物を語る物語 ーミュージカル刀剣乱舞 「花影ゆれる砥水」感想断簡

 2015年から続いてきたシリーズ『ミュージカル刀剣乱舞』だが、今回の『花影ゆれる砥水』から本格的に脚本家が浅井さやか氏に変わり(おんすていじなどの外伝的な作品を除く)、前任の伊藤栄之進氏が作る世界観にファンも多かったことから、この新脚本に開幕初日から賛否両論だった。その評判を聞いて、私もかなり期待値を下げて観劇したのだが、結果としては大満足、すごく大好きな作品となった。ただし、今までの『ミュージカル刀剣乱舞』とは全く違う作品になってしまったという感覚はあるので、あの物語の続きを見たい、という期待には応えていないと思う。このような方向に舵をきることは、なかなか難しい選択だったと思う。私はこの選択を支持したい。今までと同じ世界観で作ろうとしても、模倣ではオリジナル以上のものは作れない。同じようなものを作ろうとして、逆に伊藤栄之進脚本の完成度との差異が浮き彫りになってしまう可能性もあるだろう。浅井さやか氏の「色」を出していくのは、今後も長く続く(だろう)シリーズをより良いものとするためには必要だったと思う。

 しかし私がここまで好意的なのは、今回の作品の方向性が個人的にとても好きだからという贔屓目が、正直ある。今作は、私が『刀剣乱舞』にここを掘り下げてほしいな~と思い続けていた部分を、がっつり正面から取り扱ってくれていたのだ。
 それは、「本質的にはモノである刀剣男士と、ヒトとの関係性」の問題である。
 私はやはり、モノとヒトとは、根本的に違うものだと思っている。モノとヒトとが、それぞれ全く違うものでありながら、違う前提に立ったままで心を通わす、ということにエモを感じる人種だ。だから、『刀剣乱舞』もどちらかというと刀剣男士の人外感に惹かれてプレイしていたのだが、『刀剣乱舞』も年月を重ねるごとに、どんどん刀剣男士が人間らしくなっていく描写が増えた。時の流れにエモを感じて、うれしい演出ではある。でも、やっぱりモノとヒトとは根本的に違うものだという片鱗を残していってほしいとずっと思っていた。

 ストレートプレイの『舞台 刀剣乱舞』で繰り返し言われることばに「物が語るゆえ物語」というのがある。『舞台 刀剣乱舞』はめちゃくちゃ面白い作品だが、私はこの言葉にだけは同意できなかった。物は在るだけで完成しており、物語がないと物を理解できないのは人間の方である。物に語らせるのはつねに人間の側である。

 今回の『花影ゆれる砥水』で、本阿弥光徳は幼いころに時間遡行軍の刀に出会い、その声を聞く。しかし、最後に彼は「昔、お刀様の声を聴いたと思ったが、それは自分自身の言葉だった」(セリフはうろ覚えですすみません)という意味のことを言う。彼は確かに時間遡行軍の声を聞いているのだけれど、同時にそれは自分自身の言葉だというのも真実であると思う。「人間はおろかで醜い」と思う彼の心が、時間遡行軍の声を拾うからである。

 桜は、風雨を疎んだりしないし、自分の花を惜しんだりもしない。しかし、もし桜に心が宿るのなら、その心は最初から、人が花を惜しむことを知っているだろう。風雨にさらされる桜をあわれむ人の心を思って、風雨にさらされたくはないと思うかもしれない。桜に心があるとして、その心と人の心の交流は、人同士の交流とは全く違うものになるはずだ。少なくともこの物語においては、モノの心は(もしかしたらヒトが使うために作ったモノの心は、という限定かもしれないが)ヒトの心を受け止め、投げ返すやわらかいものとして描かれていると思う。それは時間遡行軍や、一期一振影についても同じだ。モノは人の心を受け取って、それを素直に返してくれる。それはとても救われることだと私は思う。
 人が刀に向ける感情は、桜に向ける感情に比べて複雑だ。ある時は美術品として愛で、ある時は威信材として利用し、神宝としてうやまい、人を殺す道具として使い、ただの鉄塊として溶かそうとしたりもする。こんがらがった物語しかもたない刀は刀剣男士にはなれない。強い物語を持った刀だけが刀剣男士として顕現できる。一期一振が「一期一振」でなくなり、なんだか存在があいまいになってしまったのは、光徳が一期一振を選ばなかったからというより、光徳が一期一振に向ける感情が定まらなくなってしまったからだと思う。一期一振と極めなかったけれど、光悦の中ではこの刀こそが一期一振であり、その選択に後悔がなかったなら、一期一振は「一期一振影」という存在として、もう少し確固とした自我を持っていられたのではないだろうか。なぜなら、一期一振という刀は、在るだけで完成しており、物語がないと物を理解できないのは人間のほうだからである。

 

「問わず語り」

誰もいなくても 大地はそこにある
誰もいなくても 空はそこにある
誰もいなくても 風は吹き荒れる
でも誰かがいなくては 歌は生まれない

 

 浅井はるか氏が『ミュージカル刀剣乱舞 東京心覚』のために書いた「問わず語り」の歌詞。物語がなければ、人は物を理解できない。でも人がいるから、物語が生まれる。それはやっぱり、とても救いだと思う。少なくとも人間にとっては。