「日本人でよかった」神社本庁

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170511/k10010976941000.html

 「日本人でよかった」という神社本庁のポスターの問題のニュースをみて、日本人でよかったかどうか、自問してみたのだが、そもそも神社本庁の言う「日本人」の定義というのが分からないのでどうにも答えようがないのであった。
 
 アメリカ人の言う「アメリカ人」は(多くの場合)「アメリカ国籍の人」を指すと解釈して様々なアメリカ映画や文学を摂取してきたのだけど、いわゆる?日本人の言う「日本人」は、どうも国籍が日本である人を指さないように思う。
 両親が在日韓国・朝鮮人日本国籍の人を日本人と呼ぶことにすごく抵抗があるらしい人は結構私の周りにも多いし、就業(スポーツ選手など)や結婚で日本国籍を取得した海外出身者を「日本人」と神社本庁が認識しているのかちょっと疑問を持つ。
 私自身にしても、これらの人を「日本人」と認めている。と言いたいのだがそうとも言いがたく、認めていない、とも言い切れず、なんとも宙ぶらりんなきもちになる。
 「日本人でよかった」と言われたときに感じる不快感とか不安感はここに根ざしていると思う。日本人とはなにか。私は日本人である、と主張する人を、私はちゃんと日本人として扱っているのか、そこに私の差別意識はないのか、っていうことを突きつけられた感じがするのだ。

 それと、根本的に「日本人でよかった」という言は、「日本人じゃないと悪い」と捉えられるという想像力を持つべきだった。
「男の子でよかった」「ヘテロでよかった」「白人でよかった」「右利きでよかった」
 自分ではどうしようもない属性について、「この属性でよかった」ということは、まあ、基本的に差別発言である。

 「日本人」を仮に日本国籍の人と定義するならば、「日本人でよかった」って言われた場合の私の答えは、「日本人はすてきだけど、多分日本人じゃなくてもすてきだと思う」。