男系天皇を守っていく理由が「Y染色体」でいいのか

 私は重度のツイ廃なので、Twitterに入り浸っているのですが、Twitterっていうのはたまに、びっくりするような言葉が流れてくることがあり、しかもそれが結構支持を得ていたりして、なかなか安易に反論しにくいことがあります。
 今回のブログは、それでもどうしても反論したかったものの一つ、「Y染色体を維持していくために男系天皇を絶対に守っていかなければならない」論(以下Y染色体至高論)について書きます。

 Y染色体至高論の主張は、簡単にまとめると、千年以上の時を超えて受け継がれてきた天皇家Y染色体を途絶えさせないために、男系天皇を守っていかなければならない、ということです。
 この論がそれなりにはびこっていることが、率直に申しまして、私に男系天皇を維持していくことへの忌避感を持たせました。

 まず前提として当たり前のことを確認しますが、奈良時代の人や、大和朝廷の頃の人が天皇制を創始するときに、Y染色体を継承していかなければならないなどと思ったわけはないし、古代から現代にいたるまで、どのような文献にもY染色体を保持するために天皇を男系にしてきたなどという文言はありません。つまりこれはポッと出の後付け理論です。男系天皇が伝統になってきたのは、絶対にY染色体を保持する為ではありません。このこと自体に議論の余地はないはずです。
 ただ、男系天皇が伝統になっているのは事実です。これはすでに在る伝統です。この、すでに在る伝統を利用して、自説に権威付けを行う手法は、新興宗教の教義を体系化するときによく使われます。新興宗教の手法がすなわち問題であるわけではありませんが、あくまでも宗教の論理であることは注意すべきです。宗教の論理を、現代の政治制度に適用すべきではありません。一国の制度を決める時に、伝統を利用し権威付けを行った新しい宗教の教義をいきなり主張してきた、というのがY染色体至高論から私が受けた印象です。信じる者だけが共有すればよい、セクトや共同体の主義主張ならばそれでいいでしょうが、国民みんなが共有しなければいけない制度の精神の話です。そこでこんな主張をするべきではないと思います。

 また、Y染色体至高論者は、Y染色体同一の皇室を崇めるあまり、他の王室を軽んじるような発言をしがちです。日本はY染色体を保持し続けている唯一の皇室で、他の王室はそれがコロコロ変わる、日本に比べれば伝統のない王室かのように言うのは、本当にやめてほしいなと思っています。伝統のかたちは様々です。伝統ある王室、というのは、単純に年数を重ねた王室という意味ではないと思います。日本の皇室が他国の王室より劣っているわけがないが、他国の王室も日本の皇室よりも劣っているわけがないのです。この視点を忘れてY染色体を保持していることを声高に誇示する国民のもと、新しい男系天皇が立ったとして、その天皇が国際社会で尊敬を得られるとは思いません。もちろん、今後男系天皇が継続するとして、表向きにはY染色体を保持しているからという理由ではないでしょう。しかしこんなにもこの論がはびこっていると、日本国民が他国の王室を日本の皇室より伝統のない王室だと断ずる論のもとに男系天皇を維持したと認識される恐れがあります。それだったらいっそ、女系天皇がいちはやく立ってほしいと私は望みます。

 長年続いてきた伝統として、男系天皇を維持していきたい、という論は理解できます。ただ実際問題として一夫一妻制でそれは基本的には維持できないし、天皇に子はあるがそれが男子ではない、という状況になった今、男系天皇以外の道も議論に上がってしかるべきです。しかしY染色体至高論は、他の論を議論の俎上に載せることすら拒否する強い論です。そこがあまりに排他的、現代社会にそぐわないと思います。
 「Y染色体が千年以上も同一だなんてすばらしい!」というその気持ちは、今を生きるあなたが、過去の人々の思いとは全く関係なく、今、そう思うだけで、他の今生きる人たちが「この時代に男性しか天皇になれないのはおかしい」と思う気持ちや、「今後皇室の男性の妻になる人たちに、男子を産まなければならないという、自分でコントロールできない重圧を背負わせるのはあまりに忍びない」と思う気持ちと全く同等の、伝統の裏付けはない、新しい論にすぎません。すべての論は検討に値しますが、他の論を伝統の名を借りて排除する論は許容しがたく思います。

 伝統というのは時代の抗いがたい流れの中で、それでも譲れない一線を引いて、その中で柔軟に対応していくことを言うんじゃないかと思います。Y染色体同一皇室は新しい信仰で、守るべき譲れない一線ではないと考えます。