それに対し、中村鴈治郎という名前は、「初代」であることからも分かる通り、彼がひとりで大きくした名前です。名前を大きくするということは非常にすごいことですが、同時に、やはり自分に見合うだけの大きな名前を継ぎたい、というのも歌舞伎役者にとっては夢なんだろうと思います。彼の父親は四代目歌右衛門の養子でしたし(親子の関係はちょっと色々あるんですけど)、鴈治郎中村歌右衛門を継ぎたいと考えたのも、まあそこまでおかしな話ではないのですが、紆余曲折あって、中村歌右衛門という名は、ほかの役者が継ぐこととなります。この辺のやや詳しいことは初代中村鴈治郎Wikipediaにも書かれているのでご興味あれば読んでください。ともかく、このことは鴈治郎にとって、非常に不本意で、納得できない出来事でした。

 

 自分が大きな名前を継ぐだけの実績も、人気も十分にあると考えていた鴈治郎が、次に目を付けたのが、大名跡坂田藤十郎」でした。

 坂田藤十郎というのは長く名跡を継ぐ者がなく、伝説の名前になっていました。いうなれば永久欠番みたいな感じですね。
 鴈治郎は上方の役者で、和事の名手でした。名実ともに上方随一の役者だったと言えるでしょう。上方歌舞伎の始祖、和事の創始者、この伝説的な坂田藤十郎の名を継げる者がいるとしたら自分しかいない、と考えたのではないでしょうか。

 しかし、坂田藤十郎は山城屋という家の名前で、成駒屋中村鴈治郎とは直接の関係はありません。でも、ドラマCDの緊急座談会で、川端先生が鴈治郎藤十郎の血筋だと言っていましたね。私はじめて知りましたそれ。たしかに歌舞伎役者って、辿っていけばみんな親戚なんで、血筋じゃないことはないと思いますが、でも直系とは言い難いんじゃないかと思います調べてませんが! しかし、先生方がそう言っているということは、おそらく鴈治郎が当時、そう主張していたのだろうと思います。
 あと、上方歌舞伎では血筋よりも芸の筋目を大事にする伝統があります。東京では血筋が大事にされて、芸が親から子に受け継がれていきますが、上方では芸の優れた門弟が実の息子より優遇されることが、昔はよくありました。二代目坂田藤十郎も初代藤十郎の門弟で、二人に血のつながりはありません。だから、ほんの少しの血筋関係でも、襲名は確かに可能です。より大事なのは、中村鴈治郎の芸が、坂田藤十郎の名前にふさわしいか、彼が坂田藤十郎の芸を継承しているのかということです。
 しかし、誰も坂田藤十郎の芸を実際に見たことはありません。鴈治郎はたしかに当代一の和事の名手でしたが、それがすなわち藤十郎の芸を継承していることになるかは、ちょっと根拠が弱い感じがします。

 そこにあらわれたのが菊池寛の「藤十郎の恋」でした。この作品の藤十郎っていうのは、凄まじいまでの情念で芝居に取り組む、舞台の鬼って感じですね。
 初代鴈治郎は、自分が認められなかったことへの怒りと、反骨と、「上方歌舞伎を背負って立つのは名実ともに俺だ!」という渾身の思いを込めるにふさわしい題材として、この「藤十郎の恋」を選んだのです。鴈治郎がこの舞台にかける思いは相当のものがあったと思います。「藤十郎の恋」は上演後すぐに、不義密通が題材だという理由で上演禁止処分を食らうのですが、鴈治郎は「わてが牢屋に入ったらええねやろ」と言って上演を続けたと言います。この舞台のすごさは想像するしかありませんが、菊池寛の描き出した藤十郎のすさまじい情念と、鴈治郎の凄まじい情念が入れ子構造のように重層的に重なり、人々を魅了したのではないかと思います。いい舞台ですね~~(見てきたかのように言うやつ)。

 もう一つ、この作品を鴈治郎が演じることの大きな意味は、もうお分かりかと思いますが、人々が藤十郎鴈治郎を同一視するようになることでした。緊急座談会で菊池先生が、「鴈治郎があまりにも藤十郎のイメージにピッタリすぎだとかって、当時相当大騒ぎになった」っておっしゃっていましたが、これがまさに、鴈治郎が狙った効果だったと思います。「鴈治郎はまさに藤十郎そのものやないか」と世間に言わせること、坂田藤十郎と言えば中村鴈治郎中村鴈治郎といえば坂田藤十郎、というところまで持って行くことが、この名前を襲名するのには必要だったのだと思います。
 おそらく、鴈治郎の贔屓筋も、この鴈治郎の気持ちは分かっていたと思います。だから、贔屓はことさら「がんじろはんは、ほんまに藤十郎そのものや」と言い立てたことでしょう。そして舞台の出来も非常に良かった。相当大騒ぎになったのはそういう背景があったのかなと思います。

 しかし、結局初代鴈治郎坂田藤十郎という名前を継げませんでした。続く二代目中村鴈治郎、この人もすばらしい役者でしたが、坂田藤十郎という名を熱望しながら、やはりこの名を継ぐことは出来ませんでした。その息子の代に至って、やっと坂田藤十郎の名が復活します。三代目中村鴈治郎が、2005年に四代目坂田藤十郎を襲名しました(当代)。この間、歴代の鴈治郎は繰り返し、この「藤十郎の恋」を演じ続けてきました。そして今も、「藤十郎の恋」は成駒家の最も大事な演目、玩辞楼十二曲の一つです。

 

藤十郎を演じるということ

  私にとって、「藤十郎の恋」の藤十郎を演じる役者を見ることは、なんだかワクワクする経験です。

  伝説の役者を、しかも演技について悩み苦しむ伝説の役者を、現実の役者が演じるって、ワクワクしません?? ヤバいでしょ……。勝手に、この役者さんが演技に悩む時はこういう感じなのか…みたいに解釈して喜んでしまいます。

 だから、今回三木眞一郎さんが「藤十郎の恋」を朗読するって発表になった時からずっと楽しみにしていました。三木眞の藤十郎は、凄味がありましたね。歌舞伎役者だとお梶に言い寄るところはもうちょっとじゃらじゃらした感じを出そうとすることが多いように思いますが、三木さんは言い寄っているときも、腹の底の冷たさを感じてヤバかったです。 

 だから、小説それ自体を読むのもいいんですけど、役者が演じる藤十郎を味わうのもすごく、すっごく贅沢な経験だと思うから、その両方をいっぺんに味わえる朗読CDは最高すぎません??? 買うべきだと思いますねホントにね。

余談

 まあ、ここまでの話もずっと与太話なんですけど、さらに余談でございます。緊急座談会の中で、横光先生が「藤十郎の恋」の映画化について触れてらっしゃいまして、それに対する川端先生の反応がちょっと変じゃありませんでした?? もう、ここでもあ~~~~!!!! て私なってしまいました。

 「藤十郎の恋」は二回映画化されています。主演はどちらも長谷川一夫。ご存じ日本が誇るスーパースターですね。ちなみに長谷川一夫は初代中村鴈治郎の弟子です。

 一度目の「藤十郎の恋」を主演する前、長谷川一夫は左頬を貫通する傷を負わされるという暴行にあいます。これは松竹から東宝への移籍が原因で起こったことで…この大事件についてはちょっと探せばいくらでもネットにも記事があるので興味がある人は調べてください。あまりに膨大すぎて私も全体は把握しきれていませんがやばい事件です……。ともかく、長谷川一夫は大事な顔に大きな傷を負って、俳優として再起不能とまで言われました。しかし、長谷川一夫はこの「藤十郎の恋」で復帰します。完全な二枚目役者として……。やばくないですか?? 鴈治郎もそうですが、長谷川一夫にとっても「藤十郎の恋」という作品はターニングポイントとも言える、大事な作品です。なんか、「藤十郎の恋」ってそういう作品だなって思うんですよ。役者が役者として岐路に立たされている時に、その実力を世間に知らしめさせる作品っていうか……。別に三木眞一郎さんは岐路に立ってないと思いますけど、世の中に役者の実力を知らしめさせることができる作品であることには変わりないと思いますね!

 あと、長谷川先生による二回目の藤十郎の恋は 1955年の作品です。もうお分かりですね…。横光先生は「藤十郎の恋」が二度映画になったことをご存じない……。川端先生は…うっ

 以上です。

 

 「恩讐のかなたに」の戯曲「敵討以上」の初演は十三代目守田勘弥、「父帰る」の初演は二代目市川猿之助など、菊池寛の作品は歌舞伎役者に多く演じられています。菊池寛作品の現実至上主義的な所が、演劇改良運動などを行っていた当時の歌舞伎界の気分に合っていたのかなと思います。菊池作品と歌舞伎は意外と親和性が高いので、菊池寛ファンの皆様、よろしければいつでも歌舞伎沼へお越しください。お待ちしております。

 

 

 

日中戦争開始時の雑誌「上方」を読む

 かつて「上方」という名の雑誌がありました。
 上方郷土研究會というところが出していた郷土研究雑誌で、現在でも上方(特に大阪)を知る資料として、多くの研究者に利用されている雑誌だそうです。大阪歴史博物館の以下展示説明が雑誌「上方」について簡潔に説明されていてわかりやすいかと思います。

www.mus-his.city.osaka.jp

 

 私も今回、大阪の夜店ってどんな感じだったんだろうってことが調べたくて、雑誌「上方」を読んだのですが(そっちの結果はToggetterに上げてあります織田作之助作品から読み解く昭和初期~戦中の大阪 - Togetter)、たまたま該当記事が載っていたのが日中戦争開始直前の号で、前後の号を読んで、え、これ面白れぇな…てなったので、日中戦争開始前後の「上方」の紙面の変遷について記したいと思います。

 

 「上方」は前述の通り、郷土研究雑誌です。本来なら、戦争の記事など載るような雑誌ではありません。しかし、全く戦争を無視することもまた、当時の世情に合わなかったのでしょう。そこで逆に「中国と戦争してるんだから、日清戦争時代の大阪っていう特集組めるんちゃうん」て思って、詳細な日清戦争当時の証言を集めてくるところなど、時勢に合わせながら「上方」らしい誌面を作っていく、編集者・南木芳太郎の気概を感じました。

 

激動の昭和12年

まずは昭和12年の主な出来事を以下に記します。 

5月 文部省「国体の本義」刊行。

6月 近衛文麿内閣発足。

   普天堡の戦い(普天堡事件)

7月 盧溝橋事件。日中戦争開始。

11月 大本営令制定。非戦時にも大本営が常時設置となる。

12月 南京占領(南京事件)。

 

 これらの出来事を頭に置いたうえで、「上方」の特集を見ていきましょう。

 

国家権力の動きに呼応しつつ、独自の編集方針を堅持する「上方」

 ・昭和12.5月77号「上方魚島号」
表紙「雑喉場魚島図」
魚市場の歴史、大阪の魚料理などの特集。特に鯛。編集後記に「何といっても喰い倒れの大阪では鯛が王座である」て書いてあるけど、鯛ってそんなに上方っぽい食べ物なのだろうか。
しかし濃いなぁ~。一つ一つの記事が濃い…。

 ・昭和12.6月78号「北畠顕家号」
表紙「雨中の阿部野神社西阪」
北畠顕家六百年遠忌特集。

おそらく前月に刊行された「国体の本義」に呼応した特集ではないかと考える。「万世一系」論に基づき、南朝を正統とする考えで、大阪で亡くなった北畠顕家を特集。しかしあくまでも歴史学的視点で、記事には政治色がほぼない。

 ・昭和12.7月79号「淀川号」
表紙「淀川三十石船」
大阪の経済を支え続けた淀川、度重なる改修、その歴史と流域の文化を記すことは大事だと思いますよ。思いますけどあまりにも渋い特集すぎへん?? この雑誌売れる?? 大丈夫??普段50銭の雑誌「上方」ですが、この号のみ60銭です。頑張れ…売れた? 大丈夫??

 ・昭和12.8月80号「銷夏号」
表紙「昔の順慶町夜店風景」
夜店、脚絆、タコ、相撲(?)など夏の風物詩についての特集。この号はかなり雑多で、楽しく読める。武庫川、山崎、淀川左岸など、前号の続きと思われる記事もある。「淀川特集」がかなり気合の入ったものだったらしいことがうかがわれる。

 ・昭和12.9月81号「日清戦争時代号」
表紙「玄武門原田重吉先登の図」
あきらかに前月に勃発した日中戦争に呼応した特集。巻頭特集「大阪文化史より見たる日清戦争」。
色々な当時の人の証言を集め、日清戦争時の詩歌や軍歌などもかなりの数蒐集している。大阪に特化しているが、それにとどまらず、当時の状況を克明に記録する、非常に意味深い特集となっていた。

しかし6月号でも思ったが、世の中の動きに対する反応速度が速いよな。こんなすごいボリュームの特集を一ヶ月で用意できるものなんだろうか? そしてやはりこの号でも政治色は極力排除され、基本的には文化史の視点から切り取っている。巻頭特集の名前にもその方向性が見える。ただ、幅広い証言を集めているので、政治的側面の証言がないわけではない。

 ・昭和12.10月82号「続・日清戦争時代号」
表紙「中之島凱旋祝賀会の光景」
カット写真に「月山貞勝師の鍛刀道場」。「支那事変勃いらい日本刀は『皇軍の兵器』として引っぱりだこの盛況」との記述。のちに触れるが、松坂屋も突然日本刀の宣伝をはじめるので、日本刀特需があったようだ。
特集内容としては前号と同じ総力特集である。

 ・昭和12.11月83号「(副題なし)
表紙「七五三詣」(「祈武運長久」と書いてある幟が書いてあるもの)
巻頭「甲賀流と忍術」他雑多な読物。

突然柔らかい号が来たぞ!! 面白いけど! 
しかし「暴虐なる南京政府は覚醒の色すら見せず(略)益々その愚を暴露しつつある。」などの文章もあり、かなり軍事色は強くなってきている。割と穏健な誌であろう「上方」でこの論調なので、正義を為す戦争であるという喧伝が徹底してなされていたのかなと思う。

 ・昭和12.12月83号「(副題なし)
表紙「大阪城天守閣雪景色」
カットは各種戦時風景である。
特集は赤穂浪士。年末の特集は例年赤穂浪士らしいので戦争は関係ないらしい。

南京陥落直前であることに触れた文章も散見される。なんとなく短期決戦で勝利するのではないか(もしくはしてほしい)、みたいな気分が感じられる。出征者やその家族、戦死者への思いがある。

 

 

広告の変遷

 この頃の「上方」には「高島屋」「三越」「松坂屋」の三つの百貨店が広告を出しています。いづれも当時大阪にあった大百貨店ですね。広告内容は雑誌の編集方針と直接関係あるものではないですが、この変遷も興味深かったので記します。

 

高島屋

 高島屋は呉服を前面に押し出した広告が多かったです。今でも「呉服は高島屋」というイメージが、少なくとも私の母親世代くらいまでの大阪人にはあります。古臭くなりすぎない、モダンな柄の和服イラストが大半を占め、硬めでおしゃれな手堅い感じ。季節もののファッションの宣伝も適宜入れています。多分なんですが、高島屋は大阪店に力を入れてきたはずで、この頃、なんば南海店に東洋一の食堂なんかもあったはずです。現在も本社住所大阪にしていますし。戦争が起こった後も、高島屋が一番最後まで通常通りのおしゃれな女性が町を行くイメージの広告を打ち続けていました。

三越

 三越は洋服のイラストを多用し、またそのデザインが斬新でかっこいいですね。高島屋よりも新しい世代をターゲットにしているのかもしれません。戦争が起こるとしばらく、洋服前面の広告をやめ、女性の笑顔のイラストに変更。派手な広告を自粛したのかもしれませんが、その後またおしゃれ広告に戻ります。ちょうどこの年に改装を終え、全面冷房設備となったそうです。(ちなみに高島屋はもっと早い段階で冷房完備となっています)。

松坂屋

 松坂屋が一番変わり種ですね。他店がファッションイメージを一心に押し出している中、松坂屋は今でいうところのカルチャーセンター「松坂倶楽部」の広告を執拗に打ちます。カルチャーセンターの講座の内容は小唄に将棋、料理など幅広く、エンタツなどスーパースターも講師陣にいるようで、たしかに魅力的なカルチャーセンターなのは間違いないのですが、それが一番の売りの百貨店てちょっと面白いですね。
 日中戦争開戦には一番ビビットに反応し、戦時広告を二度連続で打ちます。そのあとは通常の商品券などの広告に戻りますが、「松坂倶楽部」の宣伝は無くなります。

 

・昭和12.5月77号
高島屋「髙島屋が取揃へた”ゆかた夏の陣”」あやめにあじさいの浴衣姿の女性イラスト
松坂屋「松坂倶楽部(将棋、南画、料理など)」
三越「大阪三越開設30周年記念」記念売出告知

・昭和12.6月78号
高島屋「飛ぶ様に売れる…髙島屋の麥稈(カンカン)帽」飛ぶ多数のカンカン帽イラスト
松坂屋「松坂倶楽部」華道、小唄、エンタツと円馬の話術研究
三越「颯爽と夏へ…衛生的な全館冷房」

・昭和12.7月79号
高島屋「お買物と交通の中心『髙島屋』」
松坂屋「商品券」中元向け広告
三越「全館最新冷房完備 爽涼の三越」夏用ジャケットにロングギャザースカートの女性イラスト

・昭和12.8月80号
高島屋「商品券」中元向け広告
松坂屋 前号に同じ
三越 前号に同じ

 ・昭和12.9月81号
高島屋「今秋の流行『呉服の高島屋』」着物に洋手袋をする女性イラスト
松坂屋(いつも高島屋が取っている表紙裏のトップの広告位置を取っている)

  「皇軍萬歳(フォント大)/ 祝・壮途、祈・武運長久

  〇新古日本刀の即売

  〇軍装用品特設売り場

  〇慰問袋の御用承り」
三越「明朗な秋の百貨充実」笑顔の女性バストアップイラスト

昭和12.10月82号
高島屋「秋から冬への…婦人コート」コートっていうが道行のことである。モダン柄道行を着る女性のイラスト
松坂屋 前号と同じ
三越 前号と同じ

・昭和12.11月83号
高島屋南海鉄道高架線開通 ますますご便利に」
三越「冬近し」洋服と和服の女性2人を配す
松坂屋「商品券」お歳暮

・昭和12.12月84号
高島屋「商品券」お歳暮
三越「商品券」お歳暮
松坂屋「商品券」お歳暮

「ミュージカル刀剣乱舞 歌合 乱舞狂乱」を見て久しぶりに不安になったこと

 ミュージカル刀剣乱舞 歌合 乱舞狂乱 2019 に行ってきた。

 まずはじめに言っておきたいのは、全体としてとてもいいもので、クオリティの高いものを見せてもらったなあ、という気持ちがあるということ。演者さんも舞台装置も本当に素晴らしく、演出も基本的にはとても素晴らしかった。が、同時に見ているうちに不安になってくる感じもあった。

 なんか宗教儀式みたいだったのだ。

 これは熱狂的なファンとカリスマ性のあるタレントとの間で生まれる疑似宗教めいたもの、という意味ではなく、はっきりと宗教的なもの、もっというと神道の神事めいた構成でイベントは進行されていた。

 率直に言って、もし、普通の演劇で延々とあの儀式をやられたら、かなり気持ち悪い劇として記憶に残ったと思うが、ライブの演出とすることでその違和感を減らして、ふつうにみられるように工夫されていた。その辺はまさに演出の妙といったところだと思う。

 と同時に、それこそが私の不安の理由となった。ライブだからこそ現実と虚構の狭間が曖昧になる。演者は、演出の枠組の中から、そのキャラクターのままで客に直接「主」「主様」って話しかけてくる(ゲーム「刀剣乱舞」内でのプレイヤーへの呼び方)。そこで行われる儀式には、没入感がある。自分もその儀式に参加している感覚が強い。さらに、ライブの後半で歌われる呪文めいた曲は、ライブ期間がはじまる前にあらかじめネットに動画が公開されていた。歌と、印を結ぶみたいな振り付けを覚えてこいということだろうと思う。実際、ライブがはじまる前に前説で演者に「主様は歌だけいっしょに歌ってくださいね~」みたいなことを言われて練習させられたので、この儀式に参加しろということで間違いないと思う。(ちなみにこの呪文みたいな歌詞の正体は、カグツチの血から生まれた八柱の神の名前をタテヨミにしたものだそうです。これはファンの検証で分かったことで公式からはなんのアナウンスもない。完全に呪文。怖くないですか??? なにを私たちは歌わされているかも教えられずに、ただ歌ってくださいね~て言われるんですよ。ちょっと宗教じみてるよね…)

 作品の登場人物が特定の宗教を信仰しているという描写は全く気にならない。ていうかそれは別に当たり前のことだと思う。しかし、観客、ユーザも当然その宗教・信条を信じているという前提でことが進み、当然それに参加しなさい、と要求されるのは怖い。全然そんなつもりはなかったのに、宗教イベントに来ちゃったの? みたいな感じ。演出がたくみで、没入感がすごいから、より強くそう感じる。

 刀剣乱舞は扱っている題材上、どうしても神道と接近しがちだ。接近するなとは言わない、それは無理なので。ただ、この題材は宗教と結ぶつきやすいということ、ここは踏み越えていいラインか、そうでないか、そこを常に自覚的に精査してほしいと思っている。でも、もともとこの刀剣乱舞という作品はそこに自覚的じゃない。とても無邪気だ。今回も、そんな無邪気さを改めて確認させられたなあ、と思った。

 

 昔、刀剣乱舞のシナリオ担当芝村裕吏氏の「大東亜共栄圏」をめぐる発言が問題となり、のちに芝村氏はその発言を撤回されたことがあった。

 

  そののち、刀剣乱舞は「千代田のさくらまつり×刀剣乱舞-ONLINE- 江戸城下さくらめぐり」というコラボで、靖国神社を会場の一つとすることで炎上した。

 私も刀剣乱舞を運営するDMMとかニトロプラスが、大東亜共栄圏を目指し、軍国主義を標榜しているとかは全く思っていない。ただ、シナリオ担当が大東亜共栄圏の認識をあやまっていて問題になったあと(会社は把握してコメントも出していた)、ゲームが靖国神社とコラボしたらどう思われるか、ということを全く想定していない、その無邪気さが当時すごく気になって、無邪気さは罪になるな、と思った。共栄圏発言、靖国神社コラボ、このうちどちらか一つだけ起こったのなら、炎上はすると思うが、私個人としてはそこまで問題とは思わなかったと思う。ただ、重ねてこれらのことが起こるということは、彼らがまったく自覚的でない、何も考えていないという証明になってしまう。差別とかもそうだけど、そういうつもりはなかった、というのは言い訳にならない、むしろそういうつもりにすらならなかったことが問題だ。もともとの認識に隔たりがあるからこそ、そういうつもりもないのに、そういうことをしてしまうのだ。

 

 今回のライブの演出は、作刀の儀式を踏襲していて宗教的なものにしようという意図はない、という人もあると思う。その通りです。でもその通りだということ、無邪気に儀式をトレースしていることが私はめちゃくちゃ気になってしまう。私はこのライブに、なにかしらの儀式に参加するつもりで来ていない。板の上で神事的なことが行われるのはまあ、あり得るとしても、その儀式に組み込まれるつもりでは来ていない。同意がない。奉納神事のライブに行った時は、奉納神事なので、宗教儀式をするという同意のもと私は出かけて行っている。そこでお祈りがあったのは当たり前のことだ。でも今回は事前に同意がない。その中でそういう構成でライブをすることになんの躊躇いもなかったんだろうなっていうのが、無邪気だなあ、と思う。
 そもそも、踏襲しているとはいえ、正式な祝詞とかを踏襲しているわけでもなく、神聖な儀式をいじってエンタテインメント化し、そこに観客を組み込んでいることとかも、逆に神道の立場からはどう思われるのだろうか、という気もする。そこも、無邪気だなあ、と思ってしまう。

 一概にやるな、とは言わない。ただ内部で議論があったのなら、もう少し演出を変えてきていたと思う。舞台全体が一つの儀式、というような構成にはしなかったと思う。私ならフィクション感をもっと積極的に出したな、と思う。客を巻き込まない。

 今回のものが、即座になにか宗教的にとか政治的に問題だということはないけど、神道、とくに過去の出来事からし国家神道というものを、割と無邪気にとらえているんだなあ、という姿勢が再認識できたので、またあんまりうれしくない方向に無邪気に行っちゃうこともあるだろうという不安がすごくて、ライブではあるまじき静まり返った客席、物音一つたたないライブにはあるまじき緊張感の中、帰ろうかどうか迷っていた(ちなみにその場面で席を立ったらものすごく雰囲気をぶち壊すし目立つので、約1万5千人の耳目を集めたと思う)。

 

2020.1.26 追記

 この記事を書いたとき、「今回のものが、即座になにか宗教的にとか政治的に問題だということはない」と書いたのだけど、よく考えたら、相手にそれと知らせずに、特定の宗教の神の名前を唱えさせるのはやはり問題なのではないかと思う。信仰上の理由で、神道の神の名前を唱えることに忌避感をおぼえる人はいるのではないか。まあ、あの雰囲気見たら予感がして、多分唱えないとは思うけど。
 でも、神の名を唱えていることを開示せずに歌わせるのはやはり問題な気がする。

 

「理想を実現するものは」 ~舞台・文豪とアルケミスト「異端者の円舞」感想~

 「文豪とアルケミスト」の舞台、「異端者の円舞」がめでたく千穐楽を迎えました。おめでとうございます。私は今回、この舞台を二回拝見し、あまりに感動して興奮のあまり寝られなくなったりしました。ありがとうございました。
 このエントリは、その眠れぬ夜に悶々と考えていた、やや重ための感情をただぶつけるためのものなので、暇な人以外は逃げてください。

 

 この舞台は、主に有島武郎カインの末裔」と武者小路実篤「友情」が題材になっています。有島武郎武者小路実篤、私のタイトルに「理想」って入っている時点で、予感がしますね?? 今から延々とその話をします。

 ところでみなさん、有島武郎カインの末裔」を読んだことがありますか? わたくしは今回、この劇のテーマが「カインの末裔」になることを知っていたので、劇を見る前にはじめて読みました。これが私の読んだはじめての有島武郎、ファースト武郎です。今からガンガン有島武郎のこと書くけど、つまり私はあまり有島武郎のこと知らない。しかし、出会って即、有島武郎に落ちてしまったので、むしろ今私の有島武郎熱はガンガン燃え盛っている状態です。

 で、「カインの末裔」の話です。「カインの末裔」って、あらすじ読むとなんか、めっちゃ面白くなさそうなんですよ。暗そうだし……。でも読むと全然印象違うので、もし読んだことない人は読んでみてください短いし。詳しい説明は省きますが、北海道の小作農を描きながら、ピューリタン的な労働倫理にたいする批判と、搾取構造の告発を行っているようにわたくしは思いました。私はスタインベックが大好きなんですけど、スタインベックが好きな人は絶対好きだと思います。なんか文章も物語構造もあんまり日本的でないです。
 有島武郎は、薩摩閥の有力者・有島武の長男です。当時の法律では長男がその家の家督を継ぐことになっていますから、彼は有島家の家督を継ぐ者として運命づけられ生きてきて、「カインの末裔」を書いた当時、まだニセコの有島農場の場主でした(後に彼は、農場を小作農たちの共同所有と相互扶助を条件に開放し、持主としての権利を放棄します
有島農場の誕生と終焉|特集|北海道マガジン「カイ」)。

 この時点では、まだ彼は「カインの末裔」に出てくるあくどい場主と同じ立場です。そういう人があの作品を書くことの意味はちょっと考えられないくらい重い。しかし、場主の立場のままで小作人の苦しみを書くということへの違和感を、恐らく武郎本人が一番感じていたと思います。

 有島武郎が生前にも浴びせられたことばを、劇中でも浴びせます。上流階級の人間がなぜああいった作品を書くのか。あまりに立場が違いすぎるではないか。劇中の武郎ははっきりとした回答をしない。それどころか、「どうせ僕には彼らの本当のことは分からないのに(うろ覚え)」、と自分でも言い、追い詰められます。やめてよ…(私の心の声)。
 そこで武郎に語りかける(人の一人)のが、武者小路実篤です。はい、来ましたよ、白樺派の精神的支柱! 

 

 わたくし、有島武郎と違って、武者小路実篤のことは前から好きなんです。本当のことを言うと、私はどちらかと言うと柳宗悦の熱烈な支持者なんですけど、まあ、ともかく、この女は武者小路実篤が好きなんだな、ということだけ頭に入れてこの後を読んでください。
 この武郎と実篤のやり取りは、ちょっとわたくし高ぶりすぎていて、武者が何を話していたのか具体的にはあんまり覚えてないんですけど()、ザ・武者小路実篤でした。ともかくあまりにも、私の理想の武者小路実篤有島武郎でずっとこぶしを握っていました。
 武者小路実篤は前作の舞台から出ているのですが、この前作の舞台の武者が、ゲームの武者(ゲームのキャラはそれぞれ文豪の特性を引きずっているとは言っても、明らかに別の性格のキャラです)よりもずっと本物の武者小路実篤に近くて、私はめっちゃ好きだったんです!!! 今回も、この「カインの末裔」を扱っている前半の部分の武者は、あまりに理想の武者小路実篤でした……。諍いの中でさえ柔らかい言葉を紡ぎ、それでいて自分の信念は絶対に曲げない。ケンカをするべき時はするが、きれいなケンカをしようとする、それが武者小路実篤です。彼の言葉の選び方は、相手を人間として尊重する人にしかできない類のものです。武者は強く理想を信じ、理想なきもの(と思ったかどうか知らんが)のことばを柔らかくしりぞけ、折れそうな武郎の心を支える。最高だよ武者小路実篤。そんな武者小路のことばを聞いて、最後に武郎は言います。
「武者さんの言葉は魔法だ。平等で公平な社会、そういう理想が本当に実現出来る気がする(うろ覚え)」
 もうさ、これ……。どう思います??? エモすぎて吐いちゃう……。

 社会の不平等に対して深く思索し、アクションを起こしながらも、恐らく最後まで自身の正しさに自信を持てなかったであろう武郎。有島武郎の深い苦悩は、その文学を一段高めたとは思いますが、のちに彼が制作意欲を失っていったのもまた、この苦悩ゆえだったとも言われます。

 武郎のあまりに気高い理想には、それゆえに諦観が付きまといます。それに比べて武者小路実篤の描く理想には一点の曇りもない。困難や苦しみはあっても諦めはない。武郎は、実篤が理想を掲げて提唱した共同体「新しき村」について「この企ては失敗に終わるだろう」と書きました。それでいて、彼は「新しき村」の資金のために本を編集し、「白樺」の寄付金募集欄を担当し、陰に陽にその活動を支えてもいました。
 理想と現実の間で苦悩する有島武郎にとって、武者小路実篤の理想と実践がどのような意味を持っていたのか。文劇においてのその答えが先の言葉なんですよ。はぁ??? 吐いちゃう……。

 

 そして、物語の後半では武者小路実篤「友情」に焦点がうつります。文アルでは、過去の名作小説が「侵蝕」されると、その作者にも影響が出てしまうという設定があります。具体的に言うとちょっと精神を病んだり、記憶が混乱したりといったことが起きます。そして、この「侵蝕」というのは、作品に込められた「負の感情」によって引き起こされるそうです。なんか舞台ではそう言ってました。今回、「友情」が侵蝕されるのですが、そこで問題になるのがこちら。
「あのいつも前向きな武者小路実篤の作品に、負の感情が入り込む隙があるのだろうか」
 そんなものはないよ、て感じのことを芥川さんが言います。しかし、実際侵蝕されてるんだから負の感情があるんだよって前提で話が進みます。もうこの時点でわたくしなんか、ちょっと違和感あるわけですね。武者小路実篤と負の感情を紐づけて話さないでいただきたい、みたいな気持ちありますでしょ。芥川さんは正しいですよ。でも仕方ない、文アルはそういう設定のお話なんで。と思ってモゾモゾしながらも座って観ていました。

 そう、ここまでは仕方ないんです。文アルというのは、元々過去の名作小説がどんどん「侵蝕」されて消えて行ってしまう現象と戦う物語なので、登場人物の作品が侵蝕される話になるのは必然です。しかし、この侵蝕によって作者が受ける影響の方は、あまりちゃんとゲームで描かれていないんですが、おそらく個人差があると思われます。過去にゲーム内で「斜陽」が侵蝕されるというイベントがあって、だざいの精神がズタボロになってたことがありましたが、まあねって思ったんですけど、今回は武者小路実篤なんで!!! あの武者小路実篤! 大丈夫でしょって思いません? そんな影響受けないでしょ、武者小路実篤だぞ。ちょっとやそっと作品を侵されたからと言って精神を病むわけないだろ。
 ところがわたくしの予想と違って、なかなかどうして武者さんはボロボロになります。ここでちょっとわたくし、恐慌をきたしました。どういうことや??? 武者小路実篤やぞ???? 新しき村立ち上げ時にぼろくそ言われても「自分の精神には間違いがないと思っている。」て書いた武者小路実篤だぞ??? 君、知ってる?? 武者小路実篤知ってるの???
 でもね、明らかにこの脚本書いた人、武者小路実篤知ってますね。ていうか多分武者小路実篤めっちゃ好きです。めっちゃ伝わってきます。前作と今作の前半の武者見てみ? 完全なる武者小路実篤だよ。それをなんでここまで崩してくんの?? 意味分かんない……。て思って一回目は、「なんかすごく面白かったし、白樺派好きなんだなってのはすごい伝わってきたけど、一部よく分からない」という感想で帰るんですけど、帰った後ずっとこの武者小路実篤のこと考えまくってて、寝ながらもずっと考えて、早朝四時頃、半分寝た状態で一つの結論に至って、完全に覚醒しました。エウレカ

 

 「文豪とアルケミスト」ていうゲームには主人公はいないんですけど、プロモーションとか見てると、「芥川龍之介」と「太宰治」がこのゲームの顔らしい、ということはあきらかです。この二人が重視されると、自然とクローズアップされるのは白樺派志賀直哉です。
 ゲームでは、志賀直哉がいかに「小説の神様」として祭り上げられているかということに焦点があるように思います。あんまり詳しくないんだけど、多分文学史的にはそれはとても大きなトピックなんだろうと思います。ここは深入りすると長くなるのでともかく、ゲームでは志賀直哉が神様扱いされてて色々あるんだな、て思ってください。
 しかし、実際には、むしろ武者小路実篤こそが、その高邁な精神と前向きな作風から、神のごとく崇められてきた歴史があるのではないか、と思い至ったのです。
 志賀の崇められ方というのは、あくまでもその小説の技法というか、「小説家」としての志賀直哉ですが、我々(?)が崇める武者小路実篤は、小説家としての彼というよりは、その行動、性格、人格、作風としての前向きさと強靭さ、そういった彼の人間性そのもの、小説家・武者小路実篤を崇拝しているのではない、人間・武者小路実篤を崇拝しているところがあるように思います。
 少なくとも私は、彼がひたすら理想の共同体を具現し続けた(困難な戦時中でさえ)、その強靭な意思と高邁な精神に惚れ込み、神のごとく崇めているところがあります。
 だからこの劇の中で武者が侵蝕者の影響を受けたときに私は「武者の精神がそんな簡単に折れるはずない!」てキレたわけですよね。そんな簡単に精神折れられたら困っちゃうじゃないですか。私の中で武者小路実篤はちょっとやそっとで折れる人じゃない、その強さに惹かれて、その高邁な精神に救われてここまで来たんだよ私はよ。私たちと武者小路は違う存在なんだよ。あの武者小路実篤だぞ。

 いや、心の端っこでは分かってます。武者小路もそれなりに人間らしいムーブ決めてるときはあります。その最たる例は戦時中のもろもろですけど、もっと細かいところでもやっぱり人間らしい、ちょっとそれはどうかなダメじゃないかな、みたいなことの一つや二つや三つ四つはあります。でも私はそういったことにももっともらしい理由をいちいち見つけてつじつまを合わせて(武者小路自身がそういう作業をやっている部分もあるけど)、武者小路実篤は素晴らしい人だ、という結論を補強しようとしてきたな、と思います。でもこれ、私だけじゃないでしょう。こういう一派は常にいました。こういうことをしている武者小路実篤研究本、あるからまじで。この一派はお互いにこうやって武者小路実篤のすばらしさを確認して、補強していってるようなところがある。だから、私の頭の中の武者小路実篤は人間離れしています。人間らしい負の感情とは全く無縁かのような人です。

  しかし、武者小路実篤は人間である。それを文劇はあえてぶつけてきたんじゃないかと、まあこれは私の考えすぎかもしれないんですけど、でも明らかになるせゆうせい(脚本)は武者小路実篤好きだと思うのでやはり! あえて! ぶつけて来たんじゃないかと、わたくしは思うわけです!!

 ともかく後半の武者さんはものすごく人間くさいですよね。苦しみ、惑い、あまつさえ人を傷つけ苛む。でもそういうこともありますよね。だって人間だからな。私がなんとなく忘れていただけで武者小路実篤は人間だもの。これはなかなかの衝撃でした。武者小路実篤は人間である! 目を覚ませ! お前が崇拝するものは完璧じゃない、人間なんだぞ! って、文劇はわたくしのような信者を殴りに来たんじゃないかと思いました。

 これは実は、すごい、すごく感動的なことだと思ったんです。武者小路実篤は我々と同じ人間である。あれほど強い意志を持つ彼も、我々と同じ人間なのです。

 

 さっき、武郎と違って、武者小路実篤の描く理想には一点の曇りもないと私は書きました。でも本当はそうじゃない。彼は本当は挫折しています、認めたくないけど。彼は新しき村の中では生きられなかった。でもそれは、彼の理想が完全についえたということではありません。彼は最後まで新しき村のために働き、新しき村は今まで存続してきました。彼は最後まで投げだしたりはしなかった、そういう強さがあります。でもそれができたのは彼が人間だからです。人間は、このように社会を変革していける。少なくともたくさんの人間に影響を与えて、よりよい社会を希求し続けることができるのです。

 理想を実現するものは、神ではない、人間だ。理想を掲げ、諦観ではなく実践を。それを突き付けてくるのが「文豪とアルケミスト 異端者の円舞」だったと思います。

 

歌舞伎座「十二月大歌舞伎」を見よう

 今回、令和元年歌舞伎座の十二月大歌舞伎昼の部を、歌舞伎初めて見るお友達と見る予定となりましたので、鑑賞の手引き的なものを作ってみました。割と力作なので公開します。あとなんか間違ってたらそっと教えてください。

 正直「阿古屋」の話しかしていない。

 

 演目紹介を本来一つ一つしたいところですが、今月の昼の部演目の中では、不勉強に阿古屋しか見たことないので(しかも映像で)、阿古屋だけ軽く解説させていただきます。

 

壇浦兜軍記 阿古屋

あらすじ

※「」内は私が意訳した現代語、『』は原文ママのセリフです。ただ底本に文楽の床本を使ったので多少言葉が違う可能性があります。

 

 阿古屋は時代物*なので、言葉は聞き取りにくいと思います。あまり聞き取りに必死になりすぎず、あらすじだけ頭に置いておいていただければ、ところどころ聞き取れなくても理解できると思いますので気楽に見てください!

 「阿古屋」は壇浦兜軍記という長い物語の中の一部です。前後の部分は今日ではまず上演されることがありません。歌舞伎はこういうことが多く、人気のある演目の、人気のあるシーンだけが繰り返し上演されます。人気あるシーンをよりあつめて上演することを「みどり」と言います。今回見る十二月大歌舞伎も「みどり」です。「よりどりみどり」の「みどり」ですね。

 

 「阿古屋」は平家の残党、平景清藤原景清)を題材とした景清物の一つです。景清は結構人気キャラ(?)で他にも景清を書いた作品がいくつかあります。このお話では、景清は源頼朝を討つため京都に潜伏中、源氏はその行方を追っています。

 阿古屋は京都・五條坂の遊君(遊女)で、景清の恋人です。景清の行方を知っているだろうということで、堀川御所(源氏の京都での住まい)に呼び出されました。

 阿古屋は打掛を羽織り、豪華な衣装で登場します。堂々としたたたずまい。阿古屋を連れてきた手下が「いろいろ責め立てたが、景清の居場所を言いません」と報告。すると岩永左衛門(赤い顔で怒ってる方です)が、

「阿古屋は拷問に疲れてる様子もないし、お前らの調べが手ぬるいのだ。自分の屋敷に連れて行って居場所を吐かせてみせよう」

 と言います。この岩永というのは敵役です。忠義者を装っていますが、自分のことばかり考えている、そういう役です。岩永の役の見どころは「人形振り*」です。これは後述するので興味があれば読んでください。この岩永を押しとどめ、重忠(白い顔で真ん中に座ってる方)が阿古屋を諭します。

「義理と情けを立てる遊君のお前だから、夫の行方などそう簡単に言えるものではないだろうが、鎌倉殿(頼朝)へのご奉公なのだから、そこをよく弁えて話しなさい」

 重忠は情けある、理知的な人物です。なのでこうやって言葉を尽くして阿古屋を説得しているわけですね。この言葉に阿古屋は、

「勤めの身(身を売っていること)の心を汲んでのおっしゃり様、景清殿の行方を知っていればお心にほだされて言ってしまうだろうが、知らないので言えない。言わないのであなたたちも私を責めねばならないだろうが、それもあなたたちのお勤め、私は責められるのが勤めの代わり、『勤めといふ字に二つはない。憂き世ではあるまいな』」

重忠のお心に感謝しつつ、名のある遊君としての矜持を示した、かっこいい切り返しですね。これを聞いて岩永はキレる。

「お前は妊娠しているらしいな。いいことを思いついた。塩煎り責めにしてくれよう(よう分からんが、多分めっちゃ恐ろしいことを言ってる)」

 これを聞いて、阿古屋は笑います。

「そんなこと怖がって苦界が勤まるか。(重忠と岩永は)同じように殿様顔しているけれど『意気方は雪と墨(心根には雲泥の差がある)』。水責め火責めには耐えられるが、重忠様の計らいで色々労わられて、義理づくめで諭され景時の居場所を聞かれた今日の方がよっぽど苦しい。しかし知らないので仕方ない、もういっそ殺してください」

「ここまでしても本当を言わないのなら仕方ない、拷問しよう」

 と重忠が言います。岩永は喜んで水責めの用意をさせようとしますが、重忠の手下が持ってきたのは、琴、三味線、胡弓です。

「何をふざけたことをしている。拷問などと言って、遊君に琴弾かせて、自分の楽しみにするつもりか」

 と岩永は怒りますが、重忠は琴弾けと阿古屋に迫ります。

 

〽影といふも、月の縁。清といふも、月の縁。かげ清き、名のみて、映せど、袖に宿せず

 (ことばを掛けて、景清の行方は知らないと歌っている)

 続けて、重忠は「景清との馴れ初めを言え」と迫ります。

「変わったことをお尋ねになる。あれはまだ平家が力を持っていた頃、清水に毎日詣でていた景清と、五條坂でいつしか顔みしりとなり、羽織の裾のほころびをちょっと直してあげたり、急な雨に傘を貸してあげたり、『雪の朝の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒一つ』男女の関係となったが、平家が都落ちしたのが縁の切れ目となりました」

 

 続いて三味線を弾けと重忠は言います。そこで、阿古屋は帝の寵愛を失った中国の官女の故事に由来する謡曲「班女」を弾きます。要はもう自分は景清に顧みられなくなったのだという意味です。

 「しかし、景清が京都に潜伏している時に、度々会っているのだろう」と聞かれ、阿古屋は「京都に戻ってきた景清とは、自分の勤める店の格子先で、編笠越しに一言声を交わしたきり会っていない」と答えます。これに重忠は「そういうこともありそうだが、恋は思案の外というから本当のところはどうか分からない。今度は胡弓を弾け」と言います。

 

〽吉野龍田の花紅葉、更科、越路の月雪も 夢と冷めてはあともなし ~~

これを聞いて、重忠は音に現れた誠に感動し、「景清の行方を知らないという言葉に偽りはない。これで拷問は終わりだ」と言い、阿古屋は涙を流し喜びます。

 

 

 はじめて見ると、え、ここで終わり? て思うかもしれませんが、「みどり」はこういう「続く!」みたいな、アニメ第1期最終回でファンが「ここで終わり~?」てTwitterで嘆く感じの終わり方が多いです。そういうものだと諦めてほしい←

 あと、なぜ琴・三味線・胡弓を弾くのが拷問なんだっていう根本的なところが気になってしまうかもしれないのですが、まあこれは歌舞伎の華やかな嘘ということでとりあえず納得してほしい。さらに言うと、妊娠している阿古屋への重忠の思いやりとか、高位の女郎なんか買えない江戸時代の庶民に対して、琴・三味線・胡弓をさらりと弾いてしまう華やかな廓文化の一端を見せるという趣向でもあると思います。音に誠があらわれる、というところも非常に物語としては美しいのではないかと思います。この琴・三味線・胡弓の三曲を弾くというのが非常に難しく、長い間、坂東玉三郎しか「阿古屋」を演じられる役者がいないと言われ続けていました。去年から若手の梅枝、児太郎がこの難演目に挑んでいます。

 あらすじ読むと「それで?」感が強いかもしれませんが、これで感動させるのが舞台の魔法っていうか、役者の力量だと思います。感動できなかったとしても役者の力量不足とか、自分との相性の問題とかだと思うので、万が一「しょうもな」って思っても懲りずに違う役者、違う演目で歌舞伎を! 見ていただければうれしいなって思います。

 

 

演目解説(読まなくても話は分かります。暇なら読んで)

時代物 壇之浦兜軍記は、この作品が作られた時代(江戸時代)から見て過去の歴史上の事件に題材を取った、「時代物」と言われるジャンルになります。(ちなみに江戸時代が舞台の作品を「世話物」と言います。)いわゆる歴史ジャンルになるのですが、歌舞伎には大河ドラマのような考証をしっかりした作品というのは基本存在しません。過去の創作(「平家物語」など)などを下敷きに新しい解釈を入れた重厚な人間ドラマ、不思議な要素を組み入れた歴史ファンタジーなどが主流です。時代物は観客の現在の生活からかけ離れた世界を描けるので、衣装やメイクなどはデフォルメが激しくなる傾向があります。また、あんまり時代考証とかちゃんとしないので、意外と風俗は江戸時代そのままで描かれたりします。こういうところ、日本の現在のゲームアニメとかと似てるなと思います。戦国BASARAとか、服装のデフォルメすごいじゃないですか、革ジャンみたいの着てるし。技とかもなんかすごいし。ああいう実際のその時代の風俗からは離れていく感じです。言葉も世話物は割と普通に聞き取れる話し方ですが、時代物は節回しが独特で、聞き取りにくかったりすると思います。まあまあ歌舞伎見てる私もたまに聞き取れていません。聞き取りに必死になると疲れるので聞き取れなかったらなんとなくで流してもいいと思います。要所要所はゆっくりしゃべったりしてくれるので聞き取れると思います。

 

丸本物 人形振り また、壇之浦兜軍記はもともと人形浄瑠璃(いわゆる文楽)のお芝居を歌舞伎にアレンジしたものです。他にも人形浄瑠璃から歌舞伎に移された芝居は多く、このジャンルを「丸本物(義太夫狂言)」と言います。これらの物語は、大阪発祥の「義太夫節」というもので語られます。「義太夫節は、語り手の太夫(たゆう)が、物語の進行だけでなく、全ての登場人物に関する心理状態や感情を原則として一人で語り分けます。」(文化デジタルライブラリーより引用)。歌舞伎でも太夫が出てきて、舞台の横で物語を進行します(ちなみに歌舞伎の義太夫節のことを文楽義太夫と分けるために「竹本」と呼んだりします)。

 要はナレーションと人物のセリフを全部ひとりの人が語るのがそもそもの義太夫節なのですが、これを歌舞伎に移すので、人物のセリフの部分は歌舞伎の場合、役者が語ります。時々太夫に語らせて役者は身振りだけするアテレコ方式を取る場面もあります。

またこの義太夫節というのが、なかなか聞き取れない。私は人形浄瑠璃の方もそれなりに見ているのですが、それでも割と聞き取れていません。これもあまり聞き取りに必死にならずに、聞き取れたところだけ理解すればいいと思います。義太夫も突き詰めれば音楽です。節回しの音を楽しんでいればちょこちょこ意味わからなくても、意外と感情移入できますマジで!

 そしてこの丸本物に時々使われる趣向に「人形振り」というものがあります。役者が、人形浄瑠璃の人形の動きを真似て、人形遣いに操られているような所作をすることを言います。もうこれは実際見ていただくのが一番だと思うので、今回の岩永の人形振りをぜひ見ていただきたいと思います。

 

 

かるく俳優紹介

 はっきり言って、歌舞伎鑑賞なんて全然高尚な趣味じゃありません。基本的にはかっこいい役者にキャーキャー言うてるだけです。なのでぜひお気に入りの役者さんを見つけて一緒にキャーキャー言ってほしい。

 ちょっと豆知識なんですが、歌舞伎の配役表などに、割と役者さんの名字が載ってないことがあると思います。これは歌舞伎役者は同じ家の人(弟子も含めて家)が多いので、名字が同じ人がめちゃ多く、言うまでもないから省略されています。役者さんを「中村さん」「坂東さん」と呼ぶこともないです! いっぱいいるから! 「○○(下の名前)さん」と呼べばもう大丈夫。これだけ抑えればもうあなたも歌舞伎役者通。

 

坂東玉三郎(五代目 大和屋)

重要無形文化財保持者(人間国宝)、日本芸術院賞・恩賜賞、などなどなど。歌舞伎女形人間国宝なのは玉三郎さんのみです。当代随一の女形と言っていいと思います。

 玉三郎さんは歌舞伎の家出身ではなく、守田勘弥の養子となって坂東玉三郎を襲名しました。こういう梨園の家出身じゃない人が人間国宝になるっていうこともまずあまりないことです。歌舞伎だけでなく、バレエ、組踊などにも取り組み実績を残しています。正直、すごい人すぎて、好きすぎてことばにできないので、とりあえず今回その芸を見ていただきたい。

 

尾上松緑(四代目 音羽屋)

 早くにお父様を亡くされて、やはり苦労されたと思います。荒事(勇敢な役、「勧進帳」の弁慶とか)が上手いイメージがあるので今回の岩永もいいと思います。

 

坂東彦三郎(九代目 音羽屋)

 口跡が良く、演技もうまくて好きな役者さんです。ヤクルトスワローズファンで有名です。

 

市川中車(九代目 澤瀉屋

 香川照之です。歌舞伎役者になりたての頃と比べて、本当に上手くなられました。今回演じられる「たぬき」は新歌舞伎なので、言葉も現代語に近く分かりやすいと思います。もともと演技はうまい人ですから新作歌舞伎なんか、めちゃいい演技されますので期待していただいて大丈夫だと思います。

 

中村梅枝(四代目 萬屋

 まだお若いんですけど、本当に上手くて、何回かまじで絶句したことがあるくらいのやばい上手い役者です。若手の演技じゃない。今回は舞踊なんでそこまで演技見られないと思いますけど、踊りもうまいのでほんとに見てほしい。

 

中村児太郎(六代目 成駒屋

 こちらも若手期待の星の女形です。演技もうまいし、若々しい魅力もあるし今から注目しといて損はないと思います。