司馬遼太郎記念館のこと と ちょびっと歴史ブームについて

 昨日お友達と一緒に司馬遼太郎記念館に行ってきました。

 友達が行きたいといったから行ったのであって、彼女に誘われなかったら行くことはなかったと思うのですが。

 誘われたときにはそんなに乗り気じゃなかったんだけどw まあ、いーよーって言って行くことになりまして。でもホント行ってよかった。

 学生の頃は、けっこう司馬さんの作品を読んでました。

 中学くらいからかな、読むようになって、高校くらいはかなり読んでた気がします。国内旅行へ行くときは、必ず出発前にその地方の「街道をゆく」を読んだりとか。

 まあ、ぶっちゃけ結構ハマっていたんです。

 当時はまだ司馬さんが生きていらっしゃって、いつかお会いするのが夢でした。

 それがですねえ、大学くらいからですねー、司馬さんは功罪ともにすごすぎるなと思い始めました。

 司馬遼太郎の筆名の由来は「司馬遷に遼(はる)かに及ばず」です。中国史、特に古代史の礎をきづいた、というよりは、古代史の体系そのものを作り上げた司馬遷を強く意識してらっしゃった司馬さんは、歴史を「よく」伝えようと、膨大な資料をもとに、すばらしい作品を書き上げています。

 しかし、その作品はノンフィクションではないです。フィクションです。小説だから。

 でも、司馬遼太郎の深い見識に裏打ちされた考察は、また、あえて行われたちょっとしたフィクションは、あまりに魅力的で、数多くの人に受け入れられすぎて、「そうではない歴史」を消していってしまう。

 歴史というのは、視点によって変わるものです。なにを主軸におくか、主軸においたもののどの部分を切り取るかによって変わっていきます。ちゃんと記録に残っている場合もあれば、全然正確な記録が残っていないこともあったり、さらには公式記録といわれたものが実は間違っていたり。

 司馬さんは司馬遷に「遼」かに及ばないことを意識していらっしゃった方ですから、同じ時代を、違う視点で何度も作品にしたりもされています。

 しかし、それはやはり「司馬遼太郎の視点」なのです。しかし司馬遼太郎の視点は卓越しすぎていて、人々はそれに追随してしまいがち。と思いました。

 どうせのまれてしまうとわかっているのなら、読まないほうがいい、ってまだわりと多感だった(?)わたしは思いはじめて、だんだん司馬作品を読まなったんです。

 今でもわたしは、ちょっと、そう思っています。

 歴史ブームの今、歴史小説は花盛りですが。フィクションはフィクションです。それは物語です。物語は物語として楽しまなければ。歴史について本当に知りたいというのなら、手当たり次第に資料を漁るしかないです。でも資料を漁ったって、それは結局誰かの視点でしかないってことにも自覚的でないといけません。そして魅力的な仮説にはついついのまれてしまうモノだってことも、自覚しておかないと。学校で教わった歴史も、この資料に書いてある歴史もそれはその歴史を「切り取った記述」だということに自覚的にならなければ。

 ちょっと話はそれますが、「日本はサムライの国」っていう表現、結構見かけますよね? でも日本ってサムライの国じゃないですよ。だってサムライって、人口の7パーセントくらいだったといわれています。明治6年の調べで旧武士の数が6.25%(土屋喬雄「幕末武士の階級的本質」) 。そして農民が80%を超える人口比率で工商が6%。「日本は農民の国」です。少なくともわたしは多分(両親の苗字、祖父母の苗字から見て)、武士の血を引いてないです。そのわたしに「サムライの心」とか唱えられても「知らんがな!」て思うんですが変ですか? ではなぜ日本人は日本のスピリットがサムライにあると考えるのか。それは歴史小説のほとんどがサムライを主人公にしているからです。(もちろんこの国独自の制度だということもあるでしょうが…。しかし「農民」は違うとしても「庄屋」とかは独自の制度だし…。)これもいつのまにかフィクションに飲み込まれている結果だとわたしは思うのですが…。

 しかし、それが司馬遼太郎を読むべきでないという結論に至るのはやはり極論かなと。そう思いました。

 もう一度、読んでみよう。今読んだらまた、違う発見があるような気がします。

 ちなみに司馬遼太郎記念館東大阪の小阪にあります。

 非常に大阪らしい、ステキな住宅地でした。家々の前にはありったけの植木鉢に植物を植えて(これ大阪スタイル)、子どもたちだけで遊べる安全な公園があったり。司馬先生の命日に当たる菜の花忌に合わせて、菜の花を植える運動をされていて、町中が菜の花でいっぱいでした。記念館のスタッフの方もとても親切で、ステキな時間を過ごせました。

 正直展示物は司馬先生のファンでないと楽しめないと思いますがw 司馬先生ファンの方なら是非!!

司馬遼太郎記念館