同人誌『「犯罪卿」の犯罪思想』発行いたしました!

 以前このブログで書いていた記事を発展させて、『憂国のモリアーティ』を思想面から紐解き、一九世紀末から二〇世紀初頭のイギリス思想、特にイギリス自由主義について取り上げた本を出しました!tsubanya.booth.pm

 犯罪卿ジェームズ・モリアーティは、どのような思想をもとに「犯罪卿」になろうと決意したのか、どのような社会を目指していたのかを、一九世紀の思想に基づいて考察しています。

 

 サンプルをpixivに上げておりますので、よろしければご覧ください。

www.pixiv.net

 本文冒頭の「はじめに」と「第一章」を掲載しております。

 

目次

はじめに
第一章 弁証法
       モリアーティ史観
       弁証法による暴力革命批判
       革命に代わる手段としての「犯罪卿」
       ウィリアムはヘーゲルマニア?
       保守、革新を超えて
第二章 功利主義
    功利主義の世紀
    トロッコ問題で説明する功利主義
    不公正な正義(ホワイトリー議員へのテスト)
    幸福を比較することは可能か
    最大多数の幸福は、少数者を犠牲にしないだろうか
    法は何を目指すか(罪と罰の関係)
付録  ロンドン近郊の公園の歴史
第三章 イギリス近代思想の系譜
       議会政治の国、イギリス
       保守主義
       イギリス的社会主義、およびマルクス主義共産主義
       イギリス自由主義
       イギリス普通選挙法改革にみる「平等」な政治
第四章 「自由」とはなにか
       新自由主義(ニューリベラリズム
       個人主義の守護者、スペンサー
第五章 「より良き」社会へ
       優生思想
       コナン・ドイルと優生思想
       最小限に品位ある社会(バーリン
おわりに

 

価格は870円(+送料)です! よろしくお願いします!!

超歌舞伎2022「永遠花誉功」がより面白くなる基本知識

超歌舞伎とは!

 2016年に「ニコニコ超会議2016」内の企画としてはじまった、ボーカロイド(バーチャルシンガー)「初音ミク」と歌舞伎役者「中村獅童」を主役とする新しい歌舞伎。NTTによる最新のバーチャル技術と、歌舞伎のアナログなケレン味が合わさり、ストーリーも歌舞伎の伝統を踏まえつつ毎回新しい物語が綴られます。
 毎年「ニコニコ超会議」内で興行される他、2019年からは京都四條南座にて本興行(歌舞伎専用に作られた劇場で行われる、だいたい一ヶ月の興行)としても上演されています(コロナで2020年はなし)。今年2022年は新橋演舞場南座をはじめ全国の劇場をツアーで巡ることになりました!

超歌舞伎2021

超歌舞伎のスター・システム

 超歌舞伎では、毎年いろんな時代の、様々な人たちの物語が展開されますが、そのほとんどすべてのストーリーの根幹に「白虎と青龍の戦い」が関わっています。白虎と青龍の因縁については、「今昔饗宴千本桜」(初回2016年、再演2019年)にて語られますが簡単に説明するとこうです。

はるか昔の神代の時代、日の本を魔界にせんと目論む青龍(澤村國矢)が、日の本を守る千本桜を枯らしてしまう。その後、千本桜を守護する役目を持つ美玖姫(初音ミク)は、千年以上もの間、枯れた千本桜を守護してきた。時は平安時代、美玖姫はかつて許婚だった白虎の転生した姿、佐藤忠信中村獅童)と出会う。二人は千本桜にふたたび花を咲かせようと力を合わせ、青龍を封印することに成功する。

 この後も青龍はいろんな時代に何度も蘇り、人を操ったり、時には自分自身の力でもって、日の本を魔界にしようとたくらみますが、そのたびに白虎が転生した人物、もしくは白虎に力を与えられた人物とその恋人(じゃない時もある)の女性によって封印されるのです。

 この大前提が分かってないと、突然龍が出てきて暴れまわるのがなぜかよく分からないと思うので、龍っぽいものが出てきたらそれは青龍、白い犬っぽいものが出てきたらそれは白虎と思って見てください。

 

 そして青龍の人間の姿・もしくは青龍に操られている人物を澤村國矢白虎・もしくは白虎に力を与えられたヒーローを中村獅童美玖姫・その他なんかすごい力を持っている女性の役を初音ミクが必ず演じます。役者を見るだけでその人の物語での役割がだいたい分かるシステムです。

 とはいえ、はじめて歌舞伎を見る人には、化粧した歌舞伎役者の顔を見分けるのは難しいと思います。私も歌舞伎初心者だった時代があるので分かります。では今出てきたのはどの役者なのか? それを知ることは超歌舞伎では超簡単です。周りの人の振っているペンライトの色を見てください。ペンライトの色が赤だったら中村獅童、青だったら澤村國矢です。初音ミクさんは唯一無二、あまり化粧をなさらないのでお分かりになると思いますがペンライトの色は当然緑。今出てきたのが敵か味方か、これで簡単に分かりますね! 好きな方を(まあ出来たら両方を)ペンライトで応援しましょう!

 

テーマソング「初音ミクの消失

 超歌舞伎は、毎回ボーカロイドの有名曲がテーマソングになります。今年のテーマソングは初音ミクの消失(cosMo@暴走P/2008年)。人間ではない初音ミクの悲哀を描いた初音ミク黎明期の傑作です。この「初音ミクの消失」の世界観が物語に深く関わってくるので、もしこの曲を聞いたことがないのであれば、劇場へ行かれる前にぜひ一度聞いておいていただきたいです。可能ならば、歌詞サイト等で歌詞も読んでもらえるとありがたいです。もちろん聞いたことなくても物語は理解できますが、エモ度が桁違いなんで! あと劇場で楽曲を聞いてもおそらく歌詞は聞き取れないので動画見て行ってください…! ニコニコにオリジナル、Youtubeに暴走Pのリメイク版が上がってます。古参ファンでオリジナルは聞いたことあるけどリメイク版のMV見たことない人は、一回だけリメイクのMV見てから超歌舞伎行ったほうが楽しめると思います…! リメイク版MVを見て!!


www.youtube.com

元ネタの古典歌舞伎

 歌舞伎の作劇方法に「書替え」と「綯交ぜ」というのがあります。書替えは先行作品のストーリーを元に、人物や場面を変えたりして新しい作品に書き換える方法、綯交ぜは複数の「世界」を掛け合わせて新しい一本の作品に作り変える技法です。超歌舞伎はこの書替えと綯交ぜを多用して、非常に歌舞伎らしい作劇を行っています。先行作品を知っておくと面白さが格段に違いますので、今回の「世界」である「妹背山婦女庭訓」について、少し解説いたします。

「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)

 文楽・歌舞伎の三大狂言の一つ。今年の超歌舞伎「永遠花誉功」はこの作品の世界です。大化の改新の直前、帝位を狙う蘇我入鹿を、天智天皇中臣鎌足が討ち取るまでの物語です。
 この物語の中でも特に有名な場面が二つあります。

吉野川』(日本版「ロミオとジュリエット」)

 大判事清澄と太宰の後室定高は領地争いで家同士対立しているが、それぞれの子供・久我之助と雛鳥は恋仲となってしまった。そこに入鹿は、久我之助を入鹿の家臣に、雛鳥を入鹿の妾にせよと難題を押し付けてくる。久我之助と雛鳥は、入鹿の言いなりになるよりはとそれぞれ死を選び、親たちもせめて相手の家と相手の子供の命を助けるために、自分の子供の死の決意を受け入れる。二人がそれぞれに自害したあとに、清澄と定高は相手の子供も亡くなったことを知り嘆き悲しむ。せめてもと雛鳥の首を吉野川対岸の大判事清澄の家へ川を渡して送り届け、久我之助に死後の嫁入りをさせるのだった。

 

 「超歌舞伎」では太宰の後室定高の娘「苧環」を初音ミクが演じます。定高の子は雛鳥のはずなのに名前が違います。これはたぶんわざとです! あれ? と思ってください。

「道行恋苧環」「三笠山御殿」(苧環がつなぎ、断ち切る恋の三角関係)

 町娘お三輪は求女という美男子に恋しているが、求女はじつは藤原鎌足の子、淡海の世を忍ぶ仮の姿である。求女は入鹿の家へ忍び入るため、入鹿の妹・橘姫と恋仲になっており、求女は橘姫と会った際に姫の服に苧環に巻いた赤糸をつけてその跡を追う。嫉妬したお三輪も求女の服に苧環の白糸をつけてさらにその跡を追うが、途中でお三輪の白糸が切れてしまう。入鹿の家までついて来た求女に、橘姫は求女の正体が淡海であると気づいていたこと、さらに愛する淡海に討たれるなら本望だと告げる。感心した淡海は橘姫が入鹿の宝剣を奪ってくるのであれば結婚すると告げる。

 お三輪もようよう入鹿の館へたどり着くが、求女と橘姫が結婚すると聞かされて嫉妬に狂う。髪を振り乱し奥に駆け入ろうとしたところを、鎌足の家臣・金輪五郎に刺される。五郎はお三輪を「女悦べ。それでこそあっぱれ高家の北の方(正妻)」と褒めた後、求女の正体と、なぜ五郎がお三輪を殺したかを語りだす。実は入鹿を討ち果たすマジックアイテムを完成させるには、嫉妬に狂った女の血が必要だったのだ。求女とは所詮身分違いで結ばれぬこと、自分の死が淡海のためになることを知って、お三輪は満足して死んでいく。

 

 金輪五郎は「妹背山婦女庭訓」では主役級の役ではありません。しかし超歌舞伎では主役の中村獅童の役名が金輪五郎です。あれ? て思いました。そして、苧環苧環はこの物語では恋をつなぎ、あるいは断ち切る道具で、人の名前ではなかった。ということを頭に入れておいていただけると超歌舞伎2022が面白い、かもしれない。

 

 その他詳しいあらすじや見どころは松竹さんがレポートしてくれていて、とっても分かりやすいんですが、めちゃくちゃ重大なネタバレがばっちり書いてあるので、初見の方は個人的には見ないでほしい……けど、超大事なネタバレをされても大丈夫だぜ! て方はこちらから↓

www.kabuki-bito.jp

 

「民藝」の創始者、柳宗悦という人 その2

 前回のエントリ⇩

tsubana.hatenablog.com

柳の宗教論

 柳は早い時期から宗教や心、精神の問題に興味を持ち、「白樺」でも当初は宗教哲学を中心に執筆していた。宗教哲学は美術論より先に柳の研究テーマであったし、また美術論とあわせて彼の終生のテーマでもあった。

 柳自身は、特定の宗教を信じたことは一度もない。しかし、信仰というものを信じていた。何かを一心に、ひたむきに信じる心を美しいものだと思っていた。それは無心に作られた名もなき職人たちの手仕事を愛した、民藝への道と通じるところがあるだろう。

 柳の宗教への興味も、西洋文化への理解からはじまった。学習院時代の恩師で、敬虔なクリスチャンであった服部他之助から、柳は神と自然の真理について学んだという。エマソンホイットマンを読んだのもこの頃で、エマソンの直観の思想を柳は重視した。やがて柳はウィリアム・ブレイクを知り、傾倒する。柳のブレイク研究については、正直私が全然理解できていないので、あえて何も書かない。柳の「ヰリアム・ブレーク」を読んでください。

 この柳宗悦初期の時代、巷では自然主義が流行していた。自己の内面をありのままにあらわす日本の自然主義のあり方は、直観を重んじる柳には全く響かなかっただろう。この自然主義への反発は、「白樺」同人たちに共通してみられる特徴だ。自然主義に対して、白樺派は直観・実感を重んじていた。この思想は、柳の生涯を通して息づく思想だと思う。

 柳は東洋美術に心惹かれると同時に、東洋の哲学、宗教にも心を傾けていく。一つには、柳の終生の師ともいえる鈴木大拙の影響があるだろう。もう一つは、やはり美術からの興味である。あらゆる芸術品には、それを作った者の思想があらわれる。それが仏教美術ともなればなおさらだ。仏教美術はその仏教思想と全く不可分であろう。彼が心を注いだ仏教美術は数多いが(木喰上人の発見など)、今回は彼が傾倒した一遍上人について触れたい。

 柳は「一遍上人絵伝一遍聖絵)」の美しさに心を打たれ、一遍上人その人自身に興味を持つようになった。
 一遍は鎌倉新仏教の一つ、時宗の宗祖ともいうべき人物である。法然からはじまった浄土門に属し、阿弥陀仏の悲願によって衆生はみな救われ、往生すると説いた。
 柳は、すべての仏法に共通する理念を「不二」であるとしている。相反するものの対立を超えたところにある平等という意味である。しかし、「不二」を悟る道にはいろいろある。「丁度富士山の山を想えばよい。頂きは二つではない。だが之に上る道は様々に分れる。」(「一遍上人」、1955)このそれぞれの道の違いが、それぞれの宗派の教えの違いなのである。
 浄土門の不二を悟る道を、「非」であると柳は言う。「智」(叡智)によって自ら不二を悟ることができる者は限られている。しかし、凡夫にも不二へ至る道は用意されている。それが阿弥陀仏の「非」(慈悲)、自分自身の力によってではなく、阿弥陀仏の慈悲の力によって悟る方法、いわゆる「他力」である。
 法然親鸞という偉大な上人を経て、ただ信心し、阿弥陀仏を念じることで凡夫にも往生の道が用意された。その後に続いた一遍の独自性を、柳は「信不信を選ばず」全ての人々に往生が約束されていると説いた点にあるとする。もし人間の力で往生が出来るのなら信じることも必要である。しかし、すべての人間の往生は、阿弥陀仏が正覚をとったその刹那に決定されているのだ。人間の力によって往生できるのではない、信じない者をも阿弥陀仏は救う。ここに一遍は善悪、賢愚といった別に加え、信不信の別をも消し去った。これが不二というものである。
 この、人は自らの力で悟るわけではないという「他力」の精神は、柳の哲学の根幹となっていく。

美の法門

 柳は名もない職人によって作られた工芸品、民衆の生活に根差した生活用品を愛した。しかし、実際に民藝館で展示されているものの中には、高価な品、富貴な人が所持していたような品もある。先に述べた「一遍上人絵伝」なども、民藝品とは呼べないだろう。しかし、それでも民藝館にあるような品、柳が愛した品々は民藝的なものであると言える。もっと言うならば、それは美しくあろうとして美しいものではなく、本来の性として美しいものなのである。これを仏教哲学に基づく理論として示したのが、柳晩年の著「美の法門」である。

 この世には美しいものと醜いものがある。しかし「不二」の精神にのっとれば、本来美しいものと醜いものとの間には差異がないはずである。本来の性にあれば何ものも醜さには落ちないはずなのだが、しかしこの世にあって本来の性にあることは難しい。美しくなろうとするあまり、すべてのものは容易く醜さに落ちてしまう。

 しかし、美の世界にも「他力」の救いが用意されているのである。自らの力によって美しくあることはあまりに難しい。だから、美しくあろうとせず、ただ無心に作られたものに真の美は宿るのである。繰り返し行われることによって研ぎ澄まされ、あらわれてくるような無私の作品が民藝の美である。
「人の善悪を選ばず、信不信を待たず、一切の人間の一切の作は、少しの例外をも許さず、仏の済度を受けているのである。」

 美学に宗教を持ち込むことを奇異に感じる方もいるかもしれないが、宗教を観念でなく物質に即して考えたのが柳の独自性である。美学より先に宗教がある。美を信仰するのではなく、美が人々を信仰へと導くのである。たとえば、茶道は禅の精神が美としてあらわれたものである。人々は茶道の美に触れることで、禅の精神に触れる。
 そして民藝は阿弥陀仏の悲願による美術である。他力の美である。善悪、賢愚、信不信、そして美醜というものを超えた「不二」の精神が実現された時、「美の浄土」は現実の生活のなかに実現される。救いは彼岸にあるが、彼岸は遠く離れた場所にあるのではなく、この此岸の中にこそあると柳は考えていた。一切の衆生阿弥陀仏が正覚をとった時に、すでに救われているのである。これが柳の打ち立てた宗教美学であった。

おわりに

 まあ色々書いたが、私が思うに柳宗悦という人の重要性は、人間性というものに絶対の信頼を置き続けていたという点にあると思う。もちろん民藝という日本独自の概念を提唱して、各地の工芸を守り、育てたことは、外から見ると彼の大きな仕事だと思うが、彼の中では彼の一連の仕事の中の一分野に過ぎなかったんじゃないかという気がする。彼は先に人間性というものを信じており、人間性を信じるが故に人間が作り出すものの美を追求し続けたのだと思う。

 彼は私のような熱心な支持者も持つが、批判されることも結構ある。たとえば、民藝は作家性を徹底的に排除するが、それは結局個性的な美の発展を妨げることもあるし、作家性を排除しながら河井寛次郎のような強烈な個性を持つ作家を評価しているのも矛盾である。彼は功罪ともに多い人だと思う(私が書くと罪の部分も擁護してしまうのでこれ以上は書かないが)。だから、とりあえず、柳の著書を読んで、彼が何をしたかったかなんとなく理解して欲しい。そして彼の功罪をひも解いてくれる方がいたら、とてもうれしいと思う。

オススメ書籍

柳の著書

柳宗悦 朝鮮の友に贈る書 (aozora.gr.jp)
 この文章を読んで私は柳宗悦の虜になりました。三・一運動に対する日本政府の弾圧に心痛めた柳の心情がよく伝わってくる。理想主義的な文言が多く、そらぞらしく感じられる方もいると思うが、この時代に真っ向から政府批判、軍部批判を書くことの困難さにも思いをはせていただければと思う。柳特有の格調高く、ややウェットな文章の特徴もよく出ている。

手仕事の日本 - 岩波書店 (iwanami.co.jp)
 柳が戦中に書いていたものを戦後発表したもの。日本全国の工芸品について解説された、カタログ的な書物。ご自身に関わりある地域について拾い読みしても面白いと思う。カタログ的な仕上がりにこだわっているので、柳特有の文章の面白さはさほどない。青空文庫にもテキストがあるが、芹沢銈介の口絵が見られるので文庫をオススメします。

美の法門
 これは柳晩年の、言うなれば彼の集大成ともいえるような美の哲学についての書物なので、いきなりここから読むのはあまりおすすめしないが、民藝とか、柳の書物を1,2読んだ後にぜひ読んでほしい。現在新書店で手に入れられる版では筑摩書房さんの筑摩書房 柳宗悦コレクション3 こころ / 柳 宗悦 著, 日本民藝館 著 (chikumashobo.co.jp)があります。

 

その他

筑摩書房 民藝の歴史 / 志賀 直邦 著 (chikumashobo.co.jp)
志賀直哉の甥で、柳の弟子ともいうべき志賀直邦による民藝に軸を置いた柳の半生記。柳の民藝に対する姿勢がよくわかる。申し訳程度に志賀直哉の話も出てくる。

リーチ先生/原田 マハ | 集英社の本 公式 (shueisha.co.jp)
柳の盟友、バーナード・リーチを題材にした小説。民藝のこともよくわかるし、当時の日本美術の動きや、陶芸のことなども分かる。なによりめっちゃくちゃ柳出てくるのでオススメ。フィクションも入っているので(当たり前だが)、そこだけ気を付けてください。

おすすめスポット

全国の民藝館 | 日本民藝協会 (nihon-mingeikyoukai.jp)
 やはりなんといっても、各地に建てられた民藝館にぜひ行ってもらいたい。民藝館は必ずしも大都会にあるわけではないので(大都会にもあるが)、思いがけないご近所に館がある可能性もある。地域の民藝館は、やはり土地の品の収集に熱心なので、ぜひお近くに民藝館がある方は一度訪れていただきたい。
 民藝館の大きな特徴として、キャプションが極端に少ないということが挙げられる。これはキャプションを読むことに熱心になりすぎて、物自身をじっくり見ないようになることを防ぐため、あえてそうしているらしい(どこかでそう読んだのだが、どこで読んだのか思い出せず確認できていないので、細かいニュアンスは違うかもしれません)。いきなり行くとちょっと戸惑うかもしれないが、じっといくつかの作品を眺めていると、なんとなく民藝の精神みたいなものが分かってくる気がする。最近は要望に応えて説明紙等を置いているところもある。

主要な民藝館として二館紹介したい。

日本民藝館(東京)
 柳は長年、工芸品を広く紹介する館の設立を構想していたが、大原孫三郎の寄付によって、ついに1936年に建てられたのがこの館である。柳の収集した品を中心に、国内外の工芸品を集めた、最も大規模な民藝館である。柳の旧居も公開されている(旧居は公開日が限られる)。

倉敷民藝館
 大原孫三郎の息子、總一郎が柳の高弟ともいうべき外村吉之介を初代館長に迎えて設立した、日本で二番目に出来た民藝館である。主に外村の収集した品を展示している。大原家の民藝品コレクションは近くにある大原美術館の工芸館に展示されている。

 

我孫子市白樺文学館:我孫子市公式ウェブサイト (city.abiko.chiba.jp)
 主に柳宗悦志賀直哉を中心に展示を行っている館である。柳が移住したことをきっかけに白樺派が多数住んだ千葉県の我孫子に位置する。実はまだ行ったことがない。早く行きたい。

 

「民藝」の創始者、柳宗悦という人 その1

はじめに

 私は結構熱心な柳宗悦の支持者である。でも、友人や知人にはあまり柳宗悦好きの同志はおらず、一人で推し活をしてきた。

 しかし、最近ちょっと柳宗悦ブームが来ているんじゃないかと思う。友人にも柳について質問されたりすることがごくまれにだがあるし、国立近代美術館では民藝100年展が催される。チャンスなんじゃないか。今、柳宗悦について書くことは需要があるはずだ。
 そこで、ここに柳宗悦とその思想について、出来るかぎり簡潔に書こうと思う。みなさん柳宗悦と出会ってください。そしてもし、ご興味をお持ちになられたら、是非とも柳の著作を読んでいただきたい。
 ただ、一つだけ注意してほしいことがある。それはこの文章が一人の熱狂的支持者によって書かれているということだ。熱狂は盲信である。あることないこと、は書いていないが、あることからめちゃくちゃ話を膨らませて、柳宗悦の良さを誇張してしまっている可能性はあるので、話半分に読んでほしい。よろしくお願いします。

「白樺」時代

 柳宗悦は1889年(明治22年)生まれ。学習院高等科を首席で卒業、その後、東京大学で哲学や宗教、心理学を研究した。
 柳は学習院在学中に武者小路実篤志賀直哉(柳の学習院での先輩に当たる)らと共に雑誌「白樺」の創刊に参加、その後、壮年期までを「白樺」、民藝運動を興してのちは「工藝」「民藝」という雑誌を主な文筆活動の場とし、美術や宗教に深く思索をなした思想家だ。

 白樺派は文芸運動として捉えられていることもあるが、数多くの芸術家に発表の場を与え、西洋(のちに東洋も)の新しい芸術を数多く紹介した、広い意味での芸術運動だったと言える。柳は特に美術の部門で活躍した。
 「白樺」はデューラービアズリーゴッホセザンヌなど、西洋の幅広い画家を扱い、またロダンなど同時代の美術についても時差なく、最新の西洋美術界の動きを日本語で紹介した。これは洋行した同人たちによるリアルタイムの情報と、語学堪能な柳らの情報収集能力によって可能だった。
 初期の柳は、西洋美術に大きな関心を寄せ、日本に息づく美術や工芸、ひいては東洋美術を下に見ていた節がある。

「不幸にして本邦に於ける現代の芸術家、宗教家及び学者の前に跪づく可き幸を得ない吾等は、遠く西の国に隔りたる彼らに向ひて遙かに欣慕の情を捧げねばならぬ」
柳宗悦「宗教家としてのロダン」、『白樺』1910(明43).11月号)

 彼のこの認識は、浅川伯教、巧兄弟との出会いによって大きく変わった。「白樺」の愛読者だった浅川伯教は、我孫子柳宗悦宅を訪れる。当時すでに李氏朝鮮時代の陶器を愛好していた伯教は、数個の朝鮮陶器を持参し、柳に紹介した。これらの陶器の美しさに深く感動した柳は、1916年、浅川兄弟と共にはじめて朝鮮半島を旅し(この時浅川兄弟は朝鮮半島に住んでいる)、この地の美術、工芸に深い感銘を受けた。この朝鮮美術に出会った時の衝撃が、やがて「民藝」の発見につながるのである。
 李朝時代の陶器の一部は、日本でも古くから茶人などによって評価されたものもあったが、体系的にその歴史や分布を研究する者はなかった。本場の朝鮮半島でも系統だった分類は進んでいなかったようである。これらを実地に調べ、研究し、朝鮮陶器の歴史研究や分類に大きな道筋をつけたのが浅川兄弟であった。柳もその実地調査に同行し、記録を「白樺」誌上などに発表した。しかし柳は、あまりこういった系統だった調査自体には不向きであったと思う。彼は、その土地に残るかつての陶工たちの仕事の跡に感動し、今なおその地に残る細やかな手仕事の美しさに心を動かされ、情熱的な文章を物した。彼の朝鮮美術に対する愛は、それを生み出した朝鮮民族に対する愛と尊敬へと発展する。彼にとって、「美」は尊いものであり、「美」は人によって生み出されるものであり、「美」を愛することは、なによりもまず、それを生み出す人々を愛することであった。

 朝鮮美術によって東洋の美術へと目を開かれた柳は、日本の美術にも注目していくことになる。しかし、彼の興味は、貴族や大名、金持ちの商家などが蒐集してきた、名のある芸術家たちの作品へは向かわなかった。もっと民衆的なもの、日常の実用品として、むしろ美しいものを作ろうなどという意識が働かないまま自然に作られた、名もない職人たちによる作品にこそ「美」を見いだした。これが「民藝」の発見である。

「民藝」の発見

 「民藝」という語は、柳、河井寛次郎濱田庄司が「下手物(げてもの)」に代わる言葉として考え出した造語である。なので、柳らの活動がはじまった時のことを「民藝の提唱」と称することも多いが、私はこの時のことを、やはり民藝の発見である、と書きたい。なぜなら、人々の生活の中に、もともと「民藝」はあったからである。そして、大量生産によってそれらの手仕事が失われつつあった時、柳らによって「民藝」の美しさは発見された。

 民藝の考え方に大きな影響を与えたものの一つに、イギリスの美術家兼思想家、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動が挙げられる。産業革命を経て、工業国となったモリスの時代のイギリスでは、近代化工場での劣悪な労働環境が問題になっていた。かつての職人たちは工場労働者となり、労働と手仕事の喜びから遠ざかってしまった。労働者を工場の作業から解放し、手仕事へ回帰させ、生活と芸術を一致させるための芸術活動がアーツ・アンド・クラフツ運動である。民藝運動の大量生産から手仕事への回帰という方向性は、アーツ・アンド・クラフツ運動からの影響が大きい。

 もう一つ民藝運動に大きな影響をあたえたのが、同じ白樺同人だった武者小路実篤の思想だと思う。武者小路はトルストイなどから影響を受け、比較的早い時期から社会主義的な共同体の構想を抱いていた。この構想は1918年、「新しき村」の開村をもって結実する。共同体の中で一定の労働を行えば、誰もが衣食住を得ることができ、余暇の時間は芸術的な活動に充てることができる。階級もなく、過重労働もない、人が人らしく生きられる理想郷を目指したのが「新しき村」だ。柳は「新しき村」を熱心に支持していた。武者小路の高邁な開村の精神に心打たれていたようである。

 柳は「工藝の協団に関する一提案」(1927年)によって、新作民藝品を作る工人たちの協団を提唱する。この文章にはモリスと武者小路の影響が顕著である。
「協団であるからには、一つの村に形作られるのが一層必然であろう。これによって更に深く相愛の実を挙げる事が出来る。それは理解と相愛とによって、結合せられた一個の自治体になる。」
「かつてモリスは同じような運動を起した。実際彼の意思に共通な幾多のものを私たちは感じている。」

 モリスや武者小路の思想には、社会改良運動的な要素が色濃い。個人を始点に、社会を改革していく運動である。しかし、柳の活動の軸は、基本的には美と人の一対一の関係にあったと思う。美しいものによって社会を変えていこう、ということではなく、一人一人の生活が美に根差したものになることを目指した。社会全体の構造にインパクトを与えようというような思想はなかったと思う。しかし、美しい生活を目指すには、美しいものを作り出す人々が、それによって対価を得て、生活できるようにしなければならない。それでいて民藝品は、決して金持ちしか手に入れられないような、高価なものであってはならない。この両方を実現させるためには工藝の協団が必要であると、柳は考えたのである。

 この考えのもとに柳らが結成した上加茂民藝協団は、「生活の道徳面に欠陥が現れて」二年半足らずで解散してしまった。しかし、柳の考えに共鳴した出西窯などの民藝の工房が興り、現在でも盛んに活動している。

帝国主義への反論

 柳は様々な地域にのこる、人々の生活に根差した工芸品を探し出して評価した。彼はそれぞれの地域の文化を理解しようとしたし、尊重しようとした。その地域の工芸は、その地域の文化の中でしかはぐくまれないからだ。日中戦争を経て、太平洋戦争へ向かうこの時代、いわゆる日本列島内の工芸に対する再評価としての「民藝」は割と歓迎された。しかし朝鮮半島沖縄諸島などの文化は軽んじられていた。柳の心がこれら軽んじられた民族へと向かったのは、当然の結果だったと思う。
 1919年、朝鮮半島で日本からの独立運動三・一運動が起こる。柳はいち早く、朝鮮総督府(日本の官庁)による独立運動の弾圧に抗議した(「朝鮮人を思ふ」)。さらに翌年発表された「朝鮮の友に贈る書」では、柳特有の感傷的でありながら格調高い文章で「情愛」によって繋がる平和主義を説いた。
「人は大かたの苦しみは忍ぶ事も出来よう。しかし愛と自由とを欠く処には、どうしても住む事が出来ないのである。」
「まさに日本にとっての兄弟である朝鮮は、日本の奴隷であってはならぬ。それは朝鮮の不名誉であるよりも、日本にとっての恥辱の恥辱である。」

 柳は、朝鮮民族が誇り高く、すばらしい文化水準を持つ民族であることを内外に知らしめるため、浅川兄弟と共に朝鮮民族美術館を設立した(1924年)。柳は一貫して日本の朝鮮政策を批判した。しかし、朝鮮民族による完全な独立政府が樹立されるべきだというような踏み込んだ主張まではしなかった。先に述べたように、柳には社会構造や政治体制そのものを変革しようという思想がなかったのである。また、柳は戦争や暴力といったものを全く認めなかった。日本の侵略戦争を批判したが、独立のための戦争も認めていなかった。こういった植民地政策への迎合ともとれるような態度が原因で、現在の韓国国内での柳の評価は二分されている(亡くなった後に韓国政府から宝冠文化勲章が追贈されるなどの、一定の評価は受けている)。

 また、沖縄の工芸品に心を惹かれていた柳は、1938年、はじめて沖縄へ渡る。沖縄では最後の琉球国王の弟である尚順の協力などもあって、様々な沖縄の文化を見ることができた。柳は沖縄の工芸品だけでなく、その言葉、文学、音楽、舞踊、建築あらゆる固有の文化に非常な感銘を受けた。柳ら民藝協会の面々はその後も数回にわたって沖縄を訪れる。その際『民藝』誌上などに掲載されたレポートや写真、動画などは、戦争で灰燼に帰す前の沖縄の姿を伝えて、貴重である。
 1940年、柳らは今後の沖縄観光の活性化のために、国際観光局などに呼びかけ沖縄旅行の同行を依頼。この時、沖縄で行われた意見交換会において、観光局水澤澄夫氏が、沖縄において家庭でも標準語を強要するのは行き過ぎではないかと発言したのを発端とし、「琉球方言禁止」をめぐる問題が沖縄、のちに東京でも大激論となった。県庁学務部は標準語奨励は国策であり、沖縄出身者が標準語を話せないことでいかに不便を被っているか、などの内容の声明を在沖新聞三紙に掲載。すかさず柳も在沖三紙に反論を掲載。骨子は
・標準語奨励は必要、全国で同じ言葉が使われるのは意義深い
・しかし固有言語否定は固有文化否定である
琉球語は日本の古語に近く重要な言語
という三点であった。
 柳らは、家庭内でまで琉球方言を禁止してしまうことによって、完全に沖縄各地の言葉が失われてしまうことを危惧したのであり、標準語教育自体には理解を示していたのだが、沖縄では幾分過剰に受け取られたようにも思える。また、柳らには研究者としての目線もあったので(しかし本質的には沖縄への尊敬と愛からの行動であったのだが)、ものめずらしい賤民を研究対象として取り扱うような、差別的行為ととらえられ、反発された面もあっただろう。
 沖縄を出て、日本各地で学び、働き、あるいは軍隊に入る際に、標準語をうまく話せないことで沖縄の人々は様々な差別を受けていた。完全な日本人と認められることによって沖縄への差別的待遇を失くそうとしていた県内の人々の動向に、柳らの訴えが相反したという点もある。しかし、あくまで柳は、沖縄の美しい言葉と、その言葉で書かれ、歌われた芸術が失われるのを危惧したのである。沖縄内でも柳らに理解を示す層もあり、琉球新報などは柳に同調したが、県庁の反発は大きかった。
 東京では柳の盟友・武者小路実篤をはじめ、立場は異なれど柳田國男なども柳らの論に同調した。ちょうどこの時期は言論統制が強まった時代でもあり、柳らの論は当局には無視された形で終わったが、沖縄に限らず方言を悪ととらえていた当時の一部の風潮に一石を投じた。

 これら軍国主義時代の出来事には、柳の思想の非常に重要な部分が表出していると思う。それは徹底した平和主義と、あらゆる人間の尊厳を守護しようとする姿勢である。彼は「美」を生み出す人々は、その人自身が美しいのだ、という信念に基づいて、人間性というものを全く信頼していた。そして、戦争を人間性から最も遠いものだと思っていた。楽観的かもしれない。しかし、戦時中も全くぶれることなくこの主張を続けたことが、柳宗悦の凄まじさだと思う。

 

 まだ、柳の宗教論や彼の著作の集大成ともいえる「美の法門」など書きたいことがあるんですが、長くなりすぎるので一旦ここまでとします。

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mingei100.jp

今、東京の方の国立近代美術館で、柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」展開催中です! 近代美術を扱う館での民藝展、なかなかユニークな展示になっているんではないかと思います。まだまだ是非行ってくれとは言いにくい状況ですが(私も行けるかまだ不透明なんですが)行ける方はぜひ行ってみて、民藝というものを感じていただければと思います! 

 

↓ つづき

tsubana.hatenablog.com

 

九月南座超歌舞伎 はじめて見る方へ

ただいま絶賛上演中、九月南座超歌舞伎!! 二年ぶりに京都へ帰って来た超歌舞伎! 待ってましたぁ!!

chokabuki.jp

 毎年、今年が一番いいと言い続け、私の最高記録を超えていく超歌舞伎ですが、今年も本当に今年が一番いいので、ぜひ多くの皆さんに見ていただきたいと思います!

 

 ですが、ニコニコの配信のようにリアルタイムの有識者解説が見られないので、はじめて見る方にはちょっと分かりにくいところがあるようです。公演前に番附(パンフレット)買って読んでいただいたり、同時解説イヤホンガイドを借りていただいたりすれば問題ないとは思うのですが、(もしくは本日のニコニコ配信を見ていただければきっと有識者解説があるよ!)

九月南座超歌舞伎【ネット視聴チケット】 – ドワンゴチケット

開演前にパンフ全部読むのは困難だし、イヤホンガイドは好みが分かれるところもあるので(どうしてもある程度、芝居の間に入って来るので集中できない人も…私はこのタイプ)、めちゃめちゃ簡単に、最低これだけおさえておけば割とすんなり話に集中できるのではないかというところを書いてみました。もしよろしければ観劇のお供にお使いください。

 なお、決定的なネタバレは一応避けたつもりですが、それでもある程度のネタバレがあるので、ネタバレダメな方はこの先はお読みにならないでください。

 

 

 

 

 

 

 

一、都染戯場彩(舞踊)

 あんまりストーリーはないので気楽に見てください。3つの場で構成されています。

「花の大内」

平安時代。御所の花見での公達の恋。

「月の吉原」

江戸時代の廓「新吉原」。いなせな鳶頭と芸者の恋。芸者が鳶頭の浮気を詰って痴話げんかになる。その後若い者にけんかを吹っかけられるが撃退し、二人は仲良く去っていく。

「雪の石橋」

文殊菩薩の霊地、清涼山の雌雄の獅子。いわゆる「石橋物」のええとこどりで構成した舞踊。毛振りが見どころ

歌舞伎舞踊|文化デジタルライブラリー←毛振り

 

 

二、御伽草子恋姿絵(お芝居)

「発端 都老の坂の場」

 この最初の場面が一番分かりにくいみたいなので、ちょっと細かくあらすじを書きます。

 

 都のはずれの坂道。都を騒がす女郎蜘蛛の妖怪を、源頼光の家来・平井保昌が打ち取ろうとする。ところが不思議な力で保昌は気を失う。そこに山姥茨木婆が登場。彼女は、日本を魔界にしようとした女郎蜘蛛を助けるため保昌を気絶させたのだが、もう女郎蜘蛛の命が尽きようとしているため、女郎蜘蛛から生き血を取って、嫉妬の心を持つ人間にこの生き血を注いで、女郎蜘蛛を乗り移らせようと考える(生き血は、結構よく出てくる定番のマジックアイテムです。色々な力を持ってたりする)。

 ふと、茨木婆は人の気配を感じ、お堂に隠れていた盗賊・袴垂保輔を発見。捕らえようとしますが、折り悪く雲が月をかくし、あたりは真っ暗になります。そして、気絶していた保昌も目を覚まします。

 ここから、登場人物の動きがスローモーションになり、舞踊的な動きをします。お互い暗くて目が見えず、さぐりあう様子を強調して表現する場で、こういう場面を「だんまり」と言います。茨木婆、保昌、袴垂が暗がりでお互いの姿を視認できないまま、探り合ったり、揉み合ったりします。そのうち、袴垂が茨木婆が持っていた巻物を奪い取ります。これは妖怪を退治する秘術が記された書でした。「良い物を手に入れた!」と喜びながら袴垂は去っていきます。

 

 

人物の背景が分かりにくいようですので、あとは人物紹介を書いて終わります。これだけ分かっておけばお話の筋に集中できるのではないかと、思います!!

 

・登場人物紹介

☆傾城七綾太夫 実ハ 将門息女七綾姫(初音ミク

 人気の花魁・七綾太夫。その正体は平将門の娘、七綾姫です。
 七綾太夫は死んだ将門の無念を晴らすため源頼光を害そうと彼に近づいたが、だんだん頼光の人柄に惹かれ、心底惚れてしまったと語ります。

 

☆源朝臣頼光(中村獅童

 あの源頼光。七綾太夫に入れ揚げて、廓に入り浸っているため保昌に意見されたりしています。許婚がいるのに、それはそれ、七綾太夫が本当の妻だよとか言ってますが、心の中で本当の妻と思っているだけで、実際の扱いは七綾太夫は愛人ですね。
 紫の鉢巻を左側で結んだものを「病鉢巻」といい、病にかかっていることを表します。今回途中で頼光が病鉢巻になりますが、これは頼光がミクロスになって、恋煩いしていることを表しています。

 

☆平井保昌(澤村國矢

 頼光の家来。本当は藤原道長の家来なんですけど、酒呑童子討伐に加わったからか、たまに頼光の家来みたいに扱われている作品がある(つまりこれはそれ)。盗賊・袴垂保輔は保昌の弟であるが、素行が悪いため既に勘当している。

 

☆袴垂保輔(中村獅童

 獅童さんは頼光と袴垂の二役を兼ねているので注意してください。頼光から袴垂、袴垂から頼光に早変わりするのも見どころの一つです。

 

☆山姥茨木婆(中村蝶紫

 山姥と茨木童子の伝説まぜこんじゃったんかな? 日本を魔界にしたい。嫉妬に狂う人間を早く見つけて女郎蜘蛛を復活させたいので、嫉妬に狂う女がいっぱいいるであろう遊郭で仲居に化けて、嫉妬に狂いそうな女を物色している。

想イ集イテ弐 お品書き

本日開催bnalオンリーオンラインイベント「想イ集イテ弐」頒布物です。

 

「君のいる日々」

 700円 BOOTHにて通販

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既刊

室織本 全年齢
新書判/116p/約41000字
pixivにて連載していた「君がいる日々」8章までの再録+書き下ろし

スマートレターでの通販も可。くわしくはBOOTHのページをご覧ください。

 

無料配布「信濃にて」

 えあ草紙・立ち読みリンク作成ツールを利用しています。アプリなどのダウンロードは不要で、ご利用のブラウザから閲覧できます。

「信濃にて」前・後編(全編)
 ↑表題をクリックで開きます。
5月15日エアブーの無配として公開した「信濃にて」前編を含む「全編

 

「信濃にて」後編
 ↑表題をクリックで開きます。

5月15日エアブーの無配として公開した「信濃にて」前編を除く、今回新規公開分のみの「後編

 

無料配布はイベント終了後、pixivでも公開します。

 

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