「憂国のモリアーティ」に見る近代社会思想史-モリアーティの犯罪思想その2(ヘーゲル)

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 ↑ 前回は、モリアーティ史観の話をしたので、次はとうとうモリアーティの政治思想だな! て意気込んでたんですけど、19世紀後半~20世紀初頭のイギリス社会思想語るにはその前段階を語らないと無理では?? と気づいてしまったので、その前段階部分+私の妄想をからめて、「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティはかなりヘーゲルに傾倒しているのではないか?」ということについて今回は語ります。

 はっきり言ってこの「ウィルはヘーゲルマニア説」はかなりこじつけだなと自分でも思う部分があるので、まあ一種の二次創作だと思って読んでください。
 さらに自己弁護を重ねると、ヘーゲルの思想というのは非常に難解で、正直私はその全体を把握しきることができていません。このエントリはヘーゲルの思想のほんの一端をなぞっただけ、私の都合のいい解釈に過ぎないので、ちゃんとした思想については、しっかりとした文献を当たっていただきたく思います。まとめると、ともかく特にこのエントリは鵜呑みにしないで! です。

 

神の摂理としての弁証法

 前回、ひたすら弁証法について語っていたんですけど、これは私のせいじゃなくて、ウィリアムのせいなんです。なんか事あるごとに、ウィリアムは弁証法を使おうとしますよね。確かにこの世は矛盾に満ちているので、相反する二つの命題に出会うことは多く、そのたびに弁証法を使うのはおかしくはないんですけど、それにしても弁証法……好きだなって思っていました。それで、この人は相当ヘーゲルを読み込んで傾倒しているんじゃないかと思ったんです。
 まあ、ウィリアム本人は弁証法としか言ってなくて、ヘーゲルが好き! みたいな発言は皆無なので、「ウィリアムはヘーゲルが好き」設定は私の妄想でしかないのですが、このまま突き進みます。二次創作なので。

 ではなぜウィリアムはそんなにもヘーゲル哲学に惹かれたのか。理由は数多あるとは思うのですが、私が思うに一番の理由は、彼はヘーゲル哲学に出会うことで、新しい世界の解釈方法を得たというよりも(いや、そういう面も大いにあったとは思いますが)、彼がなんとなく持っていた世界の理解の仕方や考え方に、ヘーゲルが論理的な説明をしていたことがあったのではないかと思っています。

 まず、一番大きなカテゴリとして、宗教の問題があると思います。
 ウィリアムの生きた時代というのは、科学が大きく進歩し、それによって社会の仕組みも大きく変わり、伝統宗教の教理の土台が揺らいだ時代と言えるでしょう(本当はその前から結構揺らいでいると思いますが、科学の驚異的な発展でさらに揺らいだ時代、と言えると思います)。ウィリアムは相当の読書家でしたから、幼い時から自然科学の知識も十分に持っていたと思います。
 同時に、彼ははっきりとキリスト教を信仰しているようです。多くの方が指摘しているように(というか私はみなさんの指摘を見て「ほんまやな」って思ったんですけど)、彼は、かなりキリスト教的世界観に基づいた発言が多い人物です。「全ての悪魔は地上にいる」という彼の宣言は、どこまでもキリスト教的世界観に基づくものです。
 宗教と科学の関係をどう読み解くかというのは、現在においてもなかなか難しい問題でしょう。敬虔なキリスト教徒であり、同時に優秀な科学者である人物はたくさんいますが、そういった人たちも、一度はこの問題にぶつかったことがあるんではないでしょうか。

 ヘーゲルもまた、この問題に取り組んだ人物の一人でした。
 ヘーゲルは敬虔なプロテスタントの家庭に育ち、父親に牧師になることを嘱望されて、神学を学ぶためにテュービンゲン大学に進学します(ルター派牧師のエリートコースです)。ここで深く神学と哲学を研究するうちに、彼は当時のキリスト教に対して懐疑を深めていきます。結局若き日のヘーゲルはこのキリスト教への反感と懐疑を払しょくできず、牧師への道を諦めることになりますが、ここから数十年の研究を重ねて、彼は宗教哲学の一大体系を完成させました。

 以下にヘーゲル宗教哲学について多少述べますが、これはヘーゲルの思想を知るうえでどうしてもはずせない部分でありながら非常に難しく、また私にキリスト教的素養が足りない部分もあり、理解が深くありません。よってここには非常に限られたエッセンスだけを取り上げますので、その全体像については文献を当たっていただきたいと願います。

 ヘーゲルはまず、世界が創造される以前の神について考察します。この神は世界を創造した創造主なので、世界とは別のもの、世界の外に在る神です。これを永遠の理念と呼びます。この非実体の理念は内的矛盾により運動性があり、矛盾の高まりによって次の段階にいたります。
 永遠の神がおのれを規定し、根源的に分割し区別された他なるものを自由で自立的なものとして開放すると、この自立的他者として世界一般が成立します(天地創造)。それは自然世界と有限な人間の精神世界とに分かれます。このようにして創造されたものは、神の外に置かれた他者です。しかしこの他者たる有限の精神は神を認識しますから、離れている神と関わるという矛盾に陥ります。そして神は分離して置かれたこの疎遠なものを自分と和解させます。ここに神性と人性が一致し、霊が人間に宿るのです。

 多分、ここだけを説明しても分かり難いと思うのですが(そもそも私が理解しきっているとはいいがたいのですが)、ここで注目して欲しいことは、前回見た弁証法の定式がこの中に出てきているということです。矛盾するものを統一(和解)して高次の段階へすすむという弁証法の定式。実は弁証法とは神の摂理、あらゆる事物やあらゆる現象に内在し、それらを支配する神の摂理こそが「弁証法」であるというのが、ヘーゲルの考えの根本にはあります。

 そうすると、ウィリアムが弁証法をやたらと好むことの本質的な理由が見えてくる気がします。神の摂理である弁証法を全ての事象において運用することは、彼にとって神の御心に沿う、正しい行為であるでしょう。

 ちょっと話が逸れますが、ウィリアムが形式科学である数学を研究対象として選び取ったことも、もしかしたら彼の信仰と関係があるかもしれません。数学は、ある意味で神が作り出した美しい法則を研究する学問と言えます。パスカルニュートンといった数学者の研究が、宗教的情熱に支えられていたことも有名です。
 対してホームズは自然科学の中でも新しい学問、化学に興味が向いていますね。化学は目の前にある物質と、その現象に関心があるという点が大きな特徴なのかなと思います。実験の結果、はっきりと目の前で起こる現象に対して検証を重ね、読み解いていく学問ではないでしょうか。数学の方が観念論的な学問であるといえるでしょう。二人の思想性の違いが端的に表れているように思います。

 ヘーゲル宗教哲学は、従来の教義からかけ離れた、ある種汎神論的なものだったため、神学側からはこれを無神論だと批判する向きもありますが、少なくともヘーゲル自身は、終生ルター派プロテスタントの信者として暮らし、ルター派の教義を生きたものとするためにこの宗教哲学を完成させたことは間違いのないことです。
 ウィリアムが(おそらく)信仰する英国国教会ヘーゲルルター派の教義は一致しないにしても、カトリック的な教条主義に対する反感などの共通点はあり、受け入れやすかったのではないでしょうか。

 

欲望の体系「市民社会」ー権利はどこに生まれるのか

 もう一つ、こいつぁヘーゲル絶対好きだろ……という私の妄想を深めているのが、モリアーティの一種厳格な社会と人間へのまなざしです。

 ヘーゲルは「国家」から「市民社会」をはじめて峻別した思想家です。「社会」という概念を発見した人物、といってもいいかもしれません。前エントリでもちらっと触れたのですが、彼は「家族」、「市民社会」、そしてそれらを統一し調停する「国家」という概念を提唱しました。
 そして、権利は個人の「人格性」とそれを保証する場である「市民社会」に起源を持つとし、フランス人権宣言などに書かれた「人は生まれながらにして平等である」という説を否定したのです。

 「人は生まれながらにして平等である」という思想は、「自然権」という考え方に由来しています。これは主にロックが理論的に基礎づけた概念ですが、「社会学小辞典」から「自然権」の項を引用しますと、「自然状態を支配する自然法(人間の自然=本性である理性)が全ての人を拘束するという前提から、自然権は①個人の生命、②健康③自由➃平等の諸権利、ならびに⑤所有権にまで及ぶ。」さらにロックはこれに、⑥抵抗権⑦革命権までを含めるのですが、まあちょっと今はそこは置いておくとして、要は自然権とはもともと人間が有している権利、文明や社会が起こる前から当たり前に個人に備わっている諸権利のことを言います。
 しかし、ヘーゲルはこの従来の定義での自然権を否定し、人間は生まれながらにはむしろ不平等であると主張しました。
 ただ、ヘーゲルは人間の諸権利そのものを否定したわけではありません。権利は最初から個人に備わっているものではなく、「市民社会」が生まれて初めて、その社会の中で形成されたと主張したのです。「社会はそこにおいて権利が現実性をもつことになる唯一の状態である」これがヘーゲルの主張です。

 そもそも社会とは何か。ヘーゲルの言う「市民社会」の特徴的な原理は「欲求の体系」と呼ばれています。
市民社会の普通の姿は、詳しくは、個々人の資産と福利とがすべての他の人々の資産と福利によって制約されそれに組こまれているということである」
 要は、市民社会の基本にあるのは経済活動であり、人々はお互いの欲求を満たすために分業し、商品交換を行う。この個人個人の欲求のぶつかり合いが市民社会の原理だというのです。
 この社会は分業を前提としています。自分の欲求を満たすのは他人の生産物であり、自分の生産物もまた他人の欲求を満たすために作られる。そして、他者との相互的な関係の場である市場で、自分の力で作った商品の価値が承認されるということが、自分の労働だけでなく、それを作った自分の人格までもが市民社会の中で承認されるということになるのです。
 つまり、商品交換は、ひいては人格の相互承認であり、人格が承認されてはじめて、人の権利は認められるわけです。

 しかし、これは相当厳格な思想だと思います。労働と商品交換の基に人権が認められるのならば、あらゆる働いていない人には人格と人権が認められないということになってしまいます。一応、こういったものを「公共の福祉」によって補う概念として提示されているのが司法や「国家」だと言えるでしょうが、ともかく、ヘーゲルの考える人権というものは、言うなれば見返りを求めるものであるでしょう。

 モリアーティも、相当厳格に見返りを求めます。ウィリアムは子供時代にすでに「人は誰だって他人を利用する それは助け合いだ」と言っていました。この思想は非常にヘーゲル的だと思います。
 逆に言うと、市場で他者に承認されるような商品を提供できない者には人権はないわけです。悪事をおこなう貴族たちは、満足な商品を提供せず、ただ己の欲求を満たしているのですから、彼らの人格は承認されないでしょう。

 生存の権利は、自然法の考え方に基づけば、全ての人間にすべからく備わっている、一番最初の、基本的な権利です。この考えのもとでは、どのような場合も殺人は容認されないでしょう。しかしヘーゲルの考え方であれば、少々エキセントリックではありますが、殺人は場合によって認められる、という解釈も可能かもしれません。
 たとえ、最終的には地獄へ堕ちる覚悟をしているとしても、それが「良いこと」なのだと信じて殺人を犯すには、なにがしか本人が納得できる他からの承認が必要ではないかと思います。ヘーゲルの思想はウィリアムに一定の「承認」を与えたのではないかと、勝手に思っています。これはすべて妄想ですが。

 

愛国か、反体制か。保守か、革新か。

 ヘーゲルの思想はしばしば、愛国主義なのか、そうでないのか。保守派か、そうでないのかということが議論されてきました。彼は人間の自由や権利を認めながらも、最高の人倫の体系として国家を提唱し、その思想は当時の君主制に対して妥協的であるとも言えます。しかし、このようにヘーゲルの思想が保守的でない保守、革新的でない革新であることこそが、モリアーティの思想に重なるように思います。
 ロンドンを犯罪都市にし社会不安を煽るという手法は、どう考えても反体制派のやることです。しかし、モリアーティは憂国の徒、the Patriot として、あるべき美しい国の形を模索する者として描かれています。また、階級をなくし、市民に権力を等分割させるという思想は革新派の政治思想ですが、彼は今の貴族たちを革命その他の階級闘争によって排除することを否定しており(前エントリ参照)、その穏健な思想ゆえに国体維持を(おそらく)望むマイクロフトから一定の協力を得ることが可能でした。

 モリアーティの政治思想は保守なのか、革新なのか。思考のクセで私も憂モリを読みはじめた頃は、革新? 保守? ていうのをついつい考えながら読んでしまって、そして混乱しました。多分、どちらとは言えない。そして読んでいるうちに、もしかすると政治思想が保守か革新かという議論は、特に現代においてはあまり意味のないことなのかもしれないなと思いはじめました。なぜなら、近代以降、どの思想も基本的には人間の自由や権利を希求するという点では同じであり、むしろ右か左かで思考が固定されることで取りこぼしてしまう項目が、社会が複雑になることでどんどん増えてきているように思います。

 ヘーゲルのこの、保守とも革新とも言える思想は、その後の思想家たちのそれぞれの立場からの解釈や批判によって、保守派の思想にも、革新派の思想にも流れ込んでいます。特にイギリスでは、このヘーゲルやカントなどドイツ観念論と、ベンサム、ミルなど功利主義の思想を発展させたトーマス・ヒル・グリーンなどの思想家が19世紀後半に出ます。こういう話をしたいと思っていたはずなんですけど、いつたどり着くのか……?
 とりあえず今回は、偉大なドイツ観念論の高峰ヘーゲルの思想の、ごくごく一部を紹介させていただきました。

 

ヘーゲル「惑星軌道論」とモリアーティ「小惑星の力学」

 すみません、妄想はまだ続きます。この項はあまりにも妄想力が強すぎるので、突っ込みどころ満載だと思いますが、まあ我慢して読むか、もしくはもう読まないでください、一応話は前項で終わったんで!


 まずヘーゲルには「惑星軌道論」という論文があるんですよ。wikipediaの情報によると、この論文でヘーゲルは火星と木星間の軌道には惑星は存在しないと論じたそうです。しかし、実際にはこの論文が発表された時にはすでに、火星と木星の間に小惑星があることが発見されており、まあヘーゲルは間違っていたわけです。
 ただ、彼はこの論文が認められてイェーナ大学に職を得たので、他の部分には見るべきところのある論文なのではないかと思います(すみません、読んでいません)。

 ところで、モリアーティ教授には皆さんご承知の通り、「小惑星の力学」という有名な論文があります。この論文の本文は「発見」されていないので、どういった内容のものかは不明なのですが、アイザック・アシモフの説をとると、爆発した惑星の欠片である(とモリアーティの時代信じられていた)火星と木星の間にある小惑星帯の運動を計算し、惑星爆発の原因を探るという内容だったと言います。

 この説が正しいとすると、奇しくもヘーゲルが間違えていた、火星と木星間の小惑星についてモリアーティが述べていることになります。モリアーティは相当ヘーゲルを読み込んでいるので(私の中では)、当然このヘーゲルの「惑星軌道論」を読んでいるはずです。火星と木星の間に小惑星があるのは純然たる事実ですが、その小惑星の成り立ちを明らかにすることで、いくらかヘーゲルの「惑星軌道論」を擁護できるような論文を書いた、少なくとも「惑星軌道論」からインスピレーションを得て、モリアーティはこの論文を書いたんではないかと思います!!

 以上妄言でした!

 

 

 

 ところで、全然話は変わりますが、ヘーゲルの妹クリスチアーネは兄を深く愛し、兄が急死した後、兄のいない世界で生きることに耐えられず自死しています。

 

 


 <参考文献>

原案/コナン・ドイル 構成/竹内良輔 漫画/三好輝『憂国のモリアーティ』(集英社、2016~)

編著/中村健吾『古典から読み解く社会思想史』(ミネルヴァ書房、2009)

岩波哲男『ヘーゲル宗教哲学入門』(理想社、2014)

村岡晋一『ドイツ観念論―カント・フィヒテシェリングヘーゲル』(講談社、2012)

編集/濱嶋朗他 『社会学小辞典[新判増補版]』(有斐閣、2005.5新版増補版1刷)

著/アイザック・アシモフ 訳/池央耿「終局的犯罪」『黒後家蜘蛛の会 2(新版)』(東京創元社、2018)

「憂国のモリアーティ」に見る近代社会思想史-モリアーティの犯罪思想その1(弁証法)

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作品にちりばめられる社会思想史の諸相

 私はめっちゃくちゃ「憂国のモリアーティ」(以下「憂モリ」)が好きなんですが、好きな理由の一つに、作品内の時代――イギリスのヴィクトリア朝末期の社会思想を反映した形で、モリアーティの犯罪思想が組み立てられているという点があります。時代考証っていうと、その時代の文化とか風俗に目が行きがちですが、その時代の進歩的な人間が、どういう哲学や倫理学社会学の知識を基に思想を組み立てるかという点にまで考えが及んでいる作品ってなかなか少ないのではないでしょうか。

 憂モリには、当時の政治情勢、社会情勢とからめて、社会思想の諸相についての言及が散見されます。それをたどっていくと、なんとなくモリアーティの考える「社会」について理解できるようになっている、これがすっごく面白いなあ! と思います。

 

モリアーティ・プランの根幹を貫く、モリアーティの史観 

 一番最初に、憂モリを読んでいてお? と思ったのは、アルバート・ジェームズ・モリアーティがアイリーン・アドラーに、犯罪卿(モリアーティ)の目的は「階級社会から完全自由社会への弁証法的発展」であると語ったシーンです。弁証法による史観と国家観! てテンション上がった方も多いシーンではないでしょうか。弁証法と言えば一般にはヘーゲルが体系化した物事の理解の方法、法則を指すものと思われますが、このアルバートの説明の仕方だと、マルクスによる唯物史観もちらっと頭をよぎります。

 ヘーゲル弁証法というのは、命題(テーゼ)とそれに相反する命題(アンチテーゼ)の矛盾を明らかにしていくことで、統一した本質的な命題(ジンテーゼ)が現れるというものです。ヘーゲルはこの弁証法を歴史に適用し、歴史とは精神が自由を希求するその過程であり、そのうえで起きる精神の葛藤や矛盾、そしてそれらを統一し完成していく運動であるとしました。つまり、人間は最終的に自由の実現された社会へいたる、我々はその進歩の途上にいるのだという進歩史観を示したのです。もう一つ、「家族」、「市民社会」、そしてそれらを統一し調停する「国家」という概念があるのですが、大胆にはしょって今言いたいところだけを説明すると、人間が個の自由を維持しながら、孤独や分裂した市民社会に陥らないようにするための、統合された概念が「国家」であり、国家は自由の実現のための共同体であるというものです。
 現在の我々の知識に照らして言えば、進歩史観というのはそのままでは受け入れがたいものですが、ヘーゲルの思想が当時の人々に与えたインパクトは大きいものでした。また、ヘーゲル史観の根底にある弁証法は、今でも十分に運用できる論理です。
 モリアーティが「階級社会から完全自由社会への弁証法的発展」と言ったとき、このことばだけでは細かい論理展開は理解不能ですが、上記のようなヘーゲルの史観と国家観をある程度引いたものであることが想像されます。おそらく、モリアーティは進歩史観を持っていると思います。そして国家のあるべき姿を「自由の実現された共同体」であるととらえているのではないでしょうか。この史観は、現在の我々の視点から端的に言えば、正しいとは言えないかもしれません。しかし、このヘーゲルの思想は、現在に至る近代国家を作る思想の礎になったものです。さらに言うと、モリアーティはヘーゲルの国家観から一歩進んだ主張もおこなっています。

 

モリアーティ史観の唯物論的特徴

 ヘーゲルは、精神が歴史を動かすとしましたが(観念論的)、これに対し、物質的な生産力と生産関係の矛盾が歴史を動かすとしたのが、マルクス唯物史観史的唯物論)です。唯物史観も、歴史を弁証法を用いて説明します。生産力がある程度大きくなってくると、それまでの生産関係との間に矛盾が生じるようになる。この矛盾が革命を起こし、共産主義社会を実現させる、つまりマルクス進歩史観では人類が最終的に至る社会は共産主義社会ということです。
 アルバートは人類が最終的にいたる社会を「完全自由社会」と呼びました。この結論だけを見ると、モリアーティ史観はヘーゲルの思想に近いもののように思われますが、しかしその結論を導き出す弁証法の運用の仕方は唯物論的です。物質的な相反するものの矛盾を統一することによって高次の概念があらわれるというのが唯物論的な弁証法です。モリアーティの考えた相反する矛盾、それは階級制度でした。階級制度によって引き裂かれた社会が統一されれば「完全自由社会」に到達できる。この点だけを抽出すると、今度はマルクスの思想に近いようにも思われます。
 しかし、モリアーティは階級闘争によっておこる「革命」を否定しています。むしろ、「革命」を回避するためにこそ、彼は犯罪卿になったと言っていいでしょう。そして、このモリアーティの革命批判にこそ、彼の思想の唯物論的な特徴が最も現れています。

モリアーティによるフランス革命批判

 19世紀の思想家にとって、前世紀に起こったフランス革命インパクトというのは未だかなり大きなものがあり、これに言及しない思想家はまずいないと言っていいでしょう。
 御多分に漏れず(?)モリアーティもフランス革命について言及します。漫画でこの項はかなりページを割いていたので、モリアーティの思想を理解するのにはずせない項目と言えます。
 モリアーティはフランス革命を失敗とみなしていますが、ではこのフランス革命失敗の原因はなにか。それは、「革命のために”支配階級こそが悪の元凶だ”と市民を煽ったせいで市民が”貴族も全員殺せ”と求め」だしたことにあると言っています。
 ここでもう一度弁証法に立ち返りましょう。弁証法とは相反する二つの命題の矛盾を統合することで、高次の命題があらわれてくるというものです。フランス革命の場合、富と権力を持つ貴族、権力を持たない平民という相反する二つの矛盾がぶつかった時に、矛盾するうちの一方、貴族を折る形で決着をつけようとしたため、矛盾は統合されず、調停する高次の概念が立ち現れなかった。これでは歴史は新たな段階に至ることが出来ない。つまり、単純に革命によって「王から市民に権力者が変わるだけでは社会は変わらない。」というのがモリアーティの主張です。ではどうすればいいのか。ウィリアム・ジェイムズ・モリアーティの発言をそのまま引くと「私たちの目的は権力者を変えるという事ではない。権力を等分割に限りなく近づける事です。この為には貴族と市民とを強制的に手を取り合わせる必要がある」となります。矛盾は統合されなければ、新しい概念を生む事が出来ません。貴族と市民を反目したままにすることは、弁証法的に正しくないとモリアーティは考えます。特権階級を排除する「革命」を起す権利を否定したことで、モリアーティは暴力革命を進めるタイプの社会主義共産主義と隔絶します(ちょうどこの時代に、イギリスには漸進主義的な社会主義――現在の労働党の思想&――も登場してくるので、それと暴力革命を推し進める社会主義とを区別するためにこのような言い回しにしました)。

 

「革命」に代わる手段としての「犯罪卿」

 貴族と平民という矛盾する二つを統合することで「完全自由社会」が訪れる、というのがモリアーティの考えですが、では貴族と平民を統合するための「手段」はどうしたらいいか。その手段を得るための計画が「モリアーティ・プラン」です。
 まず、貴族の悪徳を暴くための犯罪を人々に目撃させ、人々の目を覚まさせる。しかる後に貴族・平民共通の敵「犯罪卿」を演出することで、強制的に両者に手を取り合わさせる。そして一切の責めを負って犯罪卿が死ぬことで、矛盾を統一するエネルギーが社会に与えるインパクトを最小限に抑えられる。社会に大きな混乱を起こすことなく、階級社会の次に来るべき正しい社会「完全自由社会」へのスムーズな移行が可能になる、これがモリアーティの計画です。
 この計画には、ヘーゲルやカントなどを受け入れながら発展した、イギリス理想主義の影響も感じるのですが、それについては、機会があれば別に述べたいと思います。


 以上、「憂国のモリアーティ」における、モリアーティの思想について、今回は弁証法を手掛かりにその史観について論じてみました。

 

 続き↓

 

 

 <参考文献>

原案/コナン・ドイル 構成/竹内良輔 漫画/三好輝「憂国のモリアーティ」(集英社、2016~)

佐藤康邦「改訂版 哲学への誘い」(放送大学、2014)

編著/中村健吾「古典から読み解く社会思想史」(ミネルヴァ書房、2009)

編集/濱嶋朗他 「社会学小辞典[新判増補版]」(有斐閣、2005.5新版増補版1刷)

 

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男系天皇を守っていく理由が「Y染色体」でいいのか

 私は重度のツイ廃なので、Twitterに入り浸っているのですが、Twitterっていうのはたまに、びっくりするような言葉が流れてくることがあり、しかもそれが結構支持を得ていたりして、なかなか安易に反論しにくいことがあります。
 今回のブログは、それでもどうしても反論したかったものの一つ、「Y染色体を維持していくために男系天皇を絶対に守っていかなければならない」論(以下Y染色体至高論)について書きます。

 Y染色体至高論の主張は、簡単にまとめると、千年以上の時を超えて受け継がれてきた天皇家Y染色体を途絶えさせないために、男系天皇を守っていかなければならない、ということです。
 この論がそれなりにはびこっていることが、率直に申しまして、私に男系天皇を維持していくことへの忌避感を持たせました。

 まず前提として当たり前のことを確認しますが、奈良時代の人や、大和朝廷の頃の人が天皇制を創始するときに、Y染色体を継承していかなければならないなどと思ったわけはないし、古代から現代にいたるまで、どのような文献にもY染色体を保持するために天皇を男系にしてきたなどという文言はありません。つまりこれはポッと出の後付け理論です。男系天皇が伝統になってきたのは、絶対にY染色体を保持する為ではありません。このこと自体に議論の余地はないはずです。
 ただ、男系天皇が伝統になっているのは事実です。これはすでに在る伝統です。この、すでに在る伝統を利用して、自説に権威付けを行う手法は、新興宗教の教義を体系化するときによく使われます。新興宗教の手法がすなわち問題であるわけではありませんが、あくまでも宗教の論理であることは注意すべきです。宗教の論理を、現代の政治制度に適用すべきではありません。一国の制度を決める時に、伝統を利用し権威付けを行った新しい宗教の教義をいきなり主張してきた、というのがY染色体至高論から私が受けた印象です。信じる者だけが共有すればよい、セクトや共同体の主義主張ならばそれでいいでしょうが、国民みんなが共有しなければいけない制度の精神の話です。そこでこんな主張をするべきではないと思います。

 また、Y染色体至高論者は、Y染色体同一の皇室を崇めるあまり、他の王室を軽んじるような発言をしがちです。日本はY染色体を保持し続けている唯一の皇室で、他の王室はそれがコロコロ変わる、日本に比べれば伝統のない王室かのように言うのは、本当にやめてほしいなと思っています。伝統のかたちは様々です。伝統ある王室、というのは、単純に年数を重ねた王室という意味ではないと思います。日本の皇室が他国の王室より劣っているわけがないが、他国の王室も日本の皇室よりも劣っているわけがないのです。この視点を忘れてY染色体を保持していることを声高に誇示する国民のもと、新しい男系天皇が立ったとして、その天皇が国際社会で尊敬を得られるとは思いません。もちろん、今後男系天皇が継続するとして、表向きにはY染色体を保持しているからという理由ではないでしょう。しかしこんなにもこの論がはびこっていると、日本国民が他国の王室を日本の皇室より伝統のない王室だと断ずる論のもとに男系天皇を維持したと認識される恐れがあります。それだったらいっそ、女系天皇がいちはやく立ってほしいと私は望みます。

 長年続いてきた伝統として、男系天皇を維持していきたい、という論は理解できます。ただ実際問題として一夫一妻制でそれは基本的には維持できないし、天皇に子はあるがそれが男子ではない、という状況になった今、男系天皇以外の道も議論に上がってしかるべきです。しかしY染色体至高論は、他の論を議論の俎上に載せることすら拒否する強い論です。そこがあまりに排他的、現代社会にそぐわないと思います。
 「Y染色体が千年以上も同一だなんてすばらしい!」というその気持ちは、今を生きるあなたが、過去の人々の思いとは全く関係なく、今、そう思うだけで、他の今生きる人たちが「この時代に男性しか天皇になれないのはおかしい」と思う気持ちや、「今後皇室の男性の妻になる人たちに、男子を産まなければならないという、自分でコントロールできない重圧を背負わせるのはあまりに忍びない」と思う気持ちと全く同等の、伝統の裏付けはない、新しい論にすぎません。すべての論は検討に値しますが、他の論を伝統の名を借りて排除する論は許容しがたく思います。

 伝統というのは時代の抗いがたい流れの中で、それでも譲れない一線を引いて、その中で柔軟に対応していくことを言うんじゃないかと思います。Y染色体同一皇室は新しい信仰で、守るべき譲れない一線ではないと考えます。

 

日中戦争開始時の雑誌「上方」を読む ②

 コロナ禍を超えて、中之島図書館の禁帯出本の利用制限が解除されました~!! わーいおめでとう私!!

 雑誌「上方」は中之島図書館では復刻版が開架禁帯出扱いで、司書さんの手を煩わせずに読み放題なので、中之島図書館が再開されたのはとてもありがたいです。

 とは言えいまだ感染症対策には万全を期さなければならないですから、あまり図書館には長居せず、ちょっとずつ読み進めたいと思います。

 

 ちなみに第一回のブログエントリはこちら

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長期化する戦争、国家総動員法の成立

 今回は前回の続きで昭和13年の「上方」を読んでいきますので、昭和13年の主な出来事を下記に示します。前年勃発した日中戦争が日本の思惑とは異なり、長期化していきます。

 

1月 蒋介石政権との講和交渉打ち切り
   近衛文麿内閣にて国家総動員法の法案提出閣議決定

3月 中国・国民党軍、退路戦術で黄河を決壊させ、多くの農民が命と土地を失う

4月 国家総動員法交付

10月 日本軍が武漢三鎮制圧。この作戦で日本軍は毒ガスを使う

12月 日本軍が重慶爆撃開始。この後、重慶では事実上の無差別爆撃が繰り返される

 

独自の特集と時局のバランス

 ・昭和13.1月85号「王政復古萬七十年記念 維新勤皇号」
表紙「住吉大社」 口絵 橿原神宮
徳富蘇峰の序文付
まさに勤皇志士列伝。いつも通りあくまで文化史的側面にとどまろうとしているのは分かるが、題材上、どうしても政治色が出る。

 

 ・昭和13.2月86号「河内研究号」
表紙「枚岡神社梅園の図」 口絵 応神天皇陵、楠公史跡

河内源氏百済寺、河内木綿、河内音頭など幅広い河内特集。

河内源氏系譜とその現代 佐藤佐」から冒頭の文章を引用します。
「多年抗日を目標とした支那国民政府は、皇軍の武威に脆くも敗退し、向ふ所敵なく皇軍は連戦連勝のありさまである。これは日本の武士道が確立し一貫したる精神が全国民に伝統されているからである」

 今まで、雑誌「上方」は時勢に合わせながらも、出来る限り政治色を排した紙面を作ってきたと思います。この号でも基本的には個々の記事の政治色はほぼないのだが、こう言った非科学的な文言が個別記事に混ざりはじめたことはちょっと注目してもいいのかなと思います。

 特集内容とは無関係だが、今宮神社十日戎行事の奉献鯛行列について、古式復興の監修を南木芳太郎がしたとの記事がありました。

 

 ・昭和13.3月87号「続 河内研究号」
表紙「木津川尻汐干狩」
口絵 用明天皇陵、聖徳太子

前号の続き。飛鳥時代の記事など

 

 

 ・昭和13.4月88号「上方桜花号」
表紙「吉野山

桜の名所、桜の文芸作品などの特集

後記 南木氏
「ちかごろ大阪中心とせる近畿の桜の中にも白っぽくて品位のない染井吉野がだんゝ幅を利かして来た。今に日本全国の桜が染井吉野になるだらうといふので」
ちょっとソメイヨシノを悪く言いすぎだが、この時期関西でも多く染井吉野が植えられるようになったようだ。

 

戦時広告

やはり広告には、記事よりも時局の影響が出ますね。松坂屋のコピーが他の百貨店から乖離していきます。

昭和13.1月85号
高島屋「謹賀戦捷 明朗の新春」
大鉄百貨店「謹みて戦勝の新年をお祝申上げます」
松坂屋「戦勝の新春を迎へ 江湖の萬福をお祝ひ申上げます」
三越「皇威八荒に輝く戦捷の春を祝ぎ奉る」
突然大鉄がやってきてびっくりしたんですが、調べたらこの年に大鉄百貨店が全面開業したそうなので、広告を出したのでしょう。

 

昭和13.2月86号
高島屋「春を装ふ」椿柄の着物女性
大軌参急電車「国民精神総動員 肇国 精神発揚」
松坂屋皇軍慰問に松坂屋の品を! あけて喜ぶ兵士の笑顔! 寒さも消し飛ぶ故国のたより!」
三越「雛の春」雛人形陳列

大軌参急電車を特別に入れたのは、明らかに国家総動員法を意識したコピーなので驚いたのです。なぜならこの時点では議会が紛糾していてまだ法律は成立していないから……。先走りすぎ。

 

昭和13.3月87号
松坂屋松坂屋は戦勝日本の佳人にふさはしき緊張 ご希望に満ちた春の婦人洋装を発表し杲然すばらしい絶賛を博しました」『愛国調に一元化されたモードの先駆!』
高島屋
「交通と御買物の中心南海高島屋」なんば高島屋店のイラスト
三越
「春は三越から 繚乱(異字)たる百貨に乗って」やや抽象寄りの女性イラスト

 

昭和13.4月88号
高島屋 前号に同じ
松坂屋 前号に同じ
三越三越五月人形 戦捷に輝く端午の節句節句を祝ひませう

 

 

 

歌舞伎ファンから見る菊池寛「藤十郎の恋」 ~そしてこれは文アル朗読CDの販促~

 

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

「文豪とアルケミスト」朗読CD 第12弾「菊池 寛」

  • アーティスト:三木眞一郎
  • 発売日: 2020/03/25
  • メディア: CD
 

 

 文豪とアルケミストの朗読CD第10弾「菊池寛 藤十郎の恋」が発売されました。聞きました? みなさん。三木眞一郎さんの朗読、最高でしたね。ボーナストラックで思いの他、初演をつとめた初代中村鴈治郎についての言及があって、歌舞伎ファン的に高まりました。

 私は歌舞伎が好きなので、歌舞伎の舞台「藤十郎の恋」を二回観たことがあります。この演目は成駒家成駒屋中村鴈治郎家にとって非常に大切な演目で、上方歌舞伎ファンの私にとってもやはり、見るたびに思い入れの強まる演目です。

 この作品の文学的な立ち位置とか、価値とかは全然わからないんですが、歌舞伎好きから見たこの作品の面白さ、そして初代中村鴈治郎がこの作品に込めた思い、そして「藤十郎の恋」の藤十郎を役者が演じることの良さ(ファン視点)、みたいなものを書きたくなりました!! ちょっと歌舞伎の知識を入れて見ると、この作品の理解が深まるかもしれないので、よかったら是非読んでいってください。そしてこの朗読CDまだ買ってない人はぜひ買ってください。

 

以下にちょっぴり緊急座談会のネタバレがありますのでご注意ください。

「和事の藤十郎

 この作品の最初には、当時の歌舞伎界についての説明があります。だからまあ、この辺の説明は菊池寛に任せておけばよいのですが、ともかく坂田藤十郎ってのは本当にすごい、伝説の役者で、「和事」の創始者、「上方歌舞伎」の始祖とも呼ばれていることを、まずお伝えしたい。

 ボーナストラックで利一先生も触れて下さっていますが、元禄時代は大衆のための文化が大きく花開いた時代で、歌舞伎もこの時代大きな飛躍を遂げました。その変革の一翼を担ったのが、初代坂田藤十郎です。

 

 歌舞伎と聞いて、パッと思い浮かぶ光景はどんなものでしょうか。派手な隈取、見栄をする役者、大立ち回りなどというものを思い浮かべる方も多いのかなと思いますが、こういったものが確立されたのもこの時代です。しかしこれは坂田藤十郎の創った歌舞伎とは別の系統です。作品内にも登場した、初代市川團十郎の創始した「荒事」がそれですね。勇猛で雄々しい豪快な荒事は、主に武士が多い江戸で好まれました。

 それに対して「和事」というのは柔らかで優美な芸、主に優しげでたおやかな美男子が色恋ごとをする様をみせる芸で、この初代坂田藤十郎が創始したと言われています。作品内にでてくる「傾城買い」というのは、和事の典型的な型の一つです。
 和事の作品に出てくる登場人物は町人が多く、町人の町・上方で愛された芸です。江戸の完全無欠なヒーローが活躍するものに比べて、やや滑稽味のある、隙のある男性が主人公となることが多いのが特徴です。この時代、まだ「和事」という名称がなかったのか、作中にその言葉が出てくることがありませんが、藤十郎が思い悩み、突き詰めようとしている芸はまさにこの和事です。

 

 しかし、江戸に和事がないわけではありません。それが作中の藤十郎のライバル、中村七三郎が得意とした江戸和事です。

 上方の和事と江戸和事の違いを、「つっころばし」「ぴんとこな」と呼ばれる、二つの役柄を説明しながら明らかにしたいと思います。
 つっころばしというのは、その名の通りつつけば転びそうな、甲斐性もなく、なよなよとした男の役柄です。それはちょっと情けないほど。そのちょっと情けないところが、滑稽味につながります。作中で「藤十郎どのの伊左衛門は、いかにも見事じゃ」といわれている、この伊左衛門こそが典型的なつっころばしの役柄です。
 それに対して「ぴんとこな」は、一見柔らかい優男に見えますが、その内側にはぴんと張りつめた、激しいところがあって、じゃらじゃらしたシーンを演じても、滑稽味がない役柄です。作中で「京の濡事師とはまた違うて、やさしい裡にも、東男のきついところがあるのが、てんと堪らぬところじゃ」と言われているこれが、まさに、ぴんとこなってやつです。
 歌舞伎用語の説明などを見ると、「つっころばし」も「ぴんとこな」も上方和事の役柄として紹介されていますが、菊池寛は「つっころばし」を上方らしい役、「ぴんとこな」を江戸らしい役として描いているようです。これは一面真理だろうと思います。ぴんこなの役柄はたいていの場合、武士か、もともとは武士だが町人に身をやつしている男性である場合が多いです。こちらの役の方が江戸で好まれたという側面はあるのではないかと思います。

 初代藤十郎はつっころばしで名をはせた名優です。しかし、江戸の七三郎の進出で、全く新しい役柄に挑戦しようとした。この辺の設定が、菊池寛の歌舞伎への深い造詣が垣間見られるなあって思いました。

 

 坂田藤十郎の再来、「初代中村鴈治郎


  菊池寛が小説「藤十郎の恋」を発表してすぐ、初代中村鴈治郎がこの作品に目を付け、数ヶ月で歌舞伎化し、これが大当たりしました。「藤十郎の恋」を語るとき、中村鴈治郎を外して語れないほど、この舞台の人気はすごいものだったそうです。なぜ鴈治郎がこの「藤十郎の恋」を演じたいと熱望したのか、そしてこんなに舞台がヒットしたのか、という話をちょっと聞いていってほしい。のですが、ちょっと今図書館が開いていないので、参考文献に当たれなくて、記憶で書いているのでところどころ間違っているかもしれません。間違っていたら図書館開いてから修正します。

 

 初代中村鴈治郎というのは、もう当時のスーパースターです。松竹株式会社は今や押しも押されぬ大企業ですが、この会社がここまで大きくなったのは、白井松次郎大谷竹次郎という創業者兄弟の才覚と、この中村鴈治郎の人気があったからと言えます。詳しくは白井松次郎Wikipediaに書いてあるので興味あれば読んでください。

 そんなスーパースター鴈治郎は、「中村歌右衛門」という名前を継ぎたいと考えていました。この中村歌右衛門っていう名前は、成駒屋で最も権威ある名前の一つです。それに対し、中村鴈治郎という名前は、「初代」であることからも分かる通り、彼がひとりで大きくした名前です。名前を大きくするということは非常にすごいことですが、同時に、やはり自分に見合うだけの大きな名前を継ぎたい、というのも歌舞伎役者にとっては夢なんだろうと思います。彼の父親は四代目歌右衛門の養子でしたし(親子の関係はちょっと色々あるんですけど)、鴈治郎中村歌右衛門を継ぎたいと考えたのも、まあそこまでおかしな話ではないのですが、紆余曲折あって、中村歌右衛門という名は、ほかの役者が継ぐこととなります。この辺のやや詳しいことは初代中村鴈治郎Wikipediaにも書かれているのでご興味あれば読んでください。ともかく、このことは鴈治郎にとって、非常に不本意で、納得できない出来事でした。

 

 自分が大きな名前を継ぐだけの実績も、人気も十分にあると考えていた鴈治郎が、次に目を付けたのが、大名跡坂田藤十郎」でした。

 坂田藤十郎というのは長く名跡を継ぐ者がなく、伝説の名前になっていました。いうなれば永久欠番みたいな感じですね。
 鴈治郎は上方の役者で、和事の名手でした。名実ともに上方随一の役者だったと言えるでしょう。上方歌舞伎の始祖、和事の創始者、この伝説的な坂田藤十郎の名を継げる者がいるとしたら自分しかいない、と考えたのではないでしょうか。

 しかし、坂田藤十郎は山城屋という家の名前で、成駒屋中村鴈治郎とは直接の関係はありません。でも、ドラマCDの緊急座談会で、川端先生が鴈治郎藤十郎の血筋だと言っていましたね。私はじめて知りましたそれ。たしかに歌舞伎役者って、辿っていけばみんな親戚なんで、血筋じゃないことはないと思いますが、でも直系とは言い難いんじゃないかと思います調べてませんが! しかし、先生方がそう言っているということは、おそらく鴈治郎が当時、そう主張していたのだろうと思います。
 あと、上方歌舞伎では血筋よりも芸の筋目を大事にする伝統があります。東京では血筋が大事にされて、芸が親から子に受け継がれていきますが、上方では芸の優れた門弟が実の息子より優遇されることが、昔はよくありました。二代目坂田藤十郎も初代藤十郎の門弟で、二人に血のつながりはありません。だから、ほんの少しの血筋関係でも、襲名は確かに可能です。より大事なのは、中村鴈治郎の芸が、坂田藤十郎の名前にふさわしいか、彼が坂田藤十郎の芸を継承しているのかということです。
 しかし、誰も坂田藤十郎の芸を実際に見たことはありません。鴈治郎はたしかに当代一の和事の名手でしたが、それがすなわち藤十郎の芸を継承していることになるかは、ちょっと根拠が弱い感じがします。

 そこにあらわれたのが菊池寛の「藤十郎の恋」でした。この作品の藤十郎っていうのは、凄まじいまでの情念で芝居に取り組む、舞台の鬼って感じですね。
 初代鴈治郎は、自分が認められなかったことへの怒りと、反骨と、「上方歌舞伎を背負って立つのは名実ともに俺だ!」という渾身の思いを込めるにふさわしい題材として、この「藤十郎の恋」を選んだのです。鴈治郎がこの舞台にかける思いは相当のものがあったと思います。「藤十郎の恋」は上演後すぐに、不義密通が題材だという理由で上演禁止処分を食らうのですが、鴈治郎は「わてが牢屋に入ったらええねやろ」と言って上演を続けたと言います。この舞台のすごさは想像するしかありませんが、菊池寛の描き出した藤十郎のすさまじい情念と、鴈治郎の凄まじい情念が入れ子構造のように重層的に重なり、人々を魅了したのではないかと思います。いい舞台ですね~~(見てきたかのように言うやつ)。

 もう一つ、この作品を鴈治郎が演じることの大きな意味は、もうお分かりかと思いますが、人々が藤十郎鴈治郎を同一視するようになることでした。緊急座談会で菊池先生が、「鴈治郎があまりにも藤十郎のイメージにピッタリすぎだとかって、当時相当大騒ぎになった」っておっしゃっていましたが、これがまさに、鴈治郎が狙った効果だったと思います。「鴈治郎はまさに藤十郎そのものやないか」と世間に言わせること、坂田藤十郎と言えば中村鴈治郎中村鴈治郎といえば坂田藤十郎、というところまで持って行くことが、この名前を襲名するのには必要だったのだと思います。
 おそらく、鴈治郎の贔屓筋も、この鴈治郎の気持ちは分かっていたと思います。だから、贔屓はことさら「がんじろはんは、ほんまに藤十郎そのものや」と言い立てたことでしょう。そして舞台の出来も非常に良かった。相当大騒ぎになったのはそういう背景があったのかなと思います。

 しかし、結局初代鴈治郎坂田藤十郎という名前を継げませんでした。続く二代目中村鴈治郎、この人もすばらしい役者でしたが、坂田藤十郎という名を熱望しながら、やはりこの名を継ぐことは出来ませんでした。その息子の代に至って、やっと坂田藤十郎の名が復活します。三代目中村鴈治郎が、2005年に四代目坂田藤十郎を襲名しました(当代)。この間、歴代の鴈治郎は繰り返し、この「藤十郎の恋」を演じ続けてきました。そして今も、「藤十郎の恋」は成駒家の最も大事な演目、玩辞楼十二曲の一つです。

 

藤十郎を演じるということ


  私にとって、「藤十郎の恋」の藤十郎を演じる役者を見ることは、なんだかワクワクする経験です。

  伝説の役者を、しかも演技について悩み苦しむ伝説の役者を、現実の役者が演じるって、ワクワクしません?? ヤバいでしょ……。勝手に、この役者さんが演技に悩む時はこういう感じなのか…みたいに解釈して喜んでしまいます。

 だから、今回三木眞一郎さんが「藤十郎の恋」を朗読するって発表になった時からずっと楽しみにしていました。三木眞の藤十郎は、凄味がありましたね。歌舞伎役者だとお梶に言い寄るところはもうちょっとじゃらじゃらした感じを出そうとすることが多いように思いますが、三木さんは言い寄っているときも、腹の底の冷たさを感じてヤバかったです。 

 だから、小説それ自体を読むのもいいんですけど、役者が演じる藤十郎を味わうのもすごく、すっごく贅沢な経験だと思うから、その両方をいっぺんに味わえる朗読CDは最高すぎません??? 買うべきだと思いますねホントにね。

余談
 まあ、ここまでの話もずっと与太話なんですけど、さらに余談でございます。緊急座談会の中で、横光先生が「藤十郎の恋」の映画化について触れてらっしゃいまして、それに対する川端先生の反応がちょっと変じゃありませんでした?? もう、ここでもあ~~~~!!!! て私なってしまいました。

 「藤十郎の恋」は二回映画化されています。主演はどちらも長谷川一夫。ご存じ日本が誇るスーパースターですね。ちなみに長谷川一夫は初代中村鴈治郎の弟子です。

 一度目の「藤十郎の恋」を主演する前、長谷川一夫は左頬を貫通する傷を負わされるという暴行にあいます。これは松竹から東宝への移籍が原因で起こったことで…この大事件についてはちょっと探せばいくらでもネットにも記事があるので興味がある人は調べてください。あまりに膨大すぎて私も全体は把握しきれていませんがやばい事件です……。ともかく、長谷川一夫は大事な顔に大きな傷を負って、俳優として再起不能とまで言われました。しかし、長谷川一夫はこの「藤十郎の恋」で復帰します。完全な二枚目役者として……。やばくないですか?? 鴈治郎もそうですが、長谷川一夫にとっても「藤十郎の恋」という作品はターニングポイントとも言える、大事な作品です。なんか、「藤十郎の恋」ってそういう作品だなって思うんですよ。役者が役者として岐路に立たされている時に、その実力を世間に知らしめさせる作品っていうか……。別に三木眞一郎さんは岐路に立ってないと思いますけど、世の中に役者の実力を知らしめさせることができる作品であることには変わりないと思いますね!

 あと、長谷川先生による二回目の藤十郎の恋は 1955年の作品です。もうお分かりですね…。横光先生は「藤十郎の恋」が二度映画になったことをご存じない……。川端先生は…うっ

 以上です。

 

 「恩讐のかなたに」の戯曲「敵討以上」の初演は十三代目守田勘弥、「父帰る」の初演は二代目市川猿之助など、菊池寛の作品は歌舞伎役者に多く演じられています。菊池寛作品の現実至上主義的な所が、演劇改良運動などを行っていた当時の歌舞伎界の気分に合っていたのかなと思います。菊池作品と歌舞伎は意外と親和性が高いので、菊池寛ファンの皆様、よろしければいつでも歌舞伎沼へお越しください。お待ちしております。

 

 

 

日中戦争開始時の雑誌「上方」を読む

 かつて「上方」という名の雑誌がありました。
 上方郷土研究會というところが出していた郷土研究雑誌で、現在でも上方(特に大阪)を知る資料として、多くの研究者に利用されている雑誌だそうです。大阪歴史博物館の以下展示説明が雑誌「上方」について簡潔に説明されていてわかりやすいかと思います。

www.mus-his.city.osaka.jp

 

 私も今回、大阪の夜店ってどんな感じだったんだろうってことが調べたくて、雑誌「上方」を読んだのですが(そっちの結果はToggetterに上げてあります織田作之助作品から読み解く昭和初期~戦中の大阪 - Togetter

、たまたま該当記事が載っていたのが日中戦争開始直前の号で、前後の号を読んで、え、これ面白れぇな…てなったので、日中戦争開始前後の「上方」の紙面の変遷について記したいと思います。

 

 「上方」は前述の通り、郷土研究雑誌です。本来なら、戦争の記事など載るような雑誌ではありません。しかし、全く戦争を無視することもまた、当時の世情に合わなかったのでしょう。そこで逆に「中国と戦争してるんだから、日清戦争時代の大阪っていう特集組めるんちゃうん」て思って、詳細な日清戦争当時の証言を集めてくるところなど、時勢に合わせながら「上方」らしい誌面を作っていく、編集者・南木芳太郎の気概を感じました。

 

激動の昭和12年

 

まずは昭和12年の主な出来事を以下に記します。 

5月 文部省「国体の本義」刊行。

6月 近衛文麿内閣発足。

   普天堡の戦い(普天堡事件)

7月 盧溝橋事件。日中戦争開始。

11月 大本営令制定。非戦時にも大本営が常時設置となる。

12月 南京占領(南京事件)。

 

 これらの出来事を頭に置いたうえで、「上方」の特集を見ていきましょう。

 

国家権力の動きに呼応しつつ、独自の編集方針を堅持する「上方」

 ・昭和12.5月77号「上方魚島号」
表紙「雑喉場魚島図」
魚市場の歴史、大阪の魚料理などの特集。特に鯛。編集後記に「何といっても喰い倒れの大阪では鯛が王座である」て書いてあるけど、鯛ってそんなに上方っぽい食べ物なのだろうか。
しかし濃いなぁ~。一つ一つの記事が濃い…。

 ・昭和12.6月78号「北畠顕家号」
表紙「雨中の阿部野神社西阪」
北畠顕家六百年遠忌特集。

おそらく前月に刊行された「国体の本義」に呼応した特集ではないかと考える。「万世一系」論に基づき、南朝を正統とする考えで、大阪で亡くなった北畠顕家を特集。しかしあくまでも歴史学的視点で、記事には政治色がほぼない。

 ・昭和12.7月79号「淀川号」
表紙「淀川三十石船」
大阪の経済を支え続けた淀川、度重なる改修、その歴史と流域の文化を記すことは大事だと思いますよ。思いますけどあまりにも渋い特集すぎへん?? この雑誌売れる?? 大丈夫??普段50銭の雑誌「上方」ですが、この号のみ60銭です。頑張れ…売れた? 大丈夫??

 ・昭和12.8月80号「銷夏号」
表紙「昔の順慶町夜店風景」
夜店、脚絆、タコ、相撲(?)など夏の風物詩についての特集。この号はかなり雑多で、楽しく読める。武庫川、山崎、淀川左岸など、前号の続きと思われる記事もある。「淀川特集」がかなり気合の入ったものだったらしいことがうかがわれる。

 ・昭和12.9月81号「日清戦争時代号」
表紙「玄武門原田重吉先登の図」
あきらかに前月に勃発した日中戦争に呼応した特集。巻頭特集「大阪文化史より見たる日清戦争」。
色々な当時の人の証言を集め、日清戦争時の詩歌や軍歌などもかなりの数蒐集している。大阪に特化しているが、それにとどまらず、当時の状況を克明に記録する、非常に意味深い特集となっていた。

しかし6月号でも思ったが、世の中の動きに対する反応速度が速いよな。こんなすごいボリュームの特集を一ヶ月で用意できるものなんだろうか? そしてやはりこの号でも政治色は極力排除され、基本的には文化史の視点から切り取っている。巻頭特集の名前にもその方向性が見える。ただ、幅広い証言を集めているので、政治的側面の証言がないわけではない。

 ・昭和12.10月82号「続・日清戦争時代号」
表紙「中之島凱旋祝賀会の光景」
カット写真に「月山貞勝師の鍛刀道場」。「支那事変勃いらい日本刀は『皇軍の兵器』として引っぱりだこの盛況」との記述。のちに触れるが、松坂屋も突然日本刀の宣伝をはじめるので、日本刀特需があったようだ。
特集内容としては前号と同じ総力特集である。

 ・昭和12.11月83号「(副題なし)
表紙「七五三詣」(「祈武運長久」と書いてある幟が書いてあるもの)
巻頭「甲賀流と忍術」他雑多な読物。

突然柔らかい号が来たぞ!! 面白いけど! 
しかし「暴虐なる南京政府は覚醒の色すら見せず(略)益々その愚を暴露しつつある。」などの文章もあり、かなり軍事色は強くなってきている。割と穏健な誌であろう「上方」でこの論調なので、正義を為す戦争であるという喧伝が徹底してなされていたのかなと思う。

 ・昭和12.12月83号「(副題なし)
表紙「大阪城天守閣雪景色」
カットは各種戦時風景である。
特集は赤穂浪士。年末の特集は例年赤穂浪士らしいので戦争は関係ないらしい。

南京陥落直前であることに触れた文章も散見される。なんとなく短期決戦で勝利するのではないか(もしくはしてほしい)、みたいな気分が感じられる。出征者やその家族、戦死者への思いがある。

 

 

広告の変遷

 この頃の「上方」には「高島屋」「三越」「松坂屋」の三つの百貨店が広告を出しています。いづれも当時大阪にあった大百貨店ですね。広告内容は雑誌の編集方針と直接関係あるものではないですが、この変遷も興味深かったので記します。

 

高島屋

 高島屋は呉服を前面に押し出した広告が多かったです。今でも「呉服は高島屋」というイメージが、少なくとも私の母親世代くらいまでの大阪人にはあります。古臭くなりすぎない、モダンな柄の和服イラストが大半を占め、硬めでおしゃれな手堅い感じ。季節もののファッションの宣伝も適宜入れています。多分なんですが、高島屋は大阪店に力を入れてきたはずで、この頃、なんば南海店に東洋一の食堂なんかもあったはずです。現在も本社住所大阪にしていますし。戦争が起こった後も、高島屋が一番最後まで通常通りのおしゃれな女性が町を行くイメージの広告を打ち続けていました。

三越

 三越は洋服のイラストを多用し、またそのデザインが斬新でかっこいいですね。高島屋よりも新しい世代をターゲットにしているのかもしれません。戦争が起こるとしばらく、洋服前面の広告をやめ、女性の笑顔のイラストに変更。派手な広告を自粛したのかもしれませんが、その後またおしゃれ広告に戻ります。ちょうどこの年に改装を終え、全面冷房設備となったそうです。(ちなみに高島屋はもっと早い段階で冷房完備となっています)。

松坂屋

 松坂屋が一番変わり種ですね。他店がファッションイメージを一心に押し出している中、松坂屋は今でいうところのカルチャーセンター「松坂倶楽部」の広告を執拗に打ちます。カルチャーセンターの講座の内容は小唄に将棋、料理など幅広く、エンタツなどスーパースターも講師陣にいるようで、たしかに魅力的なカルチャーセンターなのは間違いないのですが、それが一番の売りの百貨店てちょっと面白いですね。
 日中戦争開戦には一番ビビットに反応し、戦時広告を二度連続で打ちます。そのあとは通常の商品券などの広告に戻りますが、「松坂倶楽部」の宣伝は無くなります。

 

・昭和12.5月77号
高島屋「髙島屋が取揃へた”ゆかた夏の陣”」あやめにあじさいの浴衣姿の女性イラスト
松坂屋「松坂倶楽部(将棋、南画、料理など)」
三越「大阪三越開設30周年記念」記念売出告知

・昭和12.6月78号
高島屋「飛ぶ様に売れる…髙島屋の麥稈(カンカン)帽」飛ぶ多数のカンカン帽イラスト
松坂屋「松坂倶楽部」華道、小唄、エンタツと円馬の話術研究
三越「颯爽と夏へ…衛生的な全館冷房」

・昭和12.7月79号
高島屋「お買物と交通の中心『髙島屋』」
松坂屋「商品券」中元向け広告
三越「全館最新冷房完備 爽涼の三越」夏用ジャケットにロングギャザースカートの女性イラスト

・昭和12.8月80号
高島屋「商品券」中元向け広告
松坂屋 前号に同じ
三越 前号に同じ

 ・昭和12.9月81号
高島屋「今秋の流行『呉服の高島屋』」着物に洋手袋をする女性イラスト
松坂屋(いつも高島屋が取っている表紙裏のトップの広告位置を取っている)

  「皇軍萬歳(フォント大)/ 祝・壮途、祈・武運長久

  〇新古日本刀の即売

  〇軍装用品特設売り場

  〇慰問袋の御用承り」
三越「明朗な秋の百貨充実」笑顔の女性バストアップイラスト

昭和12.10月82号
高島屋「秋から冬への…婦人コート」コートっていうが道行のことである。モダン柄道行を着る女性のイラスト
松坂屋 前号と同じ
三越 前号と同じ

・昭和12.11月83号
高島屋南海鉄道高架線開通 ますますご便利に」
三越「冬近し」洋服と和服の女性2人を配す
松坂屋「商品券」お歳暮

・昭和12.12月84号
高島屋「商品券」お歳暮
三越「商品券」お歳暮
松坂屋「商品券」お歳暮

「ミュージカル刀剣乱舞 歌合 乱舞狂乱」を見て久しぶりに不安になったこと

 ミュージカル刀剣乱舞 歌合 乱舞狂乱 2019 に行ってきた。

 まずはじめに言っておきたいのは、全体としてとてもいいもので、クオリティの高いものを見せてもらったなあ、という気持ちがあるということ。演者さんも舞台装置も本当に素晴らしく、演出も基本的にはとても素晴らしかった。が、同時に見ているうちに不安になってくる感じもあった。

 なんか宗教儀式みたいだったのだ。

 これは熱狂的なファンとカリスマ性のあるタレントとの間で生まれる疑似宗教めいたもの、という意味ではなく、はっきりと宗教的なもの、もっというと神道の神事めいた構成でイベントは進行されていた。

 率直に言って、もし、普通の演劇で延々とあの儀式をやられたら、かなり気持ち悪い劇として記憶に残ったと思うが、ライブの演出とすることでその違和感を減らして、ふつうにみられるように工夫されていた。その辺はまさに演出の妙といったところだと思う。

 と同時に、それこそが私の不安の理由となった。ライブだからこそ現実と虚構の狭間が曖昧になる。演者は、演出の枠組の中から、そのキャラクターのままで客に直接「主」「主様」って話しかけてくる(ゲーム「刀剣乱舞」内でのプレイヤーへの呼び方)。そこで行われる儀式には、没入感がある。自分もその儀式に参加している感覚が強い。さらに、ライブの後半で歌われる呪文めいた曲は、ライブ期間がはじまる前にあらかじめネットに動画が公開されていた。歌と、印を結ぶみたいな振り付けを覚えてこいということだろうと思う。実際、ライブがはじまる前に前説で演者に「主様は歌だけいっしょに歌ってくださいね~」みたいなことを言われて練習させられたので、この儀式に参加しろということで間違いないと思う。(ちなみにこの呪文みたいな歌詞の正体は、カグツチの血から生まれた八柱の神の名前をタテヨミにしたものだそうです。これはファンの検証で分かったことで公式からはなんのアナウンスもない。完全に呪文。怖くないですか??? なにを私たちは歌わされているかも教えられずに、ただ歌ってくださいね~て言われるんですよ。ちょっと宗教じみてるよね…)

 作品の登場人物が特定の宗教を信仰しているという描写は全く気にならない。ていうかそれは別に当たり前のことだと思う。しかし、観客、ユーザも当然その宗教・信条を信じているという前提でことが進み、当然それに参加しなさい、と要求されるのは怖い。全然そんなつもりはなかったのに、宗教イベントに来ちゃったの? みたいな感じ。演出がたくみで、没入感がすごいから、より強くそう感じる。

 刀剣乱舞は扱っている題材上、どうしても神道と接近しがちだ。接近するなとは言わない、それは無理なので。ただ、この題材は宗教と結ぶつきやすいということ、ここは踏み越えていいラインか、そうでないか、そこを常に自覚的に精査してほしいと思っている。でも、もともとこの刀剣乱舞という作品はそこに自覚的じゃない。とても無邪気だ。今回も、そんな無邪気さを改めて確認させられたなあ、と思った。

 

 昔、刀剣乱舞のシナリオ担当芝村裕吏氏の「大東亜共栄圏」をめぐる発言が問題となり、のちに芝村氏はその発言を撤回されたことがあった。

 

  そののち、刀剣乱舞は「千代田のさくらまつり×刀剣乱舞-ONLINE- 江戸城下さくらめぐり」というコラボで、靖国神社を会場の一つとすることで炎上した。

 私も刀剣乱舞を運営するDMMとかニトロプラスが、大東亜共栄圏を目指し、軍国主義を標榜しているとかは全く思っていない。ただ、シナリオ担当が大東亜共栄圏の認識をあやまっていて問題になったあと(会社は把握してコメントも出していた)、ゲームが靖国神社とコラボしたらどう思われるか、ということを全く想定していない、その無邪気さが当時すごく気になって、無邪気さは罪になるな、と思った。共栄圏発言、靖国神社コラボ、このうちどちらか一つだけ起こったのなら、炎上はすると思うが、私個人としてはそこまで問題とは思わなかったと思う。ただ、重ねてこれらのことが起こるということは、彼らがまったく自覚的でない、何も考えていないという証明になってしまう。差別とかもそうだけど、そういうつもりはなかった、というのは言い訳にならない、むしろそういうつもりにすらならなかったことが問題だ。もともとの認識に隔たりがあるからこそ、そういうつもりもないのに、そういうことをしてしまうのだ。

 

 今回のライブの演出は、作刀の儀式を踏襲していて宗教的なものにしようという意図はない、という人もあると思う。その通りです。でもその通りだということ、無邪気に儀式をトレースしていることが私はめちゃくちゃ気になってしまう。私はこのライブに、なにかしらの儀式に参加するつもりで来ていない。板の上で神事的なことが行われるのはまあ、あり得るとしても、その儀式に組み込まれるつもりでは来ていない。同意がない。奉納神事のライブに行った時は、奉納神事なので、宗教儀式をするという同意のもと私は出かけて行っている。そこでお祈りがあったのは当たり前のことだ。でも今回は事前に同意がない。その中でそういう構成でライブをすることになんの躊躇いもなかったんだろうなっていうのが、無邪気だなあ、と思う。
 そもそも、踏襲しているとはいえ、正式な祝詞とかを踏襲しているわけでもなく、神聖な儀式をいじってエンタテインメント化し、そこに観客を組み込んでいることとかも、逆に神道の立場からはどう思われるのだろうか、という気もする。そこも、無邪気だなあ、と思ってしまう。

 一概にやるな、とは言わない。ただ内部で議論があったのなら、もう少し演出を変えてきていたと思う。舞台全体が一つの儀式、というような構成にはしなかったと思う。私ならフィクション感をもっと積極的に出したな、と思う。客を巻き込まない。

 今回のものが、即座になにか宗教的にとか政治的に問題だということはないけど、神道、とくに過去の出来事からし国家神道というものを、割と無邪気にとらえているんだなあ、という姿勢が再認識できたので、またあんまりうれしくない方向に無邪気に行っちゃうこともあるだろうという不安がすごくて、ライブではあるまじき静まり返った客席、物音一つたたないライブにはあるまじき緊張感の中、帰ろうかどうか迷っていた(ちなみにその場面で席を立ったらものすごく雰囲気をぶち壊すし目立つので、約1万5千人の耳目を集めたと思う)。

 

2020.1.26 追記

 この記事を書いたとき、「今回のものが、即座になにか宗教的にとか政治的に問題だということはない」と書いたのだけど、よく考えたら、相手にそれと知らせずに、特定の宗教の神の名前を唱えさせるのはやはり問題なのではないかと思う。信仰上の理由で、神道の神の名前を唱えることに忌避感をおぼえる人はいるのではないか。まあ、あの雰囲気見たら予感がして、多分唱えないとは思うけど。
 でも、神の名を唱えていることを開示せずに歌わせるのはやはり問題な気がする。